30歳以上のフイナム読者のみなさんにとって、一度は目にしたことがある(であろう)イタリアの名門スポーツブランド〈ロット(LOTTO)〉のロゴマーク。2000年代前半に5年で4度ものスクデットを勝ち獲り、黄金時代を築いたセリエAのユベントスのユニフォームを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか? そんな〈ロット〉とコラボしゲームシャツをリリースしたのは、東京を拠点に活動する〈ディアスポラ スケートボーズ(Diaspora Skateboards)〉。そしてコラボを記念し、『Coppa Diaspora』と題したイベントも開催しました。スケートブランドらしくミニランプを設置し、親交のあるラッパーとDJによる音楽でより世界観を色濃く表現。そんなコラボやイベントのこと、そして今の〈ディアスポラ スケートボーズ〉について、ファウンダーである小林万里と次世代を担う2人のフレッシュなスケーターの言葉を、イベントから数日後に聞きにいきました。〈ディアスポラ スケートボーズ〉は今までもこれからも、さまざまな形で表現=プッシュし続けます。
Photo_Teppei Hori、Azusa Nigo
Text_Yusuke Suzuki
PROFILE
長野県を地元とするメンバーを中心に、2010年に活動をスタート。サークルロゴを名刺がわりに、スケートだけでなくHIP HOPシーンからも大きな注目を集める。2010年にフルレングスビデオ『SYMBIOSIS』を発表。2022年11月には初の旗艦店となる「パーブス(PURRBS)」を駒沢にオープンし、ブランド+αの新たな発信源として見逃せない存在です。
Instagram:@diaspora_skateboards
PROFILE
〈ディアスポラ スケートボーズ〉のファウンダーであり、フィルマー/ビデオディレクターとしてISSUGI、JJJ、KID FRESINO、LIBROなど数多くのラッパーのMVを手がける存在。最近はラッパーのin-dのバックDJも担当し、プライベートでは二人の子供の父親。
Instagram:@banri_diaspora
20年前の海外サッカーと、
海外のスケーターの姿。
―これまで過去にインラインでもサッカーシャツをリリースされていたりと、(メンバーの)みなさんサッカーが好きなんですか?
小林万里(以下、小林):ユウヤ(※〈ディアスポラ スケートボーズ〉のメンバー/デザイナー)が好きなのと、あとは鷹来(※〈ディアスポラ スケートボーズ〉のメンバーであり、21歳のスケーター)が。ぼくも小学校のころは、いわゆるサッカー少年団でやってたりしていました。
ぼくらが幼稚園の時にJリーグが開幕して、もうヴェルディ(の黄金時代)でしたよね。その当時はみんなサッカーをやってるみたいな。
―たしかにその世代ですよね。
小林:あと観るのが好きなんですよね。深夜のスポーツニュースで、一通り試合の結果をチェックしながらストレッチしたりとか。YouTubeでダイジェスト集とかひたすら観ちゃいますね。
―あー、それすごいわかります。
小林:あとはサッカーシャツっていうと、昔〈チョコレート スケートボーズ(CHOCOLATE SKATEBOARDS)〉にジーノ・イアヌッチってスケーターがいて。今もバリバリ滑ってるんですけど、彼がサッカーシャツを着て、〈ナイキ(NIKE)〉のトレシューで滑っていたんですよ。
それがめちゃくちゃかっこよくて、 “サッカーシャツを着てスケートしてもいいんだ”みたいなのが、高校生くらいのときにありましたね。
―ジーノ・イアヌッチから影響を受けて、どんなサッカーシャツを着ていたんですか?
小林:デザインで選んでいましたね。ぼくは特定のチームとかリーグを見てる感じではなかったので。“それ、〇〇のユニホームじゃん”とか言われたら、そこまで思い入れがあるわけじゃないから、ちょっと気まずくなったりしたんですが…。
―逆にデザイン優先で着てたという、そのパターンは初めて聞きました。ハードコアとかOi!の方々とか、結構思想とかが入ってくるじゃないですか。
小林:たしかに。自分は当時、スポーツ量販店で買ったブラジル代表のトレーニングシャツみたいのを着ていたりしてましたね。
―しかもヨーロッパじゃなくて南米のブラジル。
小林:あとサッカーシャツはシンプルに機能性もいいですし。それも夏とかに(スケボーをする時にサッカーシャツを)着る理由のひとつですね。
―高校生のころ、当時のサッカーってどんな感じでしたか?
