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【FOCUS IT.】熊谷隆志の等身大を表現するブランド・GDCが復活。

スタイリストやフォトグラファー、ディレクターなど、ファッション業界で多方面に渡って活躍する熊谷隆志さん。これまでに、ストリートとモードをミックスした〈ネサーンス(NAISSANCE)〉や〈ジーディーシー(GDC)〉から派生したアッパー向けの〈ベンチュラ(VENTURA)〉などのブランドを立ち上げ、ファッションデザイナーとしても国内外でその名を知られる存在です。そんな熊谷さんが、今年の2月20日(木)に自身のSNSにて、90年代後半から00年代にかけてカルト的な人気を誇った〈ジーディーシー〉の復活をアナウンスし、旗艦店も3月8日(土)にグランドオープンします。そこで今回は、熊谷さんのキャリアや〈ジーディーシー〉復活の経緯などについて、話を聞いていきます。

Photo_Satoru Tada
Text_Atsutaro Ito
Edit_Seiya Kato


学生時代はデザイナー志望だった。

ー スタイリストやフォトグラファーなど、さまざまな肩書きで長きにわたりご活躍されている熊谷さんですが、そもそもファッションに興味を持たれたのはいつ頃からですか。

熊谷:いま思えば昔から洋服が好きでしたね。学生時代は“おしゃれな中高生”みたいな感じで、盛岡の「ガルフ・インテレクチャルギャラリー」っていうお店に同世代のファッション好きと集まっていました。そこは日本初の〈クロムハーツ〉正規代理店で、当時からかっこいいショップだったんですけど、その社長さんから僕たちは洋服のイロハを教えてもらっていたんですよ。

ー そうすると、東京の渋谷や原宿に出てくるようになったのは専門学生になってからですか。

熊谷:いや、どちらかというと高校生の頃、16歳くらいの時にはすでに東京に遊びに行ってたんですよね。週末は渋谷とか原宿に出かけて、そこで見た街のファッションに影響を受けていました。なので最初はアントワープ系が好きになったりして、そこからイタカジ、アメカジみたいに、流行っているものにも興味を持つようになります。例えば〈ナイジェルケーボン〉や〈C.P. カンパニー〉、〈ジョルジオ アルマーニ〉とかを友達の親父さんからいただいて着たりしていました。それから高校を卒業して、東京にあったエスモードジャポンっていう服飾専門学校に入学するんですけど、その途中でパリにも留学もして。ちょうどその頃にスタイリストっていう仕事の存在を知ったんですよね。なので、最初はデザイナー志望でした。

ー そうだったんですね。

熊谷:だけど、留学をしている最中に日本のトップスタイリストの方と出会って、日本で雑誌の撮影があるから手伝いをしてくれないか、って聞かれたことがあったんですよ。それでちょっと興味が湧いて、日本に帰国してからその方に電話して、何度か撮影現場のお手伝いをさせていただきました。

ー そこからスタイリストとしてデビューすると。

熊谷:そうですね。あとはそれ以外に、昼は「メイドインワールド」っていうショップでアルバイトをしたり、夜はクラブとかイベントによく遊びに行っていました。そういった中でどんどん人脈が広がり、『メンズノンノ』からアクセサリー特集の企画でオファーをいただいて、24歳でスタイリストデビューしています。

ー スタイリストとして活動している中で、〈ジーディーシー〉を立ち上げたのはどういった理由からですか。

熊谷:後の共同経営者になる人間とTシャツを作ろうよ、くらいのノリで始めたんです。造語に近いワードとか自分の好きな女優の名前とかをプリントした当時としては独特なデザインだったんですが、そのTシャツが一瞬で売れちゃったりしたから、3年もしないうちに気づいたら大きなブランドになっていましたね。

ー なるほど。幸先のいいスタートが切れたといった感じでしょうか。

熊谷:確かに売れたことは売れたんですけど、その分生産するのが大変だったり。そもそもスタイリストがブランドをやること自体、御法度みたいな時代だったので。そこは賛否両論の嵐でしたね。周りに気を使う部分は当然ありましたが、その中でもスタイリストを続けながら筋を通してやっていました。例えば、リースしたアイテムと同じものは作らないとか。だからこそ〈ジーディーシー〉は古着がベースになっているんですよ。

