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日常の中にある心地よいノイズとリゾナンス。4人の識者が語る、ジーユーとアンダーカバーと。
CROSS TALK ABOUT GU × UNDERCOVER vol.4

日常の中にある心地よいノイズとリゾナンス。
4人の識者が語る、ジーユーとアンダーカバーと。

〈ジーユー(GU)〉と〈アンダーカバー(UNDERCOVER)〉によるコラボレーションが初めて実現したのは2021年。当初は驚きを持って迎え入れられたこの挑戦的な試みも、いまや3度のチームアップを経て、ファッションシーンが注目する重要トピックスに。そして来たる9月27日には、待望のコラボコレクション第4弾がローンチを迎えます。そこで今回は、〈アンダーカバー〉に思い入れのある4人の識者に集まってもらい、〈アンダーカバー〉の、そして〈ジーユー〉とのコラボコレクションの魅力を自由に語っていただきました。それぞれの視点から浮かび上がってくる、日常の中の心地よいノイズとは?

PROFILE

TEPPEI

高校卒業と同時に上京し、服飾専門学校のスタイリスト学科に入学。卒業後2年間の古着屋勤務を経て、スタイリストとしてのキャリアをスタート。現在は、アーティストイメージやブランドビジュアルのディレクションを中心に手掛け、その独自の世界観にもとづくスタイリングで支持を集めている。
Instagram:@stylist_teppei

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的場良平

文化服装学院を卒業後、現「ラボラトリー®(LABORATORY®)」の前身である「ベルベルジン®(BERBERJIN®)」でショップスタッフとして働きはじめ、2017年に自身がオーナーを務めるセレクトショップ「オフショア(offshore)」を原宿にオープン。現在は移転し、ギャラリーとしての活動にも注力。国内外の気鋭アーティストをフックアップしている。
Instagram:@ryoheimatoba

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平本ジョニー

15歳の頃からオオスミタケシ氏のアシスタントを務め、自身でも〈ジョンズ バイ ジョニー(John‘s by Johnny)〉のデザイナーやラッパーとして活躍。現在はアパレル製品などの生産過程で生じた廃生地を利用したフラワーアイテムを製作し、誰もが自分らしく働ける雇用を創出し、循環可能な社会を実現することを目指すブランド〈ザ フラワーズ(THE FLWRS)〉を手掛ける。
Instagram:@johnnyhiramoto

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SYUNKI

1970年代のパンクカルチャーと90年代の裏原宿カルチャーを背景に、一点もののリメイクアイテムなどを展開する〈サークル ヘリテージ(CIRCLE HERITAGE)〉のデザイナー。〈ヒステリックグラマー(HYSTERIC GLAMOUR)〉とのコラボプロジェクト〈ヒステリック ブートレグ(HYSTERIC BOOTLEG)〉も手掛け、今年7月には第2弾がリリースされたばかり。
Instagram:@__syunki__

四者四様のアンダーカバー観。

―まずは、皆さんと〈アンダーカバー〉というブランドの関係性について聞いていきたいと思います。SYUNKIさんは2001年生まれなので、物心ついたときには既に〈アンダーカバー〉もパリコレに参加するようになっていましたが、ブランドのことを知ったのはいつ頃ですか?

ジョニー:2歳くらいじゃない?

的場:さすがに4歳くらいでしょ。

SYUNKI:いやいや(笑)。中学3年生の頃だったと思います。

的場:それでも早いね。

―当時のSYUKIさんから見て、〈アンダーカバー〉はどんな存在でしたか?

SYUNKI: もともと音楽がすごく好きだったんですけど、音楽や映画といったいろんなカルチャーと密接に結び付いたブランドということで、初めて服を好きになったキッカケが〈アンダーカバー〉でした。

あと、ブランドを知ったのと同じタイミングで、「東京セックス・ピストルズ(高橋盾氏がVoを務めていたセックス・ピストルズのトリビュート・バンド)」の動画をYouTubeで観て。「デザイナーで、こんなことをやっているひとがいるんだ」と衝撃も受けました。

―そんなSYUNKIさんは、高橋盾さんへのリスペクトを身体でも表現しているとか。

SYUNKI: 18歳の頃、腕に高橋盾さんと同じタトゥーを色違いで入れたんです。

一同: オォ~!

―そういったブランドの背景から〈アンダーカバー〉に惹かれたとのことですが、服そのものの魅力についてはいかがでしょうか?

SYUNKI: そもそも自分にとってファッションは、憧れのロックスターの格好を真似したくて始めたコスプレのようなものだったんです。そこにディテールや装飾を加えて、オリジナルな世界観を創り出すブランドが〈アンダーカバー〉で、他の誰よりもオシャレにコスプレ出来るブランドと自分の中では捉えていました。

〈アンダーカバー〉の服を最初に手に入れたのは、直営店っていうよりも、古着でしたね。2003年春夏シーズンのSCABは、クラストパンクをテーマにしていて、すごく記憶に残っています。

―そういう意味では、高橋盾さんがジョニー・ロットンから影響を受けていたことと近しいものがありますね。現在23歳で、他の皆さんとは15歳以上の年齢差があるSYUNKIさんの話を聞いて、TEPPEIさんはいかがでしょうか?

TEPPEI: たしかに年齢差こそありますが、影響を受けたという点ではぼくら3人と何ら変わらないと思います。ぼくも特に影響を受けたのが同じくSCABですし。パリコレの初陣となったこのコレクションが発表された2002年は、ぼくが上京してきた年でもあって、人生が大きく変わるタイミングでそうしたクリエイションに触れられたことは、自分の中で非常に大きな出来事だったと思います。

―当時はそのコレクションを見て、どのように感じましたか?