小林:セリアA全盛期でした。夜にフジテレビで、ジョン・カビラが出てたサッカー番組があったり。
当時はユベントスにいたダービッツが好きでした。あのゴーグルとドレッドが、めちゃくちゃかっこよく見えてましたね。名前も好きで(笑)
―懐かしい(笑)。ネドベドとかデル・ピエロの時代ですね。
小林:あとは日本だと、小野伸二と松井大輔とか。
―そこは柔らかいテクニシャン系なんですね。
小林:好きでした。スーパープレーシーンみたいなのを観るのが好きで。
今は昔のロベルト・カルロスのめちゃくちゃ早いシュートばっか出てくる動画を観てます(笑)。
―YouTubeのおすすめに出てくると観ちゃいますよね(笑)。あと〈ディアスポラ スケートボーズ〉と仲がいい人として、今回のイベントでライブをしたJJJさんや、映像の曲を手がけたSPARTAさんも、サッカーシャツのイメージがあります。
小林:たしかにJ(JJJ)はよく昔着てましたね。SPARTAは白と緑のセルティックをMVで着てたりしますよね。
―それもあってか、〈ディアスポラ スケートボーズ〉にはサッカーシャツのイメージが勝手にあって。自分が不勉強なだけかもですが、他のスケートブランドにそのイメージはないんですよね。
今回の〈ロット〉とのコラボも、当時のフロッキープリントを再現したりとか、マニアックなところにまでこだわるじゃないですか?
小林:そういうのは完全にユウヤですね。〈ロット〉って言ったら、ぼくらの中ではユベントスなんですよ。
―今回のコラボは、小林さんとユウヤさんのふたりでデザインしたんですか?
小林:いや、もうデザインはユウヤに任せて。自分は最初の企画の部分や、ビデオとイベントの制作だったりを動いた感じですね。
スケーターによる、
スケーターのためのカタチで。
―そもそもの〈ロット〉とコラボに至った経緯を教えてください。
小林:MIDNIGHTMEAL RECORDS(※HIP HOPクルーのMEDULLAを中心に活動する音楽レーベル)のDJ WHITE GHOSTさんが、ヨーロッパのスケート事情にめっちゃ詳しいんです。それで以前展示会に来ていただいた時に、“〈ロット〉とかいいんじゃない?”って、ボソッと言ってくれて。
〈ロット〉ってぼくら世代はみんな知ってるけど、意外とその下の世代にはあまり認知されてないし、まだどこのブランドともいっしょにやっていないのもいいなと思ったんです。
―今回のコラボは〈ディアスポラ スケートボーズ〉側から、〈ロット〉へオファーをした流れですか?
小林:そうですね。
―メーカー側からブランドへオファーするのが多いイメージなので、ちょっと意外です。
小林:プレスリリースとかから問い合わせ先を探して。
―それっていつぐらいのことですか?
小林:去年の6、7月ぐらいですね。
―じゃあ半年ちょっと前ぐらいなんですね。さっき言っていた“まだどこともいっしょにやっていない”っていうのは、フレッシュだというポジティブさと、認知されていないというネガティブな面がありますよね。
小林:そうですね。でも、誰よりも早くやることがスケートブランドとしてめっちゃ大事だなと思ってて。
仮にその時に理解されなくても、後で“あの時もう先いってたんだ”みたいな価値観。
―ピュアで天邪鬼なスケーターらしさですね。
小林:今回周りの有識者というか、そういう方々からは“めっちゃやばいじゃん”って言っていただけて。若い子も“知らないけど、なんかかっこいいっすね”みたいな。
その感じがちょっと大袈裟かもしれないですけど、新しい価値観を生み出せているのかなって思います。
―今回アイテムのラインナップを完全に絞って、サッカーシャツだけっていうのも潔すぎますよね。
小林:もう最初からゲームシャツだけ、みたいな感じでした。
―最初の企画段階から、イベントも一緒にやろうって話だったんですか?
