vol.31

District UNITED ARROWS

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10周年を迎えたディストリクト。
キーパーソンの3人に集まってもらいました。

他にはない個性を発揮し、今も進化を続けるディストリクト ユナイテッドアローズ。今年はオープン10周年というメモリアルイヤーということもあり、すでに店頭には記念アイテムも並んでいます。この店を語る上では外せないお三方に快進撃を続ける秘訣などを伺いました。

ディストリクトは時代的に必要だと判断してオープンした。

ー今や全国的にも注目を集めるディストリクトですが、元々の開店に至るまでの経緯を改めて教えて下さい。

篠田和彦さん(以下篠田、敬称略):事の発端というと、うちの栗野と〈コム デ ギャルソン〉の川久保さんでオム プリュスを展開する店を作りたいねっていう話ではないかと思います。UAでは〈コム デ ギャルソン〉シャツを通して川久保さんとは仕事をさせていただいてはいたんですが、一緒に何か新しい試みをしてみたいというのが発展した経緯がありました。

ー最初はギャルソンにフォーカスが当てられた形でスタートする計画だったんでしょうか?

篠田:もちろん、それだけではありませんよ。コンセプトは「どこにもない店」というもので、鴨志田をはじめとした敏腕バイヤーにも他とは違うバイイングをするように指示が出されていたくらいですので。ただ、オム プリュスのために取り入れた要素はありますね。ギャルソン側からの派遣ではなく自前の販売員で接客をさせてもらえたのもディストリクトが初ですし、UAでは使用していなかった鏡面仕上げの什器を用いたのもそのためです。

ーオープン当初の雰囲気は今とはまた違ったものでしたよね。

吉原隆さん(以下吉原、敬称略):その頃の俺はまだPR担当だったんだけど、入りにくい店作りを実践してるなぁと思ったよね。
森山真司さん(以下森山、敬称略):まず通りから直接アクセスできないという面からして特殊ですよね。一度1Fに入ってから内階段で上がらなければいけないという。あとは店内外の仕切りをなくそうと試行錯誤して、本物の芝生が敷かれていたりしたので特異な印象はあったでしょうし。それに当時の店内は無音にしていて、お客様との対話をミュージックにしたいという思いを持って接客していました。
吉原:朝、出勤したら芝生に水をあげたりしてな。天然モノだからハサミムシが出てきて店内を徘徊したりして大変だったよ。

ーその当時のキャットストリートは今とはまた違う雰囲気だったでしょうしね。

篠田:この通りにはhhstyleしかめぼしいショップはありませんでしたよね。あとは勝手に露店を開いてストリートブランドのバッタもんを売る連中がいたくらいで。
森山:店先で堂々とやってるんで、何度か警察に通報しましたね。

ーオープン時の品揃えはどんなものだったんですか?

篠田:当時は所謂クラシコイタリアが盛り上がってた時期なんですが、ディストリクトで展開するスーツはベーシックな2つボタンのみ。ある種のアンチテーゼだったのかも知れません。シャツは白だけで、ネクタイはソリッドのものだけにこだわっていました。〈サルトリオ〉や〈ベルベスト〉をはじめ、リングヂャケットに生産依頼していたオリジナルのものが軸でしたね。当時は全国的に見ても白シャツの品揃えは突出してたと思います。〈アンナ・マトッツォ〉や〈ルイジ・ボレッリ〉などの140双のブロードとか。
森山:その頃はウィメンズの雑貨を扱っていたこともあり、そういったアイテムとの共存も考えたラインナップだったんだと思います。
篠田:川久保さんと何か関わりが深いアイテムなども展開させていた記憶があります。例えば〈グローブトロッター〉なんかは内装を漆黒にするように川久保さんが依頼した別注したものでしたし、プルトップを繋げて作った〈エンリー・ベグリン〉のベルトなどは彼女が初めて目を付けたアイテムだったんじゃないかな。
吉原:栗野との付き合いからメンズ展開をするようになった〈マンド〉や〈ピエール・アルディ〉などはこの店が初めて日本に紹介したんじゃないかな。〈アンダーカバー〉に3型別注で作ってもらったバッグとかも覚えてるね。
篠田:今も続く「クリエイティビティ&クラフツマンシップ」というテーマは開店当初から徹底していたんだと思います。

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初代店長の篠田さん。豊かな感受性で時代の空気を読む天才です。

ドレスとカジュアルというセグメントを超えた提案。

ーディストリクトは、ギャラリースペースも特徴的ですよね。

篠田:色々とトライアルを重ねましたよね。あの空間をいかに上手く活用できるかということを常に今でも考えています。〈シャンハイ・タン〉の世界観を投影した店を作り上げたり、〈バング&オルフセン〉を置いてみたり。東京デザインウィークと時期が重なった時などは、それに連動したモノを意識的に配してみたりもしました。AIBOが歩き回ったりしてた頃もありますしね。
吉原:AIBO専任で世話するスタッフもいたしね。
篠田:オープンして数年が経過するとメンズのオリジナル開発と強化も推し進めていくようになりました。多分、最初のヒット商品はイージーパンツですかね。
森山:見た目はドレスな感じで、決して〈グラミッチ〉のような印象を与えないようになっているのに穿くと楽チンだという...。
吉原:切り口は常に大人だよね。栗野との付き合いから発展して〈ノリコイケ〉も扱うようになるけど、トラッドマインドがそこからも見てとれるもん。
篠田:確か〈エンリー・ベグリン〉にビーズタッセルが特徴のメンズシューズも作ってもらったと思います。
吉原:それは確か俺のアイデアだったかな。その頃から色々と面白くなっていった気がする。
篠田:10万円以上するシューズが年間で100足以上も売れましたからね。しかも、うちのお客様は高い靴でも躊躇なく履き倒す方が多かったですね。
吉原:例えば〈ジョン・ロブ〉とかだと大事に大事に履いてしまいがちじゃない? でも同じくらいの価格帯でもワークブーツ感覚で履いてしまうというね。
篠田:ドレスもカジュアルも関係ないんですよね。これはこう着るべき、合わすべきなんてナンセンスじゃないですか。基本を知っておくことは必要ですが、もっとコーディネートなんかは自由なものなんですから。 吉原:自分たちが面白がって欲しいものを色々な人を絡めて作ってもらってただけだからね。その熱が1番大事なんじゃないかな。アイテムで見せて、スタイリングや提案も自分たちから同時に発信していってたし。ウールのパンツに〈ニューバランス〉の2001を合わせてみたりとかは、うち発信だよね。

ーそういった提案が響いたのは、どういった客層だったんですか?

篠田:タイドアップが義務づけられていない仕事の方が来店してくれるようになっていきましたね。さっきの話じゃないけど、高額商品でも着倒すマインドを持ってる人が多いように感じます。

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ご存知、番長こと吉原現店長。クレバーな指示でディストリクトをまとめる司令塔です。