PROFILE
1977年生まれ。2001年に「Multiple Maniaxx & Technixx」をコンセプトに〈ネクサスセブン〉をスタート。ヴィンテージへの造詣が深く、生地や縫製など生産背景にこだわり、細かなディテールに至るまで完成度を高めたものづくりをおこなっている。他にもデニム生地をベースにものづくりをおこなう〈BEYONDEXX〉を手がけるほか、プロバスケットボール Bリーグ「アルティーリ千葉」のクリエイティブディレクターとしても活躍。
PROFILE
東京都台東区出身。ロンドン・キングスロードにあったショップ 「Fly Clothing」にて出会ったエリック・クラプトン、ウィリアム・アンスティ、サイモン・ポーターと共にクロージングレーベル〈 CHOKE〉 を2000年にスタート。 2023年にはロンドン出身のDJ兼映像作家のドン・レッツと共に〈REBEL DREAD HARDWARE〉を始動。一方でスチャダラパーのシンコと共に「YELLOW CAVE MIX」という名のパーティを主催し、DJとしても活躍している。
音楽も服も、どっちもかっこいいのが理想。
ーはじめにおふたりの出会いからお話を聞かせてください。

今野: 99年に千葉の津田沼で自分のお店を開いたんですが、そこではインポートブランドやヴィンテージのアイテムを扱っていました。そのときにちょうどHatchuckくんが〈チョーク(CHOKE)〉というブランドをスタートして、うちでも扱わせてもらうことになったんです。
Hatchuck: 当時、ぼくはロンドンのキングス・ロードにあった「フライ クロージング」というお店で働いていて。〈サイラス〉、〈シュプリーム〉、〈サキャスティック〉、〈サブウェア〉などのブランドを扱っていました。一階にそうした服を置いていて、地下にはスケボーのデッキとかがあって。
そこによく来てたのがエリック・クラプトンだったんです。彼はすごくアートが好きで、当時はグラフィティアーティストとして認識されていたフューチュラ(Futura)とか、スタッシュ(Stash)をアンディ・ウォーホルと同じように現代アーティストとして眺めていたようです。それでお互い好きなカルチャーが近くて仲良くなったんです。
ーエリック・クラプトンがそうしたカルチャーに精通していたとは知りませんでした。

Hatchuck: それで彼と、サイモンと、ウィリアムというスタッフと一緒にはじめたのが〈チョーク〉なんです。99年くらいから準備をして、2000年くらいにはじめたのかな? そのときに連絡をくれたのが今野くんなんですよ。自分より年上の取引先からのアプローチが多かった中で、今野くんは同い年だったからすごくうれしかったのと、男気もあってすぐ仲良くなって。
ー〈チョーク〉はどんなブランドだったんですか?
Hatchuck: 『ワイルド・スタイル』の頃から活動しているクラッシュ(Crash)と、イギリスのシーワン(SheOne)っていうグラフィティアーティストがグラフィックを描いてくれていて。服はエリックもデザインしていたんですけど、ヴィンテージの大戦モデルをサンプリングしたデニムとか、ワークウェアとか、アメリカ的な服をUKっぽくタイトなシルエットにアレンジしていましたね。
今野: アイテムの数はそんなに多くなかったんですけど、表現力がすごく豊かだったというか。クラッシュもシーワンもどちらも毛色が違うアーティストでしたし、ひとつのブランドなのにすごく幅が広いところが魅力的でした。ぼくはシーワンがすごく好きで、アブストラクトなグラフィティを描いていたんですけど、本当にアートだったんですよ。うちのお店でもすごく人気でしたね。
Hatchuck: 90年代から2000年代のはじまりくらいまでは圧倒的にアメリカのカルチャーが強かったよね。イギリスのものってそんなに人気はなかった。だけどぼくはUKカルチャーがすごく好きで、服のシルエットもすっきりとしているほうが好みだったんです。