小林:最初からではなかったんですけど、〈ロット〉の人たちと“せっかくならなにかやりたいですね”みたいな感じになって。
―よくある、DJの方を呼んでちょっとパーティっぽくしておしまい、みたいな感じではなく、しっかりスケーターのためのイベントになっていたのも印象的でした。抽選で入場無料というのも。
小林:スケーターを主役にしたかったんです。前まではそういう、いわゆるDJを呼んでレセプション的なことを自分たちもしていたと思うんですけど、今回は新しいフェーズにいきたかったというか。
だから今回はミニランプを入れて、スケーターありきのイベントにしたいと思ったんです。ミニランプは地元の昔からの先輩にお願いして、長野から運んで来てもらいました。
―ミニランプを設置するとなると、場所の問題も大変ですよね。天井の高さや搬出入の経路だったり。
小林:場所はダイキくん(※会場となったduo MUSIC EXCHANGE、アフターパーティを行ったSpotify O-EASTを担当。自身のイベント『Erection』を今年は久しぶりに自由が丘で開催予定)にすぐ相談して。
ずっと仲良くさせてもらっていて、ダイキくんのイベントも行ったりしていたんですけど、意外と仕事をいっしょにするのは初めてでした。
―ダイキさんなら安心感しかないですね。
小林:ブッキングもダイキくんに相談させてもらって決めたし、演者の人や裏方さんとの信頼関係もすごいので、本当に色々と助けてもらいました。
―スケボーなり、サッカーなり、もちろん〈ディアスポラ スケートボーズ〉と仲が良かったりっていうラインナップは、小林さんとダイキさんの考えがすごく伝わりました。売れているからとか数字がどうとかではなく、勝手ながら二人には厳格なマナーがあるように思っていて。
小林:仲が良かったりお世話になっていたり、地元がいっしょだったりみたいな、そういう繋がりのあるイベントにしたくて。じゃないと、なんでそういうラインナップになっているか、だれかに聞かれても説明できないですからね。
―〈ディアスポラ スケートボーズ〉は昔から場所を大切にしてる印象です。
小林:ストリートでスケートし終わった後の、ピリついた緊張感とかもすごく大切だし、みんなが解放されてみんなでお酒飲んでいい音楽を聴いて、そこで生まれる別の一体感も最高なので。自分が楽しいっていうのもありますけど(笑)。
まわりからの影響と、
経験から生まれた自然体。
―ちょっと遡りますが、『SYMBIOSIS(※ディアスポラ スケートボーズによる初のフルレングスビデオ)』の発表&試写会が2021年で、今から3年前です。あのころと比べたら、今回のイベントに来ていたお客さんはすごく若い世代が増えたなと思いました。いつ頃から若い世代が増えた実感はありますか?
小林:いつだろう……。『SYMBIOSIS』の時は、自分と同世代かちょっと下か知ってる人、みたいな感じでしたね。それこそ、(実感したのは)今回のイベントかもしれないです。お店(※2022年11月に駒沢にオープンしたパーブス)ができたり、若い世代の鷹来と勇貴斗(※〈ディアスポラ スケートボーズ〉のメンバーであり、静岡在住のスケーター)が(〈ディアスポラ スケートボーズ〉に)入ったこともありますし。
―それって意図的に若い子ともっとリンクしていこうみたいに考えて色々動いたのか、それとも動いていたら自然と若い子がついてきたっていうことで言ったら、どちらですか?
小林:それは前者で。『SYMBIOSIS』の試写会が終わった後に自分たちの次というか、同じメンバーでもう1回新しい作品を作るっていうことが想像つかなかったんです。
―具体的に若い世代へ向けることを考えた時に、まず何からやり始めたんですか?
小林:お店もだし、若いスケーターをライダーに入れることですね。でも誰か新しい人を入れるのが結構難しくて。ぼくの基準もあるし、他のメンバーの基準もありますし。
―“この若い◯◯ってスケーター、かっこよくない?”みたいな話は、メンバーでしないんですか?
