PROFILE
河西”YONCE”洋介(Vo&Gt / 左)、栗田将治(Gt. / 中右)、栗田祐輔(Key. / 右)、本村拓磨(Ba. / 中左)、大内岳(Dr. / 中)からなる5人組ロックバンド。2024年に「F.C.L.S.」より、1st EP『2000JPY』をリリースし本格始動。1stアルバム『Chance』の配信リリースも始まり、いま波に乗る要注目バンド。来年1月からは全国ワンマンツアーも開催決定。
お互いにカッコいいと思っていても、馴れ合わなかった奴ら。
― 記念すべき1stアルバムをリリースされたということで、まずはヘディガンズ結成の経緯からお話を聞きたいのですが、あるアーティストのトリュビュートアルバムへの参加がきっかけとなったそうですね。
YONCE:ザ・ストリート・スライダーズ(THE STREET SLIDERS)という超大先輩バンドのデビュー40周年を記念したトリュビュートアルバムへの参加オファーをいただいたんです。当時サチモスも活動休止していて、パーマネントな音楽活動をしていなかった頃で。サポートワークを主にしている方などに声を掛ければ話は早かったけど、やっぱりバンドとしてやりたいという思いがあって、高校時代から一緒にバンドをやっている岳に声を掛け、誰を誘うか決めていきました。メンバーが揃ってから最初のセッションで、もうめちゃくちゃ良いなと感じて。俺たち付き合わない? と(笑)。
― 愛の告白(笑)。
YONCE:そう。その日、このまま続けたら面白そうと感じた。というのが、俺から目線の話ですね。
大内:そうだね。最初はトリュビュートのレコーディングをする予定だけでしたが、演奏した日がすごくいい日になって、じゃあこんなこともやってみようかという話が重なっていまに至るという感じですね。
本村:セッションする日の以前に、顔合わせみたいな形で一度新宿の飲み屋に集まったんです。その時から、このメンツでバンドをやれたら良いよねという話はぼんやりとあって。その後にスライダーズのレコーディングがあって、より決定的になった気がします。
栗田祐輔(以後、祐輔):誰かが率先してバンドとしてやっていこうと言い出した記憶はあまりなかったですね。自然の流れというか、ムードがそうなっていった感じはありますね。
―自然発生的に生まれたんですね。
YONCE:本当にそうですね。
栗田将治(以後、将治):ぼくは祐輔と兄弟でグライダー(Glider)というバンドをやっていて、YONCEと大内がやっていたオールドジョー(OLD JOE)とよく対バンしていたんです。本村くんも当時別のバンドをやってて、この5人は10年ぐらい前から顔馴染みで。このトリュビュートの話もスタッフの人を通してとかではなく、まずYONCEから直接フランクに誘ってくれました。そこで「譜面ください」とか、「どういう感じでやったらいいでしょうか」、と言う人が誰もいなかったんですね。
YONCE:それ言われていたら、困っちゃってたわ(笑)。譜面書けないし。
将治:そういうところも最初からバンドらしかったという気がします。
大内:飲み屋で顔合わせしたときも、打ち合わせというよりは、バイブスを合わせに集まったような。打ち合わせない、ということを打ち合わせた感じでした(笑)。
―YONCEさんが、この4人にラブコールを送ったのはどんな基準だったのでしょうか?
YONCE:岳はもう古い付き合いですし、安心して歌えそうだなと。そこから二人で飯に行ったりして、誰にしようかと話し合いました。栗田兄弟は、ライブハウスでよく対バンしていて仲は良かったけど、なんというか慣れ合わなかったバンドだったんです。ライブを観てカッコいいと思っていても、それをお互い声高には言わなかったというか。そういうところから、ここでいま一緒にできたら絶対におもしろくなるだろうという確信がありました。ベースのもっちゃん(本村)は、当時はまだ面識がなかったのだけど、当時の彼がやっていたバンドの作品自体はめちゃくちゃ聴いていたし、すごいベーシストだというのは色々な方面から聞いていました。岳もベースだったら本村くんが良いと言っていたよね?
大内:ぼくも本村くんのことはバンドもベーシストとしても、とても好きな人だったので。
本村:これは自分もそう。昔から大内岳っていうドラマーが本当に好きだったので、機会があれば絶対何かやりたいと思っていました。他の人から誰か良いドラマーいないかと相談を受けたときにも、真っ先に思い浮かんで紹介したりするのは岳でしたね。
大内:ぼくも本村くんを紹介したりしてました(笑)。
将治:俺たちは俺たちで、栗田兄弟が揃って参加する数少ないスタジオワークで、本村くんと久しぶりに一緒になったりして。ある意味制作のスタイルとかも、そこで分かっていたというのもありますね。