ーHatchuckさんはいつ頃からイギリスに行かれていたんですか?
Hatchuck: 最初に行ったのは中学生のときで、地域の交換留学生みたいな感じでしたね。英語さえがんばっていれば夏休みにタダで行けるみたいな(笑)。そのときにイギリスと、統合前の東ドイツに行きました。それでハマって、高校の頃は毎日バイトして、貯めたお金で長期休みにヨーロッパへ行ってました。学校を卒業してからロンドンへ行って、2年くらいしてから〈チョーク〉をはじめて。
ー当時のロンドンはどんな感じだったんですか?
Hatchuck: ぼくが行った頃は経済はそこまで悪くなくて、比較的治安が良かったんですよ。音楽とファッションのカルチャーがすごく盛んで、クラブが盛り上がってて。週末だけに限らず毎晩のようにどこかでおもしろいパーティが開催されていました。ずっとワクワクしている状態。常にどこかでおもしろいことが起きてましたね。でも、それは当時に限らず、いまのロンドンも一緒だとは思います。
これは余談だけど、ちょうどプライマル・スクリームが「スクリーマデリカ」っていうアルバムを出した頃にロンドンにいたんです。ぼくはホームステイしてたんだけど、ステイ先の家族の兄ちゃんに「プライマル・スクリーム好きならリリースパーティがあるから行こうぜ」って言われて連れて行ってもらったんですよ。
ポートベローにあるラフ・トレード・レコードの屋上で、アンドリュー・ウェザオールがDJをしていて、そこにボビー・ギレスピーをはじめメンバーが完全に仕上がった状態で集まっていて。「えらい上機嫌だなぁ」と思ったんですけども(笑)。すみません、楽しかった思い出です(笑)。
ーカルチャーのど真ん中にいたわけですね(笑)。

Hatchuck: 〈チョーク〉をはじめるにあたっても、エリックがいたから音楽的な広がりがあって。ぼく自身、ずっとDJをしているというのもあるけど、音楽的視点から見るファッションが好きだったんです。ザ・クラッシュとか、やっぱりファッションもかっこいいじゃないですか。だから音楽も服も、どっちもかっこいいのが理想みたいなところはありましたね。今野くんのお店で取り扱っていた服も、音楽的バックボーンが強いブランドばかりだったよね。
今野: そうかもしれないですね。泉谷隆さんの〈コンプリートフィネス〉とか、EZさんの〈ティルト〉とか。その中に〈チョーク〉もあって。
Hatchuck: 泉谷さんもEZさんもDJだしね。今野くんのお店は周年のパーティがすごい楽しかったんですよ。

今野: ありましたね(笑)。ホテルの夜景のきれいなフロアを貸し切ってやったんですけど、当日にお客さんがたくさん来てくれて、窓が結露で真っ白になっちゃって。夜景の中でいい音楽を聴くためにパーティをしたんですけど、全然見えなくて(笑)。そこでHatchuckくんにもDJをお願いして、あとはフォース・オブ・ネイチャーのおふたりとか、EZさんにも出演してもらったりとか。ファッションだけじゃなくて音楽もしっかりと掘り下げるパーティにしたかったんです。
ーおふたりの共通言語は何だったんですか?
Hatchuck: お互い音楽やファッションの情報交換をする感じでした。世代的にヒップホップが共通項ではあったけど、それだけじゃないというか。どちらかというとぼくが一方的に教えてもらうことが多かったけど。
今野: いやいや、そんなことないですよ。あとは、一緒に静岡にも行きましたよね。
Hatchuck: そうそう! 〈チョーク〉を立ち上げてしばらくは〈ステューシー〉のアメリカの工場に生産をお願いしていた関係もあって。当時、沖嶋信さんを訪ねて静岡に一緒に行ったね。
今野: 沖嶋さんにはむかしからお世話になりっぱなしですね。本当に頭が上がらないというか、沖嶋さんの力添えがなかったら生きてこれなかったと思います。
Hatchuck: ドン・レッツと知り合ったのも、沖嶋さんに紹介してもらったのがきっかけなんですよ。

ーそのエピソード、気になります。
Hatchuck: 2005年に〈ステューシー〉の25周年パーティが新木場のアゲハであって、そのラインナップの中にドン・レッツのクレジットが入っていたんです。ザ・クラッシュのMVをはじめ、すべての関連映像を手掛けていたり、彼らにレゲエの影響を与えた人物としてリスペクトしていて。それで会いたいと思って信さんに連絡をして、紹介してもらったんですよ。
今野: カウズも同じタイミングで来ていましたね。
Hatchuck: その頃ってもう〈オリジナルフェイク〉(*編註:今野氏もアパレルディレクターとして参画した、カウズとメディコムトイによる共同プロジェクト)をやってたんだっけ?
今野: やってましたね。あとはジョシュ・チューズも一緒に来てて。
ーなんだかすごいパーティというか、すごい時代ですね。
Hatchuck: ドン・レッツはビッグ・オーディオ・ダイナマイト(BIG AUDIO DYNAMITE ※以下、BAD)のメンバーで、80年代当時、〈ステューシー〉をBADのメンバーが着ていたり。その繋がりもおもしろいというか。
今野: 「BAD」って描いてあるTシャツ、いまヴィンテージ市場で結構高くなってますよ。