小林:あまりお互い言わないですね……。鷹来はシュンタ(※〈ディアスポラ スケートボーズ〉のメンバーであるハカセの本名)が急にインスタの動画だけ送ってきて。それって“この子いいからなんとかしろよ”っていうことだと思ったんです。
―めんどくさいですね(笑)。
小林:(笑)。そのタイミングがちょうど年末で、うちのモデルもやってくれているラクが世田谷公園で滑っていたぼくに声を掛けてくれて。鷹来も友達だったみたいで、といっしょに滑っていて。それで忘年会に連れてきてもらったんですよね。
―個人的に『SYMBIOSIS』の試写会の後、少しづつルックの雰囲気なども変わった印象があって。フレッシュな若さだけでなく、〈ディアスポラ スケートボーズ〉のみなさんを知っているからかもですが、すごくみなさんの顔が背景に見えるようになった気がします。
小林:それはたぶん、逆に本来の姿に戻ったということかもしれないですね。ぼくはハードなHIP HOPとかを聴いてきて、憧れもあって割とあえてハードでアングラな感じを出そうと無理やりしてたみたいなところも、これまではちょっとあるのかなと思ってて。
もちろん今も(ハードなHIP HOPとかは)好きですけど、実際ぼくらの周りで滑ってる人たちは、あまりそういうハードなスタイルを売りにしている訳ではなく、かといってナードすぎる訳でもなく。年齢的なことや環境が変わったりもあって、言い方はあれですけど、すごく自然になっているんだと思います。それはユウヤもChoくん(※〈ディアスポラ スケートボーズ〉のメンバーであり、フォトグラファーとしても活躍)もシュンタも、同じなんじゃないかなって。
―でも、それをわざわざお互い口に出すことはなく。
小林:そういう共有は100%言葉にしなくても、なんとなくはある気はしてます。もう(付き合いが)長いんで(笑)。
―長くいるって、当たり前のようですごいことですよね。
小林:それこそぼくは、そういう意味ではISSUGIくんの柔軟なところというか、そういう姿勢からすごく影響を受けていますね。ISSUGIくんとSPARTAがいっしょに曲をやるのも、お互いの音楽のヤバさはもちろんあると思いますが、お互いスケーターっていうところも根っこにある気がして。
服装やテイストやスタイルで区切ったりしていない、壁を作らないってかっこいいですよね。ISSUGIくんが地元のローカルの子にiPhoneで撮影してもらってたりしていて、その壁を作らないのがスケーターだなって思います。
ファッションブランドではなく、
スケートブランドとして。
―お店を出したり、ミニランプを設置し新たな形でのイベントも行ったりと、新しいフェーズに入ったことを提示している中、今後はどんな動きをしていきたいですか?
小林:最近すごく思うのが、やっぱり〈ディアスポラ スケートボーズ〉をもっとスケーターに着てもらいたいんです。
「パーブス」に来てもらう理由も、〈ディアスポラ スケートボーズ〉の服を着たいと思ってもらうのはもちろん、もっとスニーカーだったりトラックやウィールだったりを増やして、そういうのが目的でもいいと思っています。あとは知り合いの展示とかもやっていきたいですね。
―〈ディアスポラ スケートボーズ〉の旗艦店ではあるけど、オンリーショップじゃない形なんですね。
小林:オープン当初はオンリーショップでやっていこうかなと思っていたんですけど、もうちょっと雑多な感じでもいいかなって。MIX CDとかも置いたりしていきたいです。
―それもさっき言っていた柔軟さってことですね。
小林:そうですね、もっとスケートショップらしい感じ。若い子が(お店に)来てくれて“万里さんですよね”とか声をかけてくれると、これまでやってきたことを見てくれているんだなって感じますし、色々やっていきたいです。
―〈ディアスポラ スケートボーズ〉の若いライダーは、鷹来さんと勇貴斗さんの二人だけですか?
小林:その二人と、あと高校に入学したばかりの響ってやつがいます。今回の〈ロット〉とのコラボを記念して録った『COPPA DIASPORA』は、その3人に出てもらっています。
響はうちの店によく来ていて、話したらすごい音楽とか詳しくて。そうしたら響のお父さんが自分の知っている方だったんですよ。
―鷹来さんと勇貴斗さんもまだ21歳。これからが楽しみな存在ですね。
小林:これまでに上手くてもやめていってしまったやつを結構見てるんで、そうなってほしくない、今以上にかっこいいスケーターになってほしいなって思います。
そういえば響はこの前、J(JJJ)のライブで大合唱してましたね(笑)。
―新しいメンバーを誘うときは、ユウヤさんやハカセさんに相談とかするんすか?
