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草彅洋平(東京ピストル)株式会社東京ピストル代表取締役1976年東京生まれ。あらゆるネタに対応、きわめて高い打率で人の会話に出塁することからついたあだ名は「トークのイチロー」。インテリア会社である株式会社イデー退社後、2006年株式会社東京ピストルを設立。ブランディングからプロモーション、紙からWEB媒体まで幅広く手がけるクリエイティブカンパニーの代表として、広告から書籍まで幅広く企画立案等を手がける次世代型編集者として活躍中。www.tokyopistol.com/

トークのイチロー就活日誌

草彅洋平(東京ピストル)
株式会社東京ピストル代表取締役
1976年東京生まれ。あらゆるネタに対応、きわめて高い打率で人の会話に出塁することからついたあだ名は「トークのイチロー」。インテリア会社である株式会社イデー退社後、2006年株式会社東京ピストルを設立。ブランディングからプロモーション、紙からWEB媒体まで幅広く手がけるクリエイティブカンパニーの代表として、広告から書籍まで幅広く企画立案等を手がける次世代型編集者として活躍中。
www.tokyopistol.com/

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クリエイティブ・ドリーム

2012.02.29

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先日あるアンケートに答えたところ、大反響を頂戴してしまった。

EYESCREAM 「あのクリエイターが語る、今の夢」というアンケートである。

 

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「クサナギくんのアンケート、めっちゃパンクだったよ!」

本サイトで「痛快!スモールダディ。」を連載しているカルロス氏に唐突に褒められた僕は、アンケートに答えたことすらすっかり忘れていた。なんの話なのだか意味が分からないくらいのド忘れである。サイトを検索したら出てきたので、「編集部さん、アップ教えてよ...」と思って読んでみたら、「これはヒドイ...」と正直落ち込んだ。オサレなメンツがアツ〜イ夢を語る中、僕だけ狂犬のようにエッジが効き過ぎなのだ。それもどうやら広告タイアップじゃないか...。至上最大のステマ師を名乗る僕としては、至上最大の大失敗だと忸怩たる思いがあった。

そもそも、書いたことすら忘れていた理由はこうだ。1月頃、「アンケート答えてください〜」と編集部から突然頼まれ、ものの5分で「なんじゃこの企画は!」と怒りもあって字数ピッタリに返した。そうすると、編集部から「メッチャ早い原稿ありがとうございます〜! すごいですねえ!!でもですね、こちらはキャンペーン系なので、きちんと書いて下さい〜」などと連絡が入るのが普通、と思っていた。しかし音沙汰はない。その後、仮アップの連絡もなかったので、そのまま忘れたというわけである。

 

それがそのまま確認もなしに掲載されるとは...。

「この人選に選ばれたのもナゾだが、この返答もないよな...」と書いた本人すら思うわけだから、広告クライアントも担当の編集者Aくんの恐ろしさが分かるだろう。

しかしながら、原稿はストレートな僕の意見である(そのまま載せてくれたAくん、ありがとう!)。おかげで、毎日のようにさまざまな人々から「クリエイティブ・ドリーム!」と件名に書かれただけのメールを頂戴したり(嫌がらせかよ...)、飲み会で「クリエイティブ・ドリーム!」と叫びつつ朝まで乾杯したりしているので、この機会に本誌を借りて、何故この原稿を書いたのか掘り下げてきたい。


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*ファンから来る「クリエイティブ・ドリーム!」というメールの一例

まず僕がこの世でもっとも憎むもの、それはクリエイティブ・ドリームである。

クリエイティブ・ドリームとは、読んで字のごとく「クリエイターの夢」のことだ。

 

クリエイティブ系の仕事に就いていると、いやがおうにもクリエイティブドリーマーたちに直面することが度々ある。僕はこういう系統の人たちが大変苦手なのだ。デザインやSNS化される世の中に過度な夢を抱いていて、ちょっと企画会議などで会話をすると「コミュニケーションをデザインしましょう」とか、「新しい組織編成のプラットフォームにFacebookを活用すればすぐに解決する(キリッ)」とか口にするのだ。あなたの近くにこういうカッコつけた人がいたら、ハッキリ言ってアホ。すぐにツバを吐きかけて欲しい。

なぜクリエイティブドリーマーを憎むのかというと、僕が一番キライなタイプが現実を見てない人だからだ。たとえば代理店から企画会議に呼ばれると、クライアントの現実的な話をすっ飛ばして、「街をジャックしましょう〜!」とか「芸能人の誰々ちゃんを呼んでパーッと盛り上げましょう〜!」とかアイデアを出す昔風な代理店マンに会い、愕然することが多いが、クリエイティブ -すなわちものを発想したり作ったり- とは、マーケティングやコンサルティングの側面が当然含まれている。いま悩んでいる問題を分析し、情報を収集し、目標に効果があるかを具体的に測定するからこそ、企画に具体的な力が生まれるわけだ。だが代理店の人は、あまりのメディアの権力に近いために「オレが世の中を動かしている!」と勘違いしてしまうクリエイティブドリーマーが多いため、夢見がちな、オナニーのような企画をポンポン出してしまうわけである。「予算は?」「そもそもの目的は?」「ターゲットは?」などと一つひとつ付きあわせていくと、そんな安易なノリで出た企画はポロポロと瓦解してしまう。そしてこういうどうしようもない企画は、クライアントの上層部からも出てきやすくもある。突然会社のトップが「ワシが思いついた!」といって、テーブルをひっくり返すことは、この世界ではよくあること。そうした会社の上層部はクリエイティブなどまったく分からない人だからこそ、思いつきの慣性の法則に従って、クリエイティブ・ドリーム(面倒なので以下CDと略す)まがいのことをしてしまうわけである。この2つは現実に即していないという点で極めて酷似している。前に指摘した何でも「デザイン」や「編集」にしてしまう人(松岡正剛さんだけは別格とする)も、単に左翼の言葉遊び -三島由紀夫が全共闘に「マジック」と「手品」は違うと嘲られたのと似ている- に近い、非現実的な「言葉のまやかし」を感じるから、バカバカしく思うわけである。こうしたCDに巻き込まれると、ちっとも前に進まず、本来存在したターゲット獲得のための根本的な解決にならないからこそ、僕は避けざるをえないのだ。

 

そういえばZeebraが伊集院光の「中二病」に対してディスった事件(!?)が先日あったが、夢見がちなクリエイター、CDこそが大人の「中二病」なのだと思う。CDはデザインや編集、ネットやクリエイティブですべてが解決できると思っている。また説得しようとしてくる。それはクリエイターの慢心にほかならない。

クリエイティブの業とは常にものを作り続けるという資本主義の業だ。その業を忘れてはいけない。

昨年の大災害のときに、「デザインで解決しよう」と大勢のデザイナーが動いたが、素晴らしいアイデアもあれば、CDすぎて醜悪なクリエイターもいた。クリエイティブで解決できることもあり、できないこともある。ただそれだけなのに、CDは自分に酔い、だれも助けられないゴミを制作し、自信満々な面持ちで我々のサークルにやってくる。


私たちは皆、ひとりひとりが人生のクリエイター!


そう言われても、業の深すぎる僕はその思想に肯けないし、大人になって関わりたくはない、ただそれだけである。