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【FOCUS IT.】TATTOO STUDIO YAMADAの新店舗がオープン。代表の山田蓮に聞く、新店舗と自身の未来の話。

渋谷区は神泉のマンションの一室に小さなタトゥースタジオを構えたところからスタートした「TATTOO STUDIO YAMADA」は、今年で5年目を迎えます。そんな節目とも呼べる今年2024年に、満を持して2店舗目となる「Born Losers」をオープンさせるということで、代表・山田蓮氏に新店舗内でインタビューを実施。

この5年間で自身をとりまく環境がカラッと変わったと語る山田氏に、新店舗のことから昨今のタトゥーシーンにいたるまでざっくばらんに伺いました。時折少年のような表情をのぞかせるその笑顔の奥に、タトゥーシーンの次世代の担い手としての確固たる覚悟が垣間見える、そんなインタビューとなりました。

Photo_Kai Naito
Text_Naoya Tsuneshige


PROFILE

山田蓮

「TATTOO STUDIO YAMADA」の代表を務める、1995年生まれ、福島県出身の29歳。20歳で彫り師を志し、21歳のときに本格的に彫り師としての活動をスタート。自身のYouTube「OMOSSY CHANNEL」も人気を博し、そのほかアパレルに農業など、タトゥーアーティストだけにとどまらず幅広い分野でその才を発揮する。
Instagram:len.5

愚直に、ただひたすら登っていくだけ。

ー 開始早々、耳を疑うようなトピックが聞こえてきたんですが…?

山田:そう、実はロサンゼルスに移住するんです、ぼく。今年か、来年か、近いうちに出発して、3〜4年向こうでタトゥーアーティストとして活動しようかなと。で、現地でお店を構えることを目標に、それを達成できたら帰国しようと思っています。

ー 海外に行くというのは、タトゥーアーティストとして活動を始めたときからの目標だったんですか?

山田:いや、まったく。最近決めました(笑)。話すといろいろ長くなるんですが、単純に“おもしろそうだから”というのが最も大きな理由ですね。

アメリカ以外にもタトゥー文化はもちろん存在していて、そのどれもが魅力的ではあるんですけど、タトゥー以外の部分に注目したときに、ファッションや音楽、そしてバイクなど、いまの自分のルーツになったものが多く存在するアメリカにまずは行ってみようかと。

ー そのルーツというのが、この新店舗「Born Losers」には色濃く反映されている、と。

山田:そう思いますよね。でも実はそういうわけではないんです。なんならそういう要素は無くしていこうと思っているくらい。いまって、ありがたいことにたくさんの方が連日来店してくださっていることに加えて、うちに所属するアーティストも、見習いを入れると12名という大所帯になっているんです。

で、同じ絵を描くアーティストが1人もいないことが強みなんですけど、そうなると作家性の高いアーティストがいれば、ぼくみたいにアメトラが好きな人間がいたり、チカーノタトゥーを得意とする人間がいたりと、メジャーからアウトローまでさまざまなテイストが存在する。それをなんとなくでも分られたらと思っていたんです。

ー いままでの「TATTOO STUDIO YAMADA」を入口的な立ち位置とするならば、タトゥーカルチャーそのものにより興味を持ち、深く入り込みたいと思った人が訪れるのが「Born Losers」ということですね。店舗名もとても特徴的なのですが、これの由来は?

山田:直訳すると“生まれながらにして負け組”って意味なんですけど、そう思ってたらなんでもやれちゃうっていうか。これより下はないんだから、あとは登っていくだけだって前向きになれるんですよね。そんなぼくの好きな言葉を2店舗目の名前にしました。

ロサンゼルスに行くのだってかなりの挑戦。だけど一歩を踏み出せるのは、この言葉がぼくのなかにあるからなんだと思います。スタジオのメンバーからは、まだ本当に行くのか疑われてますけどね(笑)。

ー 1店舗目から徒歩10秒。目と鼻の先に2店舗目をオープンしたというのは何か意図があったんですか?