TEPPEI: 東京で発表していたときよりも、さらにもう一歩踏み込んだ表現に思えたし、これから自分自身の人生をどう切り拓いていくかワクワクしていた時期と重なったこともあって、すごく影響を受けました。〈アンダーカバー〉はパンクのアティテュードをファッションに落とし込んで可視化しているブランドだけど、もちろん内面的な部分にもそれは一貫していて。だからこそ、こうやって世代を超えて影響を与え続けていられるのだと、いま改めて感じています。

―TEPPEIさんは2021年から〈アンダーカバー〉の「Undercoverism」というセカンドライン、2022年からプレコレクションでスタイリングを手掛けていますが、スタイリストの立場から“高橋盾さんのクリエイション”については、どのように感じていますか?

TEPPEI: どんなアイテムをつくるにしても“ジョニオさんらしさ”が存在していて、それをデザインやグラフィックはもちろん、小さな付属パーツやほんの少しのギミックだけでも成立させてしまう。そのスゴさを〈アンダーカバー〉の服に触れるたびに感じています。

―的場さんはいかがですか?

的場: もう“憧れ”ですよね。ぼくは今年40歳なんですけど、雑誌の中の存在という感覚がいまだにあって。若い頃はお金もないし、なかなか買うことが出来なくて、はじめて自分で買えたのは大人になってからだった気がします。

でも、初めて〈アンダーカバー〉を手にしたのが高校2年生の頃。あるとき、原宿を歩いていたら、クロスボーンの迷彩柄のサンバイザーを拾ったんですよ。それがマイ・ファースト・アンダーカバー。

―拾ったというのもヤバイですが、そもそも名作として名高いですよね、そのサンバイザーって。

的場:そうですよ! なのでめちゃくちゃテンションが上がりましたね。「浅野忠信が雑誌で被ってたサンバイザー、落ちとるやん!」って(笑)。

ジョニー:めっちゃいい話じゃないですか(笑)。

的場:あと〈アンダーカバー〉といえば服はもちろんですが、当時のジョニオさんを取り巻くコミュニティもすごく格好良かったんですよね。

TEPPEI:「ノーウェア(NOWHERE)」派生のね。

的場:そう! SNSどころかスマホも携帯電話もまだ普及していない時代だからこそ、雑誌を読んで覚える興奮といいますか。当時の原宿の先輩たちの格好良さや空気感を、間接的にではありますがリアルタイムで触れることが出来て、本当によかったなと。

―「オフショア」でも〈アンダーカバー〉のアーカイヴを取り扱っていると思いますが、ご自身の中で思い出深いアイテムを挙げるとしたら?

的場:カウズ(KAWS)とコラボした総柄のスウィングトップだったり、SCAB期のモノだったりと色々と持ってはいるんですが、一番はやっぱり例のサンバイザーでしょうね(笑)。

あとは〈アンダーカバー ワン アンド オンリー(UNDERCOVER ONE and ONLY)〉という1点ものをつくっていた初期シリーズのダッフルコートとか。どのアイテムにも共通しているのが、「ファッションは楽しいんだ!」と思わせてくれるというところでしょうか。

―原宿という同じ街にいた的場さんにとって、〈アンダーカバー〉はどんなブランドでしたか?

的場:ぼくからしたら、もうレジェンドすぎますよ。裏原のカルチャーが好きだから、いまでも原宿でお店をやってるぐらいですし。ただ、裏原宿だと恐れ多いんで、もう少し裏にいって裏裏原宿ぐらいでやってるんですけど。

TEPPEI:でも、なんだかんだ〈アンダーカバー〉の本社と近いじゃん(笑)。

ジョニー:ほんとに(笑)。めちゃくちゃ近い!

―(笑)。最後にジョニーさん、お願いします。

ジョニー:……。これ、本当は俺から話していった方がよかったんじゃないですか?

一同:(笑)

的場:たしかに(笑)。SYUNKIくんもテッちゃんも内容が濃すぎるよね。

TEPPEI&SYUNKI:いやいや(笑)。

―ジョニーさんは他媒体で、「遊んでくれていた先輩たちが〈アンダーカバー〉をよく着ていた」とお話しされていましたよね。

ジョニー:いや、もう本当にそれだけなんスよ。みんなに比べてめっちゃ薄くてすみません…。

SYUNKI:それって、いつ頃の話なんですか?

ジョニー:小学生の頃かな。ちょっと名前は出せませんが、俳優をやっていた年上のお姉さんの家に遊びに行ってはよく泊まってたんですよね。そこで〈アンダーカバー〉の服やスニーカーを借りて、それを着て自転車で近所に遊びに行くっていう夏休みを過ごしていたって…まぁ、それくらいっス!

一同:(爆笑)

的場:いや、エピソード濃っ!

ジョニー:なので、〈アンダーカバー〉というブランドは、子どもの頃からすごく身近にある存在で。大人になってからは、ぼくの師匠であるオオスミさん(〈フェノメノン(PHENOMENON)を手掛けたファッションデザイナー・故オオスミタケシさん)がジョニオさんを尊敬していてすごく仲が良かったっていうのもありましたね。オオスミさんとお互いの持っている〈アンダーカバー〉のアイテムを交換し合ったり、一緒に展示会に行ったりしていました。

―ジョニーさんにとっての〈アンダーカバー〉は“大切な人たちとの繋がり”だったんですね。

ジョニー:たしかにどのアイテムも思い出と必ず紐づいているし、子供のときからオシャレをするのが好きだった自分にとっては、あの頃からいまも変わらず、なくてはならない存在なんだと思います。

的場:初〈アンダーカバー〉が拾い物だった自分からしたら、周囲の環境も含めて羨ましすぎでしょ…。

TEPPEI:かなりの早熟だよね(笑)。

INFORMATION

ジーユー

電話:0120-856-452
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