ー 〈ジーディーシー〉のブランド名の由来について教えてください。

熊谷:その頃はアメリカの地名から名前を取るとヒットする、みたいな自分の中のジンクスがあって。それで壮大な“グランドキャニオン”から頭文字をとって〈ジーディーシー〉にしました。ほかにも「レイク タホ」っていう会社を作っていたり、同じ名前でカメラマンとしても活動していて、〈ベンチュラ〉なんかもアメリカにある地名から取っています。

ー 当時はどういった人が〈ジーディーシー〉を着ていましたか。

熊谷:Dragon AshのKJくんや俳優の浅野忠信くん、窪塚洋介くんとかがよく着てくれていたので、そのファンの方だったり、あとはクラブイベントで遊んでいるような人たちが着てくれていた印象です。時代的にも裏原宿がものすごく盛り上がっていた時で、僕がアルバイトをしていた「メイドインワールド」でも販売させてもらっていました。当時はTシャツを400枚刷って、それが即日完売する感じだったから、生産するだけでも本当に忙しかったですね(笑)。

古着をベースにこれまでの経験を踏まえつつ、トレンドも取り入れたラインナップに。

ー 1998年に〈ジーディーシー〉が始動して、2010年にディレクションを離れて今回の復活に至った経緯を教えてください。

熊谷:直近で仕事をしていたブランドのディレクションを退任してから1年くらい、その前も〈ネサーンス〉や〈ベンチュラ〉など、さまざまなブランドのデザインにも携わったりしていました。そうやって細かくやってきた分、忙しさもあり、僕の考えていることが表現しきれないから、もうまとめて1つのブランドでやろう、と。そういった理由もあって、今年の3月に〈ジーディーシー〉を復活させることにしました。なので今回は、いまの僕の等身大の気分を表現したり、若い世代に対しても響くようなアイテムづくりをしていこうと思っています。

ー 当時〈ジーディーシー〉で人気のあったアイテムの復刻などは予定されていますか。

熊谷:やっぱり昔からのファンは大切にしたいので、ナスターシャ・キンスキー(Nastassja Kinski)っていう女優が裏テーマのKinskiグラフィックとか、手の込んだ仕様で当時としては相当な作り込みをした記憶のあるナポレオンジャケット、〈ジーディーシー〉の代表アイテムとして説明不要な人気を誇ったスタジャンなど、当時人気の高かったアイテムを復刻していこうかと思っています。それでもメインはいまの僕の気分を表現していこうと思っているので、古着をベースにこれまでの経験を踏まえつつ、トレンドも取り入れたラインナップを予定しています。

ー 〈ゾフ〉や〈サタデーズ ニューヨークシティ〉など、熊谷さんと言えばコラボレーションの名手というイメージもあるのですが、そういったことも今後〈ジーディーシー〉では展開されていくのでしょうか。

熊谷:もちろんやっていきますよ。というのも、他のブランドやアーティストたちとコラボレーションを精力的にやるようになったのは直近でディレクションしていたブランドからで。作ったコラボを毎週末オンラインで売るっていうシステムを定着させた自負はあります。旗艦店や僕の原点でもある地方のショップなどのオフラインも重点的にやって、コラボレーション以外も含めて毎週末何かしらのリリースをする予定です。

ー とても楽しみですね。もしも現時点で何か話せる情報がありましたらお伺いしたいです。

ご近所のフイナムさんだけに明かす特別情報ですよ(笑)。実は〈ジーディーシー〉復活後の最初のコラボレーション相手はDragon Ashなんです。KJくんも昨年の11月に「Zepp Haneda」で行われたThe BONEZとの2マンツアーで着てくれていて、発売前から少し話題になっているんですよね。

ー ありがとうございました。

熊谷:こちらこそ、ありがとうございました。新しくできたお店もぜひ楽しんでください。

INFORMATION

GDC 代官山店

住所:東京都渋谷区代官山町2-5 コレタス代官山 1F
営業時間:3月8日(土)、9日(日) 11:00〜20:00 / 3月14日(金)〜16日(日) 12:00〜20:00 ※以降の営業時間はSNSで告知予定

gdc.tokyo
Instagram
takashikumagai.com

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