山田:偶然なんです。幸運が重なったというか、人に恵まれたというか。でもこの原宿というエリアは、やっぱりさまざまなカルチャーが交差していて、街も人もおもしろいところ。それをさらに盛り上げるというとちょっとおこがましいですが、その一端を担うことができたらいいな、と思っています。


めまぐるしく変化する、タトゥーを取り巻く環境と自分たちの在り方。

ー 1店舗目のオープンからいまに至るまで、この5年間で環境は大きく変わったんじゃないですか?

山田:そうですね。この5年間で180度変わったと言っても過言ではないくらい、変わったと思います。ぼくが始めたころはこの世代で彫り師を志すと周りに言うと、「まじで?」「それ大丈夫なの?」みたいな不安の声が圧倒的に多い職業ではあったんですけど、それが変わったひとつのきっかけが2020年に行われた裁判ですね。

ー それはどんな裁判だったんですか?

山田:それまではタトゥーを彫るという行為は医療行為で、医師免許が必要とされていたんです。でもその法律と戦ったとある彫り師さんがいて、タトゥーは医療行為ではなく芸術だと主張して、それが認められたという裁判ですね。大々的に彫り師として活動できるようになったし、自分で「彫り師です」謳えるようになったひとつのきっかけがコレ。

ー SNSの急成長というのもありそうですよね。好きなアーティストやスポーツ選手が彫っているタトゥーをすぐに調べられたり、DMですぐに彫り師に連絡ができたりする時代ですから。

山田:うん、それも大きい。いまの若い子ってそういうのが本当に上手ですからね。ぼくもすでに置いていかれてると思っているので、ついていくのに必死ですよ。

ー そんなことないと思いますよ(笑)。みなさんがアパレル事業や農園を運営しているとぼくが知ったのも、蓮さんのインスタグラムやユーチューブですから。やはり発信が上手なんだと思います。その2つの事業についても聞かせてもらえますか?

山田:アパレルに関しては、実は全くやるつもりはなかったんです。服のことはずっと好きではあったんですけど、彫り師としていっぱいいっぱいだったしやっている余裕がなかったから。だけど、あるときから「自分はいろんな事情があってタトゥーは彫れないんだけど、あなたの絵が好きなんです」って言ってくださる方がちらほらと増えてきて。

その人たちのために何ができるかなって考えたときに、はじめてアパレルに挑戦してみたんです。自分に彫れないという人に向けて、自分の作品を描いたTシャツをつくってそれを着てもらえたらいいなって。それが最初ですね。

そうなると元々服好きなもんだから、「じゃあこんなのもつくってみてぇな」みたいな感じであれよあれよといろんなアイテムができて、いまではアパレル事業としての代表がいるまでの規模感になっています。

ー 農業はどういうきっかけで?

山田:ぼくの地元の福島県でやってて、同級生といっしょにやっている事業なんです。同級生が農家になって“いつかは1人でやってみたい”って話を聞いてたから、じゃあ「お前が一人前になったらいっしょになんかやろうぜ」という話を飲みながらずっとしてて。

それで、いざ彼が一人前になったタイミングで「あの話覚えてる?」という話をしていまに至る、という感じですね。

東日本大震災が起こって、当時は高校生くらいで地元である福島県にしてあげられることっていうのが何もない、何もできないという状況だったんです。でもそれから時が経ち、いまならなにか貢献ができそう…と。それが古くからの友人との約束に繋がったというわけです。

ちなみに、ぼくらが育てているのは“無農薬のニンニク”です。ニンニクスパイスとか、ニンニクチップとか、加工品に徐々に力を入れていっているところ。ぼくらみたいな若者が農業に関わることで、福島県だけでなく、農業という業界全体が少しでもおもしろい方向に転がっていけばいいな、と日々土と向き合っています。


人生は蓄積してなんぼ。山田蓮が見据える業界の未来と自身の行く末。

ー 店舗数拡大、海外移住、そしてタトゥーアーティストとしての活動だけでなく、さまざまな事業に取り組む蓮さんですが、蓮さんにとってのゴールとは何なんでしょうか?

