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FEATURE|SWITCH INTERVIEW 尾崎雄飛 × 金子恵治 服に命を捧げる、愛すべき服バカたち。前編

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SWITCH INTERVIEW

尾崎雄飛 × 金子恵治 服に命を捧げる、愛すべき服バカたち。前編

多くのブランドのディレクションを務め、さらにバイイングなどもこなしマルチな才能を発揮する尾崎雄飛氏と、目の肥えた服好きを日夜唸らせているショップ「レショップ(L’ÉCHOPPE)」のバイヤーである金子恵治氏が、旧知の仲であることを知っていますか? 出会った頃より才能を認め合い、互いにいい刺激を受け続けるという理想的な関係を築く二人ですが、これまで揃ってメディアに登場することはあまりなかったようです。今回フイナムでは、某テレビ番組のフォーマットをお借りして、お互いをお互いにインタビューしてもらいました。二人の出会いについてから始まった対談は次第に熱を帯び、これからのファッション業界が向かうべき方向性についての真摯な議論へと移り変わっていきました。前後編でたっぷりとお届けいたします。

  • Photo_Shinji Serizawa
  • Edit_Ryo Komuta

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ーまずは、お二人の関係性から教えてください。

尾崎:僕が「エディフィス」に入社したとき、金子さんは「エディフィス」のバイヤーでした。そもそも「エディフィス」に入りたいと思った理由が、東京に遊びにいったときに渋谷の「エディフィス」を見て、そのいい意味で狂ってる感じがすごくかっこいいなって思ったからなんです。そのお店のバイイングをしていたのが金子さんでした。これとこれを合わせる!?みたいな感じで、このお店やばいなって思いました。

ーそれまで尾崎さんはロンドンに一時期住んでいたんですよね。

尾崎:はい。ロンドンから日本に帰ってきて、服屋さんで働くつもりだったんですが、そのときにはもう絶対「エディフィス」で働きたいなと思っていて。ちなみに当時の「エディフィス」のオリジナルは小森さん(COMOLIデザイナー 小森啓二郎さん)が作っていて、とにかくいろいろな意味ですごいお店でした。ただ、僕は地元が名古屋なんですが、当時名古屋には「エディフィス」がなかったんです。

ーはい。

尾崎:なので、他のお店でアルバイトしていたんですが、ある日名古屋に「エディフィス」ができるということになって。それがわかったその日に、働いていたお店を辞めました。それぐらい入りたかったんです。

ー晴れて「エディフィス」に入社して、金子さんと会ったときのことは覚えていますか?

尾崎:はい。僕、そもそもバイヤー志望だったんです。ロンドンにいるときにバイヤーの仕事に憧れまして。なので、「エディフィス」のバイヤーである金子さんの存在は知ってました。で、ある日金子さんが名古屋の「エディフィス」に来ることになって。それを聞いたときはかなり色めき立ちましたね。

金子:でもその日、尾崎くんはお店にいなかったよね。

尾崎:そう、その日は休みだったんです。なんですが、その日、金子さんが「味仙」に行くという情報をキャッチしまして(笑)。

金子:あの辛いラーメンね。

尾崎:はい。それで名古屋店の店長から呼び出されて、「味仙」に行ったら金子さんがいました(笑)。バイヤーの金子さんに憧れる僕と、バイヤーの金子さん、というのが僕らの初期設定ですね(笑)。

ー金子さん、そのときのことは憶えてますか?

金子:はい。今思えばなんですが、なんか不思議そうな目で見てるなと(笑)。今の尾崎くんの話を聞いてると、あの時の目はそういうことだったのかなって。そのときたくさん会話を交わしたわけじゃないんですけど、なんとなく面白そうな子だなって思ったんです。会社としても、僕が何年か前に入って以降、全然下がいないという状況で、次のバイヤー候補を探してたんです。ただ、尾崎くんがバイヤー職を希望しているとは知りませんでしたが。

尾崎:希望できるような立場になかったので、オフィシャルには希望していませんでした。もちろん心の中では希望していましたが。

ーそれで、フックアップしたという感じなんですか?