小林:鷹来はみんなで話たりしましたけど、響はもうぼくが(独断で)。最初は店のライダーみたいな感じだったんですけど、この前の〈ロット〉のイベントで響から“〈ディアスポラ スケートボーズ〉のライダー名乗っていいですか?”って言われたから、“いいよ”って。それも嬉しかったですね。
―めちゃくちゃいいですね。
小林:響は〈ロット〉の映像(※『COPPA DIASPORA』)で1番最初に出てくるんですけど、 いいの撮れてましたしね。シュンタも“響、全然いいっしょ”みたいな感じで、いつもはあまり人のことを褒めないんですけど。
これからはどんどんその3人が前に出ていってくれて、自分たちはそのサポートができればいいなと思っていて。
―この前の〈ロット〉のイベントがまさにそれでしたね。小林さんたちが側を用意して、中のスケーターやフィルマーはみんな若い世代で。
小林:その方が絶対いいというか、服のデザイン含めて全部自分やユウヤがずっとやっていても何にもならないですからね。若い子たちに色々覚えてもらいたいし、スケートボードの周りにはこういう仕事もあるんだみたいなことも伝えていきたくて。
でも、結局年上とか年下とか関係なくて、かっこいい人はかっこいいですよね。
―小林さんもお店をつくって若い子にお給料も払わないといけなくなると、よくあるクリエイティブとビジネスの狭間で悩んだりしませんか?
小林:基本的にめっちゃ悩むわけじゃないですし、毎月の支払いとかもありますけど、今のところはいいバランスでやれていますね。やっぱり〈ディアスポラ スケートボーズ〉を好きな人たちに喜んでもらえること、それが正直ハイプなブランドみたいに毎日即完するようなわけじゃなくても、絶対になきゃいけないことだと思いますし。
―ここからの5年、10年って小林さんたちの年齢は世の中的に言えば働き盛りだし、今までの動きを次に繋げながら、自分たちもより成長しなきゃな時期ですよね。
小林:そうですね、現実的にやっぱりお金がないとやっていけないこともあるんで。でも、ガッツリ稼ぐとかが1番の目標じゃなくて、ブランドを続けてスケートをし続けていくためにスケーターにもっとアピールしていきたいですね。
―というのは??
小林:ちゃんとコンスタントに映像を出して、もっとスケーターにガツンと言わせたいなっていうのがあって。今よりもっとスケーターに見てもらって、喜んでもらえる動きがしたいですね。
そういう意味でも、若い人たちの力を借りながらやる必要があるんですよ。〈ディアスポラ スケートボーズ〉はファッションブランドじゃなくて、スケートブランドでありたいんです。
―正直スケーターはいい意味でクセがあるし、オリンピック競技になったとはいえ、まだまだビジネスのマーケットは小さいというか、お金がないスケーターもたくさんいますよね。
小林:だからこそ、そういう子に知ってもらって、服も着てほしいですね。やっぱりそれを思わせてくれるのがシュンタの存在だったりもして。13歳で知り合ってからもう22年以上経つけど、あいつは出会ってからずっと滑ってますから。
たぶん僕の考える方針に対して、(シュンタが)“それ違げえな”って思う時もあったと思うんですよ。でもこの前の〈ロット〉のイベントでは、自分がみた限りはあいつ喜んでくれてて。ミニランプを真ん中に置いて、やっぱりスケーターが主役だよなって。スケーターが1番かっこいいなって、素直にまた最近思えるようになりました。
次世代を担う鷹来と勇貴斗。
二人のスケーターとディアスポラの関係。
小林万里のインタビューにあるように、〈ディアスポラ スケートボーズ〉の次世代を担う若手スケーターの鷹来と勇貴斗。二人はどのように〈ディアスポラ スケートボーズ〉を知り、リンクし、いまに繋がっているのか。二人へのショートインタビューから、〈ディアスポラ スケートボーズ〉の今までとこれからも感じてみてください。
PROFILE
東京生まれのスケーターで、現在は「パーブス」のショップスタッフの顔も。毎日のルーティーンは、「パーブス」に出勤し、仕事が終わったら仲間のスケーターと食事をして街へ繰り出し、終電ごろまでストリートでスケート。終電を過ぎたらプッシュで家まで帰るそうです。
Instagram:@takara19skt
PROFILE
静岡県静岡市清水区出身で、現在も地元に在住。2021年に開催された『東京2020オリンピック』では、17歳で日本代表として出場。〈ディアスポラ スケートボーズ〉のライダーとなり、ストリートの魅力にもハマっているそう。プロスケーターとして世界が注目する存在のひとりです。
Instagram:@_yukitoaoki
憧れのラッパーの音楽で、
フルパートを目指して。
―まず二人が〈ディアスポラ スケートボーズ〉を知ったのは、いつ、どんなタイミングでしたか?
勇貴斗:親父がダンサーだったり先輩の影響で音楽が好きで、 Fla$hBackSとかのMVを観ていて最後にマーク(※〈ディアスポラ スケートボーズ〉のサークルロゴ)が出てくるじゃないですか? それで“このマークなんなんだろう?”と思って調べた感じですね。
鷹来:おれは「モータル(MOTAR)」によく友達と遊びに行ってて。その時はハカセがまだ(「モータル」で)働いていて、そこから自然な流れで知ったって感じですね。
―それって何年前くらいのことですか?