山田:ゴールは…ないですね。ぼくっていろんなことにすぐ興味を持っちゃうんですよ。でもそれってすごくいいことだと自分では思ってて。タトゥーアーティストとして生きるなら、一生絵を描き続けて、一生タトゥーと向き合うべき、みたいな考え方もあると思うんです。

ー 遊ぶ暇があるなら絵を練習しろよ、と。

山田:そうそう。でもぼくはそうじゃなくて。やることはちゃんとやる、その上で一度しかない人生のなかでどれだけのことを経験して、体験して、それを自分の血肉にしていけるのか…、っていうのがぼくのなかでの“こうありたい人生”なんですよね。

だって農業だって、言っちゃえばタトゥーアーティストにとっては必要のないこと。だけど、やってもいないのにそのことについて語るのってダサいじゃないですか。まずはやってみて、自分のなかでしっかりと理解することが大事かなって。

今後ももっといろんな事業が増えていく可能性もあるけど、その“いろいろ”を自分の身をもって経験した上で、タトゥーに反映していくっていうのが彫り師としてのぼくの考え方です。後輩たちにも「絵ばっかり描いていないでいろいろ遊べよ」って言っているんです。無駄な時間なんてひとつもない、それが必ずいい意味でタトゥーに反映されるから、と。

ー 素敵な考え方だと思います。そういう考え方はご両親からの教えだったりするんでしょうか?

山田:いやそんなこともなくて。たしか湯船で…(笑)、この考え方にいきついた気がします。

ー 師匠につかずに独学でタトゥーを学んだ蓮さんが、いまでも大事にしている大先輩の言葉があるみたいですね。

山田:彫り師同士だとやっぱり商売敵だし、どうしても意識してしまう時期があったんです。それを相談しに行ったことがあって。そのときに言われたのが「敵をつくる意味ってありますか?」だったんです。反発とかはせず、いったんすべてを受け入れる、話はそれからだって。それがさっきの考え方のベースになっているのかもしれないですね。

その考え方にすごく納得してからは、ぼくはすべての物事をフラットに見るようにしているし、敵とか味方とかではなく、同じカルチャーを盛り上げる仲間として、ほかのスタジオの方とも接するようにしています。日本のタトゥーカルチャーの未来を考えたときに、絶対にその方がいいですからね。

ー 同席いただいている「TOKYO HEART」代表・ブナこと細山亮哉さんにも最後にお話を伺います。蓮さんがしばらく日本からいなくなるということですが、それについてはいかがですか?

ブナ:めちゃくちゃ怖いですよ(笑)。ただ、彼の考え方っていうのは他のメンバーにも確かに浸透していて、山田蓮は一時的に海外に行っていなくなるけれど、同じ志を持った信頼できるメンバーがうちには所属している。そういう意味では安心していただきたいですね。

ぼくの目に映る山田蓮は、とにかく生きていくスピードが速い男。だけど彼の意思は確かに受け継がれていて、同じ熱量を持って業界全体を盛り上げようと日々精進するメンバーが揃っています。これからの「TATTOO STUDIO YAMADA」、そして「Born Losers」を楽しみにしていてください。

山田:いいこと言うなー。……ってことです!

ー 蓮さんも安心してロサンゼルスに行けそうですね。最後に“これからの山田蓮”について一言いいですか?

ぼくはアメトラタトゥーをずっとベースにしてやってきたんですけど、最近は日本の伝統の絵画だったり刺青だったり、そういうものへの魅力をとても感じて自分の作品に取り入れるようにしています。

アメトラと日本伝統のデザインをミックスさせるのってあるにはあるんですけど、それの究極系ってまだ完成してないんじゃないかなと思っていて。いまはその終着点を見つける、絵描きとしての旅の最中です。これからも歩みを止めずに、いろんなことに興味を持って自分らしく前進していけたらいいですね。

INFORMATION

TATTOO STUDIO YAMADA

TATTOO STUDIO YAMADA オフィシャルサイト

TATTOO STUDIO YAMADA Instagram:@tattoostudioyamada
山田蓮 Instagram:@len.5

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