作品やスタッフ、キャストだけでなく、映画文化を支えるのに欠かせないのが映画批評。ラジオ、本、ネットなどさまざまなメディアで映画に対する感想や批評が日に日に増殖していますが、意外と少ないのが映画批評の生のトークイベントです。
映画の細かなシーンと、それに対する細かな解説や批評。実は、生のイベントこそ映画批評と一番相性がいいのではないでしょうか。
VACANTで、映画文化に対する“愛”を感じさせる連続イベントが開催されることが決まりました。それが、新時代のシネフィル(映画愛好家)を語り部に迎え、魅力尽きぬ映画世界への扉をノックする「HARAJUKU CINEMA CLUB」です。
記念すべき第1回目のゲストは、倫理や政治といった観点から映画技法の批評活動を行い、2017年に『シネマの大義 廣瀬純映画論集』(フィルムアート社)を上梓された、廣瀬純さん。そして、若者を中心に話題となった『みんなの映画100選』 (オークラ出版)の著者であり、雑誌『POPEYE』などでライターとして活躍する、鍵和田啓介さんです。二人が「映画における〈出来事〉」をテーマに、バック・トゥ・バックの形式で交互に映画を紹介・解説します。
お二人のプロフィールとコメントは下記です。
カメラの前では、すべての現象は等価である。カメラは、いっさいの価値判断なく、すべての現象を同等に捉える。カメラのそのような「視覚的無意識」(R・クラウス)に立脚した映画は、それでもなお、他のすべての現象から突出した「出来事」をそれとしてスクリーン上に生起させることができるのか。エリック・ロメールが、とりわけ80年代の諸作で繰り返し問うたのはこの問題だった。言葉が出来事を作り出す。しかし、言葉が輪郭を定めた出来事のその到来を待つためには、しかし、微細な記号に対する感受性も高めておかなければならない。『クレールの膝』、『緑の光線』、「青の時間」(『レネットとミラベルの四つの冒険』)の各作タイトルに掲げられているのはすべて出来事の名である。(文・廣瀬純)
混じり合うはずのなかった時間たちが、不意に衝突して混じり合って火花を散らす。映画における出来事とは、そんな瞬間に生起するんじゃないか。映画がより飛ぶためは、出来事を召喚させるためには、混じりっけが必要なのだ。コカインと違って。それはともかく、ときに活劇と呼ばれることもあるそんな瞬間をこそ捉えようとするのは、アクション映画ばかりじゃもちろんない。コメディ映画もまた、出来事=活劇の生起を目指し、あの手この手を開発してきたし今もしている。そこで今回はジェリー・ルイスの『底抜け00の男』をはじめ、いくつかのコメディ映画のなかに生起する出来事=活劇について考えてみたい。(文・鍵和田啓介)
先行して行われたこのイベントにお邪魔させてもらったときに印象的だったのは、ひとつの話芸とも言える廣瀬純さんの熱いトークと、鍵和田さんの静かな映画愛に裏打ちされた冷静な語り口です。
映画の見方の多様性や深度、シネフィルたちの熱い映画愛と出会える、そんなひとときに出会えるはず。そして映画をより幅広く、より深く楽しむという視点は、映画を、引いては世界を新しく見る視点にもなり得ます。
原宿に現れた映画の穴蔵「HARAJUKU CINEMA CLUB」。今後も要注目です。
Text_Shinri Kobayashi
HARAJUKU CINEMA CLUB vol.1
テーマ:「映画における〈出来事〉」
ゲスト:廣瀬純(批評家/龍谷大学経営学部教授)、鍵和田啓介(ライター)
日時:2019年6月23日(日) 開場19:00 / 開演19:30
入場料:<一般>予約¥2,000 当日¥2,200 <学生>予約¥1,800 当日¥2,000 (※全て別途1ドリンク¥500)
会場:VACANT/2F(東京都渋谷区神宮前3-20-13)
イベントページ:https://www.vacant.vc/single-post/HCC01