PROFILE
兄・友大郎、弟・渓亮ともにプロのフライフィッシャーとして活躍する。地元の愛知県岡崎市では、フライフィッシング専門店「WORLD WIDE ANGLERS」にてオリジナルブランドなどを展開。YouTubeチャンネルや、管理釣り場「岡崎トラウトポンド」の運営もしており、釣りの文化を広めるための活動も行っている。 Instagram:@yutaro_sugisaka @keisuke.sugisaka
準備をしているときのワクワクもめちゃくちゃ楽しい。

春がやってきました。フライフィッシングの世界では多くのフィールドが解禁を迎え、これから盛り上がりを見せます。今回は愛知を拠点に釣りの文化や楽しさを広める杉坂ブラザーズの案内のもと、新城市にある寒狭川を訪れました。
「ぼくらは大人になるまでちゃんと釣りをしたことがなかったんですよ。当時アメリカに留学していたんですけど、親父にいきなり『帰って来い』って言われて、そこから釣りをはじめるようになったんです」(友大郎)
「うちの親父はもともと釣りをしていて、家業はスーパーを営んでいたんですが、その傍で釣り具の企画もしていたんです。それでぼくらをアメリカから引き戻して、仕事を全部釣りに振り切ることにしたんです」(渓亮)


ふたりが語るお父さんとは、杉坂研治さんのこと。フライフィッシングの世界で知らないひとはいない、超有名な人物です。
「70年代くらいに当時最先端のライフスタイルとしてフライフィッシングが紹介されていて、そうしたカルチャーに憧れを抱いたのがうちの親父の世代。90年代に『リバー・ランズ・スルー・イット』っていう映画が流行って、それで一気にフライフィッシングがブームになったと聞いています」(友大郎)
「もともとはライフスタイルとしての釣りが注目されたようですが、親父たちがはじめた頃に段々と進化して、2000年代くらいになるとテクニック重視になっていったみたいです」(渓亮)
杉坂ブラザーズのふたりが日本に戻ってきたのも2000年代の後半あたり。そこからお父さんと一緒に毎週のように釣りに行くようになったといいます。
「最初はなかなか上手にできなくて、面白さよりも難しさが勝っていました。でもやっていくちにどんどんのめり込んで、川も湖も海も全部行きましたね。親父についていって世界中の釣り場を冒険しました。ボリビアのジャングルの奥地とかも行ったなぁ。世界には有名な釣り場がいくつもあって、ぼくらはそういう情報を常に集めて、いい場所があったらそこへ旅に出るんです」(友大郎)

南米・ボリビアでは “川の虎” の異名を持つ、ドラドという黄金の魚を釣ったのだとか。
「アマゾン川の源流なんですけど、日本の渓流のようなきれいな川に、1メートルを超える黄金の魚が泳いでいるんです。そっと近づきながら毛鉤を魚の前に投げると、ものすごい勢いで襲いかかってきて」(友大郎)
「ジャンプもするし、本当にすごいパワーだったね!」(渓亮)
そうして世界中を巡りながら魚を釣ってきたというふたり。各地の魚を求めて旅をするのもフライフィッシングの醍醐味のひとつ。まるでRPGのゲームのようです。

「各地にはフライフィッシャーたちが憧れる魚がいて、それを追い求めて世界中の釣りびとが旅をしているんです」(友大郎)
「各地のガイド仲間と連絡を取りながら『いまココがアツい』っていう情報を得るんですが、自然相手なのでそんなに甘くはない。一回ぼくがアルゼンチンに行ったときは、そこにあるはずの川が干上がってなくなっていたときもあったんです。ヨーロッパを回ってから2日もかけて行ったのに…。そんなめちゃくちゃ悲しい経験をしたこともありました」(渓亮)