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(   Prologue   )

ネットやスマホの進化に伴い、インスタント化するショッピング。
それなりのクオリティのモノが安く手に入る一方でいま、
こだわりのあるひとは価値あるモノに目を向けています。
実際、大手百貨店のバイヤーは、
これまで値ごろなモノを選んでいた大人たちが店頭に足を運び、
デザインやつくりのいいモノを求めると話します。

価値あるモノには理由があり、値段も高いわけですが、
手にした時の喜び、そこから得られる経験は何ものにも代えがたいはず。
この連載は “GENUINE(本物)” と “HOUYHNHNM” の
頭文字を組み合わせた「GH」というタイトルのもと、
モノにあふれる時代のなかで本当に買うべきものを探ります。

#01 不確実な時代のモノの見方。

Interview with Mr. Kurino

栗野さん、いま求められる
ファッションってなんですか?

「ユナイテッドアローズ」の創業に携わり、長年ファッションの世界を見続ける栗野宏文さん。2020年刊行の著書『モード後の世界』は発行2万部を超え、多くのひとに服に対する新たな視点をもたらしました。そんなひとが持つ、買い物のこだわりって何だろう。我々編集部の疑問をぶつけると、栗野さんはこれまで買ったモノを手に取りながら話しはじめました。

Photo_Kazuma Yamano
Text_Kei Takegwa
Edit_Ryo Muramatsu
Web & Design BONITO / Rhino.inc

栗野宏文

「ユナイテッドアローズ」上級顧問クリエイティブディレクション担当。2020年、初の著書となる『モード後の世界』(扶桑社刊)を刊行。21年、中尾浩規が創業した「ユマノス」にアドバイザーとして参画。
Instagram:@kurino_san.dst

ー今日は私物をいくつかお持ちいただきました。まず紹介してもらうのは〈キートン〉のジャケットですね。

栗野:発端はフィレンツェで見た特別展示でした。〈キートン〉を代表するスーパーファインウールのネイビージャケットに、ネイビーの端切れが散乱した床、そして深い藍の色を思わせる夜空。ネイビーが織りなす妙味に心揺さぶられたぼくは翌日ミラノのお店を訪れ、袖を通したジャケットを値札も見ずに買いました(笑)。それがこのジャケットです。

ぼくを感激させたのは「ピッティ ウオモ 91」で開催されたスペシャルイベント「TWO OR THREE THINGS I KNOW ABOUT CIRO(チロについて知っているいくつかのこと)」。創業者のチロ・パオーネを讃えたイベントです。

Kiton – Jacket

1991

創業者のチロ・パオーネを讃えるイベント「TWO OR THREE THINGS I KNOW ABOUT CIRO(チロについて知っているいくつかのこと)」をみて、矢も盾もたまらず購入した〈キートン〉のジャケット。栗野さんのファースト・キートンだ。

ーニノ・チェルッティ、ジョルジオ・アルマーニに続いてパオーネが史上3人目の「ピッティ・イマジネ・キャリア・アワード」を受賞したのを受けて開催されたイベントですね。会場ではパオーネの食卓や製造現場も再現されました。「ピッティ・ウオモ」CEOのラファエッロ・ナポレオーネは「美しさを支えるために注がれたテイスト、情熱、そしてたゆまない献身的な姿勢を凝縮した」と述べていました。 ものづくりの背景にあるものにスポットを当てることで〈キートン〉というブランドの世界観を鮮明にした、稀有なイベントでした。

栗野:ディレクションを担当したのはアンジェロ・フラッカヴェント。『MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事』の英語版カタログの編集でも知られるライターであり、クリエイターです。

ーさすがのディレクションだと思いました。

栗野:〈キートン〉は(「ユナイテッドアローズ」の)創業当時の売り場にも並んだブランドです。価格的には難しいところがあったけれど、ものは間違いなくよかった。テーラーリングの技術を惜しみなく投入したつくりはクラシコイタリアを代表するブランドと賞賛されるのも当然の域にあります。その柔らかな羽織り心地は筆舌に尽くしがたい。

取材時の栗野さんは、〈カルーソ〉のジャケットに〈ユナイテッドアローズ〉のシャツと40年愛用の〈カネパ〉のタイ、〈サイ〉のチノパンを合わせたスタイル。ベルトはこの記事に登場する〈エルメス〉のもの。

ー業界でもファンの多いブランドです。

栗野:実はこのジャケットはぼくにとってのはじめての〈キートン〉になります。そこにはまた別の思いがありました。

ミラノに「ペーパームーン」というレストランがあります。80年代のミラノ出張時にアルマーニが毎日ランチに来ると聞いて足を運ぶようになった一軒です。晩年のチロもこのレストランに通っていて、ぼくは何度かお見かけしたことがあります。体を悪くしたチロは車椅子で来店されるんですが、いつでも完璧にドレスアップしていました。そして椅子に腰を下ろすと、ナプキンをして、時間をかけて優雅に食事される。改めて、(〈キートン〉のものづくりを体現する紳士たる振る舞いを見て)感動しました。

