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ブランド設立1ヵ月でパリコレへ。バウルズの八木佑樹は天才か?異端か?
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ブランド設立1ヵ月でパリコレへ。
バウルズの八木佑樹は天才か?異端か?

日本の偉大な先人たちが挑んできた “パリコレ” の舞台。いまそこに立つひとりの若者がいます。彼の名は八木佑樹。30歳。長年温めてきた〈バウルズ(vowels)〉というブランドで、今年5月センセーショナルなデビューを飾りました。その方法は写真家のホンマタカシが撮り下ろしたビジュアルで、東京・表参道のビルボードをジャックするというもの。我々を驚かせたのはインディペンデントなブランドでは普通しない奇抜な発想です。そんな〈バウルズ〉の次のフェーズが6月のメンズファッションウィークでの新作披露。世界の業界人が集う場所で見せたプレゼンテーションから数日経ち、彼が口を開きました。

パリ経由、ニューヨーク行き。そしてアントワープへ。

ー生い立ちについても教えてください。出身地の鳥取にファッションを育む土壌みたいなものはあるのでしょうか?

八木:考えてみると元〈ランドロード〉の川西遼平さん、〈リトゥンアフターワーズ〉の山縣良和さん…鳥取出身の方がいますね。でも、ぼくは生後3日で京都に移りました。そして5歳から15歳まで親の仕事の関係でアメリカに住むことになって。だから思春期のベースはアメリカです。

プレゼンテーションの舞台に設置された花の装飾。「春夏秋冬」の春をイメージ。

ーファッションを意識しはじめたのはいつですか。

八木:子供の頃だと思います。

ーそれは親の影響ですか。

八木:そうですね。親の仕事の関係で、自然とファッションに触れるようになりました。小学生になると、みんな〈シュプリーム〉とか〈ステューシー〉を着はじめて。それがファッションを意識した最初かもしれません。「何なんだ、このイケてるブランドは!」という感覚があって。

ブランド名を胸元に刺繍したフーディは多色展開。

ーファッションを仕事にしようと思ったきっかけは。

八木:日本に戻って高校を卒業した後、飲食店でバイトする傍ら、古着の買い付けでドイツやオランダ、アメリカなどに行きました。それが無いとき、飲食店で働いていたんですが、そのバイト先はパリにも店があって、短期間行かせてもらえることになったんです。

それでパリ滞在中、休みの日に行ったクラブで、バウンサーと仲よくなりました。彼から近々日本に行くから向こうで一緒に遊ぼうって誘われて。帰国して彼に紹介してもらったのが、日本のファッション業界で活躍する方々でした。

そのひとたちにいろいろ相談していたら「お前、英語できるんだったら海外に行け!」って言われて、そこから一年かけてお金を貯めてニューヨークへ向かいました。改めて振り返ると、ひとありきの人生。周りのひととの運命的な出会いがあっていまがあります。

ーファッションに導かれたようなストーリーですね。そしてニューヨークに行った目的は「パーソンズ美術大学」。

八木:ほぼ学校に行かず、インターンやデザインアシスタントをしていました。学校でシャツやパンツの縫い方を半年かけて学ぶよりも、アトリエに行ってイラレを使ったり、生地に触れたり、チームの動き方を見ていた方が勉強になったんです。

そんな感じで過ごしていたら、いつの間にか卒業試験。先生から「なんで学校に来なかったの? コレクションはいつ出せるの」って言われて。それで「は!」ってなって、5、6体のコレクションを友達3人と徹夜して一気につくりました。

当時、デザインアシスタントをしていたブランドの上司に次は「アントワープ(王立芸術アカデミー)」に行こうかなって相談をしたら、「行きなよ! 入学が無理だとしても受験してみなよ。もうチャンスはないから」って言ってくれて。

陽の光が差し込むバックステージ。

ー彼が背中を押したと。

八木:それで「アントワープ」に行ったら、入学テストが水彩画とデッサンだったんです。ぼくはデッサンが大っ嫌いで、水彩画なんか一回もやったことなくて。試験前にアントワープの画材屋で「水彩画のセットを下さい」って言ったら、 一番高い250ユーロする300色セットの、ピアノの鍵盤くらいあるものを買わされて(苦笑)。

それを持って入試に臨んだら、周りはみんな、自分よりも実力が上。隣にいた子は「東京芸大」の卒業生でした。案の定、水彩画はまったく描けず、絶対ダメだと思ったんですけど、ポートフォリオと面接が上手く行って合格できました。

ーそこでは何を学びましたか。

八木:自分を信じることですね。 「アントワープ」は一般的な授業のスタイルではないんです。教室に40人くらいの生徒がいて、それぞれ描いたデザイン画を先生が点検するだけ。それを毎日繰り返すっていう。

あるとき叱られて、オランダ語で何言ってるか分からなかったから天井を見つめていたら、先生の顔が近づいてきて「なんでこんな描き方するんだ! 歴代の卒業生、あいつらはみんなデッサンを描けなかったけど、全部フィーリングなんだよ!」ってすごい剣幕で言われて。点検15人目のぼくの番で先生が怒って帰ったんです。そしたら今度は、点検を待っていた残り20人の生徒からキレられて。それをきっかけに、自分を信じてひたすらデッサンを描くようになりました。

プレゼンテーションには20人のモデルを起用。

ー噂には聞きますが、やはり独特な学校ですね。そこでどのような生活を送りましたか。

八木:平日は夜から朝まで親友とビールを飲みながら課題をこなして、9時に学校へ行くルーティン。だから「パーソンズ」よりも圧倒的にしんどかったけど、団結力を感じました。仲間がいないとやっていけないんだなって。

あと、アントワープならではのことでいうと、アパートの玄関を出たらアン(・ドゥムルメステール)が歩いていたり、ラフ(・シモンズ)がスーパーにいたり、ドリス(・ヴァン・ノッテン)が買い物してたり。錚々たるデザイナーが近くにいて、ファッション好きからすると天国のような場所でした。

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