PROFILE
1964年生まれ。アメリカ・カリフォルニア州にあるウエストモント大学を卒業後、帰国。1992年に代官山に「G.O.D.」をオープン。その後、95年に葉山の「SUNSHINE+CLOUD」、2009年には「PARADISE STORE」を奄美大島でスタート。自身のショップのディレクションのほか、「HONOLULU DESIGNS」というチームでは、店舗内装や住宅リフォームのデザインなどもおこなっている。
「ひとと同じじゃなくていいんじゃない?」というのは根底にあった。
ー高須さんがこの辺りに住まわれて、どれくらいになるんですか?

高須:ぼくは逗子に住んでいて、今年で32年ですね。
ーもともとは東京の出身なんですよね。どうして逗子に住もうと思ったんですか?
高須:アメリカの大学を卒業して帰ってきたときに、とにかくひとが多くてごちゃごちゃしてたから、東京には住めないと思ったんですよ。それでどこに住もうか考えたときに、海の近くがいいなと思って。候補としては逗子のほかに、大磯と湯河原があったんだけど、当時は東京にまだ通っていたから、現実的なことを考えて逗子かなと。
ーむかしから海は好きだったんですか?
高須:好きですね。サーフィンをするのが楽しかったっていうのもあるんだけど、それ以前になんだか海に惹かれていたんです。なんか許してくれそうなところがあるじゃないですか。

ー実際に海の近くに住んでみて、どんなことを感じましたか?
高須:本当によかったですよ。夜になれば星がすごくきれいだし、朝に早起きすればすぐに海に行ける。何にも変えられない生活がここではできるんですよね。
ー1995年に葉山の「サンシャイン+クラウド」をオープンさせたのも、そうした環境に魅せられたからなのでしょうか。
高須:いちばんの理由は東京に行かなくていいようにしたかったから(笑)。寝て起きて、そのままの格好で立てるお店が欲しかったんです。
ー当時の葉山や逗子は、どんな雰囲気だったんですか?
高須:まったくなにもなかったから、ひとが来るなんて思ってなかった。だから通販のカタログをつくったんです。その頃のアメリカは通販のカタログが進んでて、〈J.CREW〉とか「SEARS」がつくってたんですよ。そういう文化を習って、自分でもやってみようと思って。

ーそしたらお客さんが来るようになったんですか?
高須:全然来ないですね(笑)。だけど、ぼくたちがつくったカタログはメッセージ性のあるものだったから、響くひとには響くわけです。それで遠くからわざわざ来てくれるひとは、少しずつ増えました。
ーそうした時代を経て、いまは葉山にたくさんのひとが注目しています。
高須:商業地域じゃなくてもいいんだということに、いろんなひとが気づいたんでしょうね。そういうのは感じます。
ー高須さんも、もともとそうしたアイデアをお持ちだったんですか?
高須:そんなに大それたものじゃないですけどね。ただ、「ひとと同じじゃなくていいんじゃない?」っていうのは根底にありました。