ーファースト・キートンにはパオーネへの敬意が込められていたというわけですね。

栗野:これはいまにはじまったことではないのですが、リスペクトがあるかどうかがぼくの買い物のポリシーになっています。いいものがいいのは当たり前であり、そこで終わるのではなく、その先にある―職人、デザイナー、そういう人々がつくりあげるチームの哲学に思いを巡らせて、リスペクトする気持ちですね。そのものとの関わり方を引き受けた上で、お金を払っています。

ースペック礼賛主義が日本人のものを見る目を鍛えたのは確かだけれど、それだけではさみしい。栗野さんの考え方はとても豊かだと思います。

栗野:ありがとうございます。付け加えるならば、そこに自分のためにお金を使う、という意識が加わりました。もともと美術館巡りも読書も好きだけれど、このコロナで拍車がかかりましたね。

ひとつがロンドンの近現代美術館「テート・モダン」。「ミレニアムプロジェクト」(2000年記念事業)の一環として建てられた美術館です。ぼくは開館してすぐに訪れて、そのまま会員になりました。会員になると特別展が無料になり(常設展は常時無料)、しかも並ばずに入れるんです。文字通り近現代美術に特化した美術館で、ポップアート好きには堪りません。

ー例を挙げるならば、今年4月3日までやっていた『LIFE BETWEEN ISLANDS CARIBBEAN-BRITISH ART 1950S-NOW』。カリブ海出身者のアーティストが今日の英国文化にいかに影響を与えたか。その軌跡を振り返るというものです。考えてみれば不思議な話です。地理的にはアメリカの方が近いのに、なぜ彼らはイギリスへ渡ったのか。

Exhibition “LIFE BETWEEN ISLANDS CARIBBEAN-BRITISH ART 1950S-NOW” – Catalog

2021

「テート・モダン」で行われた特別展『LIFE BETWEEN ISLANDS CARIBBEAN-BRITISH ART 1950S-NOW』のオフィシャルブック。カリブ海出身者のアーティストが今日の英国文化にいかに影響を与えたかをテーマにしている。注目デザイナー、グレース・ウェールズ・ボナーがコメントを寄せるページもある。

ー確かに興味がそそられるテーマです。お持ちいただいたのは展覧会に合わせて発行されたオフィシャルブックですね。

栗野:待っていれば「アマゾン」などでも販売されるかもしれないけれど、堪えきれず取り寄せました。

コロナで3年、「テート・モダン」からも足が遠のいています。しかし、会員を続けることでこの本に出会えた。そしてそれは仕事のヒントにもなる。年会費は47ポンド(約11,750円)。3年でも3万ちょっとです。バイイングやディレクションに生きることを考えればちっとも惜しくないし、彼らの応援にも繋がる。この美術館はドミネーション(寄付)も大切な運営費になっているんです。

Tate Modern
– Magazine & Member’s Card

2000〜

ロンドンの近現代美術館「テート・モダン」のメンバーズカード&会報誌。ポップアート好きの栗野さんは開館(2000年)してほどなく会員になった。

ーもうひとつがオペラですね。

栗野:これは19年12月に「ウィーン国立歌劇場」で上演された『オルランド』のカタログ。『オルランド』は〈コム デ ギャルソン〉の川久保(玲)さんがはじめて衣裳をデザインしたオペラです。作曲家、脚本家、演出家すべてに女性を起用するという試みに賛同したそうです。ヴァージニア・ウルフ原作のその物語や演出自体はかなり前衛的で賛否両論あったようですが、ぼくは楽しめました。

出張で行ければそれはそれで嬉しいけれど、自分が働いたお金で飛行機代、ホテル代、食事代を払って行くっていうのは大事な姿勢だと思います。家族も連れて行ったので、単純に考えて一番お金掛かっていますね(笑)。

Opera “ORLANDO”
– Catalog

2019

オペラ『オルランド』のカタログ。作曲家、脚本家、演出家すべてに女性を起用するという試みに賛同し、〈コム デ ギャルソン〉の川久保(玲)さんがはじめて衣裳をデザインしたオペラだ。

ーファッションアイテムはいかがでしょうか。

栗野:〈エルメス〉を用意しました。広告費に金を払いたくない、というスタンスゆえにラグジュアリーブランドのものをあまり持っていませんが、〈エルメス〉は例外です。

そもそも〈エルメス〉は、自らをラグジュアリーブランドと名乗ったりはしません。彼らは必ず、自分たちのことを職人を束ねたファミリーだといいます。そして意味なく高価ではない。