鷹来:いつだろう? たぶん4〜5年前くらいだと思います。
勇貴斗:自分は3年くらい前な気がします。
―勇貴斗さんはずっと静岡で、鷹来さんはずっと東京ですか?
勇貴斗:そうですね、静岡の清水ってところです。
鷹来:ずっと渋谷や新宿あたりです。
―勇貴斗さんはサークルロゴ=〈ディアスポラ スケートボーズ〉っていうのがわかってから、アパレルとかはどのタイミングで触れたんですか?
勇貴斗:もう知ってすぐにですね。地元に「ストーリー(SOTRY)」っていうショップがあって。そこで〈ディアスポラ スケートボーズ〉を取り扱っているのを知って行きました。
―最初になにを買ったか憶えてますか?
勇貴斗:Tシャツを買いました。たしか水色のサークルロゴのやつ。
―鷹来さんは「モータル」でハカセさんと出会って、そのあとはどんな流れで〈ディアスポラ スケートボーズ〉とリンクしていったんですか?
鷹来:ハカセと知り合ったあとも、(〈ディアスポラ スケートボーズ〉を)やっているのがだれとかは最初全く知らなくて。それこそハカセがやってるのかなって思っていました。
そんな時に「モータル」でフリマのイベントがあって。そこに〈ディアスポラ スケートボーズ〉が出ていて、“このTシャツいくらですか?”って聞いたのが万里さんだったんです。“1円でいいよ”って言ってくれましたね(笑)。
―優しいですね(笑)。
鷹来:〈ディアスポラ スケートボーズ〉のルックとかでモデルをやってるラクって友達がいるんですけど、ラクに忘年会に誘われてそのタイミングで初めて(万里さんと)しっかり話しましたね。
元々T19(※今は亡き大瀧ヒロシ氏が率いる東京を代表するスケートチーム)の大滝さんにすごくお世話になっていて、よく「イーズ(EAZE)」に行っていたんですよ。それで以前ヨッピーさん(※江川芳文氏)にもらった〈オンブレニーニョ(Hombre Nino)〉のTシャツを着ていて、それを見てくれていて憶えてくれてたみたいです。
―21歳で先にT19の方々と繋がっていたって面白いですね。勇貴斗さんは清水で物理的な距離がある中、どんな形で〈ディアスポラ スケートボーズ〉のメンバーとリンクしたんですか?
勇貴斗:〈ディーシー シューズ(DC SHOES)の『TEPPEN』ってイベントがあって、その時に万里さんも来ていて。〈ディーシー シューズ)〉と〈ディアスポラ スケートボーズ〉がコラボするタイミングだったみたいで、サンプルを見せてもらったりしました。
―なるほど。ではお二人が〈ディアスポラ スケートボーズ〉のライダーになるタイミングはいつになるんですか?
勇貴斗:結構自分が一方的に好きで、イベントがあればイベントについて行ったり、一緒に動ける時は動いて気づいたらって感じですね。それこそ松本のイベント(※地元の松本へ戻ったハカセがオープンさせた「キャノーラ スケートショップ(CANOLA SKATESHOP)」の周年イベント)も行ったりしました。
鷹来:おれは忘年会に誘われて、“事務所遊びに来なよ”って言ってもらったので、その後すぐに遊びに行くようになって。そっからって感じですね。
―普段、鷹来さんと勇貴斗さんが二人で連絡取ることとかはあるんですか?
勇貴斗:東京に行く時は一緒に動いたり連絡しますけど、普段は特にないんじゃないかな?
鷹来:そうだね、勇貴斗は海外とか(行く機会が多く)忙しいと思うんで。
―二人がこれから〈ディアスポラ スケートボーズ〉のライダーとしてやりたいことを教えてください。
勇貴斗:色んなところへ行って、いい感じのスケートビデオを出したいですね。
鷹来:自分もまずはスケートをしっかりやりたいですね。
―それぞれ自分のパートにどんな音楽を入れたいですか?
勇貴斗:ずっとFla$hBackSのFEBBが大好きなんで、FEBBですね。
鷹来:『COPPA DIASPORA』でも使われていましたけど、自分はSPARTAくんにお願いしたいですね。