代表的なスカーフで考えてみましょう。メインの価格帯は6万円くらいでしょうか。シルクの質、プリントのデザイン、プリントの版代、ハンドロールなどの職人技、そういったものづくりにかけるエナジーとコストを考えれば良心的な価格設定といっていいと思います。

Hermès – Scarf

About 2010

栗野さんは畳んで使っているという〈エルメス〉の特大スカーフ「ジャンボ」。スカーフのプロとしての気概を感じたという。

ーお持ちになったのもスカーフですね。通常のものよりかなり大きいですね。

栗野:10年くらい前にサンジェルマンの店で手に入れたスカーフで、その名も「ジャンボ」といいます。ぼくは折り畳んで使っています。女性がショール代わりに羽織ってもいいんじゃないかな。

ー財布の紐を緩めたポイントはなんですか。

栗野:そのサイズは、必要に迫られたわけでも、バズることを(笑)狙ったわけでもない。あくまでそれはスカーフを提案するプロとしての気概。スカーフの可能性を広げようとする挑戦でしょうね。そこを意気に感じた、というわけです。

〈エルメス〉は頭が柔らかい。だから150年続く。表参道店(2021年にオープンした国内29店目のストア)のイメージビジュアルを任せたのはYOSHIROTTEN(アートディレクター)でした。

Hermès – Belt

About 2000

〈エルメス〉のルーツである馬具に使われるレザー、サドルレザーでつくったベルト。価格は既製品とほぼ変わらない5万円台。アップチャージはないのかと栗野さんが尋ねると、スタッフは「Non!」と答えたとか。

ーベルトも〈エルメス〉ですね。

栗野:こちらはいまからおよそ20年前に、サントノーレ本店で。当時はまだメンズの取り扱いが少なかった。サドルレザー(〈エルメス〉のルーツである馬具に使われる革)でつくってほしいとお願いしたら、驚きの5万円。既製品と値段が変わらないじゃないかと尋ねたら、どちらもハンドメイドだから手間は同じようなものだと言われて絶句しました(笑)。

このベルトもそうですが、〈エルメス〉はサドルレザーを使う場合、毛羽立った方を表にして、スムースな方を裏にします。なぜだか分かりますか。馬の肌をなるべく傷つけないように、という考え方なんですね。馬への “愛” にも感動しました。

John Lobb – Shoes

About 2020

〈ジョン ロブ〉のアーティスティック・ディレクター、パウラ・ジェルバーゼが手掛けたコレクション。見た目はタフだが、驚くほど軽いという。

ーご用意いただいた靴は〈ジョン ロブ〉ですか。

栗野:〈ジョン ロブ〉初のアーティスティック・ディレクター、パウラ・ジェルバーゼの最終期のコレクションです。パリのシャンゼリゼの裏にあるフランソワ通りで手に入れました。このモデルはリバースウェルトを巻いて、肉厚なソールを履かせていた。見るからに重そうなのに、手に取ったら驚くほど軽かった。

聞けばパウラはすべてのパーツを書き出し、それぞれ重さを測っていったそうです。そして現代のライフスタイルを念頭に置いて削れるところは削っていった。靴屋はクラシックメソッドを大切にします。それはそれで賞賛に値することですが、そういう既成概念にとらわれないアプローチがあってもいい。パウラの軽やかな発想にしびれました。これもリスペクト買いです。

ーようやくコロナ終息の気配がみえてきたとはいえ、ウクライナの戦争が泥沼の様相を深めるなど世情は不安定です。そのような状況のなかで、ファッションを楽しむこと、語ることに気後れを感じるひとがいるようです。

栗野:今回のコロナで、ドイツは最初に文化施設を守りました(2020年、「ドイツ連邦政府」は零細企業・自営業者向けの緊急支援枠500億ユーロ(約6兆円)を芸術・文化領域にも適用することを決め、世界から注目された)。それは紛うことなき英断でした。こんな時代だからこそ、ファッションを含めたカルチャーが大切になってくると、ぼくは思うんです。

ーその理由はいみじくも著書で喝破されていますね。曰く、「着ることは生きることだから(中略)着ることは相互のコミュニケーションを深め、理解を促すものだから」と。

取材時に栗野さんがつけていた〈ロレックス〉は、40年前に義父にプレゼントしたもの。5年前に亡くなり、形見として栗野さんのもとに戻ってきた。「デザインに愛想がない分、飽きがこない。タイムレスを体現していますね」。

To be continue…

今後この特集は隔月更新の予定。
初回はひとにフォーカスしましたが、
時計やブランドの企画など、
モノ選びの指針となるような内容を目指すべく
多角的に記事をつくっていきます。

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