金子:そのあと東京に戻って、ディレクターと話をして、それが足がかりにはなったと思います。

尾崎:それからというものの、本社からやたらと人が来るんですよ(笑)。後で聞いたら「尾崎ってどういう奴なんだ?」ということで来ていたらしく。それで冬のある日、店長から電話がかかってきたんです。そのときちょうど東京にいたんです。しかも「JSバーガー」に。

ー偶然にも(笑)。

尾崎:はい(笑)。で、「尾崎、東京行きたいんか? 本社からバイヤー候補で来いって言われてんねん」って関西弁で言われたのを憶えています。その時点で入社から半年経ってなかったですね。9月入社で、そのとき1月だったので。

ー早いですね、えらく!

尾崎:そうなんです。ただ、お話をいただいたときはまだ僕に早いですって、一回お断りしてるんです。

ーそれはまたなぜですか?

尾崎:ちょうどそのとき車を買い換えたばっかりだったんです(笑)。ローンも残ってるし、東京には車持っていけないしって。それと、真面目な理由としては、きちんと販売の経験も積んでから行くべきだと思っていたんです。それで、お断りしたら店長にマジギレされまして(笑)。「今逃したら次もう一回声かかるわけないやろ」って。「あ、ないんだ」と思いつつ、お引き受けさせていただきました。

ーそれで晴れて金子さんと働くことになったわけですね。

尾崎:ただ、最初はディストリビューターという、入荷した商品をお店に振り分ける仕事をしていたんです。ディレクターからは半年後にバイヤーにするから、とりあえずディストリビューターをやってバイヤーの流れを覚えておけと言われました。

ーなるほど。

尾崎:3月に辞令が出て、4月から東京に来て、6月にはピッティがあったんですけど、そのピッティに出張に行くことになったんです。忘れもしません、6月25日です。そのピッティが初めて金子さんと一緒に行った出張です。

金子:そうだったね。

ーそれがいつ頃の話なんでしたっけ?

尾崎:15年前ですね。21歳でした。

金子:21歳、若いね。。

尾崎:当時いまよりは会社の規模は大きくなかったですが、それでもセレクトショップで21歳でバイヤーになるっていうのは、記録的だったと思います。今だったら絶対ないんじゃないでしょうか。当時だったからあり得たというか。

ー確かにそうかもしれませんね。

尾崎:なので、基本的には憧れの先輩という感じでのスタートでした。さらにこのピッティを機に、勝手に僕の中で師匠になったんです。バイイング教えてくれるんでしょっていう(笑)。

金子:いやー、でも実際は教わることの方が多かったなぁ。

尾崎:そう、あんまり教えてくれませんでした(笑)。

ーそれは盗め、みたいなことですか?

金子:はい。会社のやりかたが、教えるという感じではなかったんです。初代バイヤーからそういう感じでした。一緒に同行してても、何一つ教えてくれないんです。

尾崎:本当にびっくりしましたね。でも、そういう世界なんだなと思いました。

金子:オーダーシートの書き方もわからないのに、「とりあえずオーダーしてみて」って感じなんです。

尾崎:一番最初に〈ウィム ニールス(WIMNEELS)〉、ピックアップしてみろって言われたの覚えてます。「いや、無理です」と思いましたね(笑)。

金子:わかる。懐かしいね。それを真似ているわけではないんですが、未だに僕はそういう感じなんです。子供にも最近言われました。「お父さん背中で見せる系だよね」って(笑)。

尾崎:“金子チルドレン”である僕もそう思います。

金子:当時はバイヤーが3人、プラスボスというチームだったんですが、もう一人の先輩バイヤーも、理論というよりも感覚的な人だったんです。なので、尾崎くんが唯一しっかりしている感じでした。納期とか予算のコントロールなどの計算がちゃんとできるっていう。

尾崎:本当に大変でしたね。そういう自由な人たちと過ごして、世話焼きマンみたいな感じだったので。

ーそのチームでどのくらいやってたんですか?

尾崎:丸2年くらいです。そのあと、僕が異動になったんです。

ー異動になった理由は?

尾崎:いろいろあるんですが、バイイングのやり方が少し合わなくなってきたんです。

金子:さっきも言ったように、感覚的に進めていた部分が多くて、尾崎くんの性格にはフィットしてなかったように思いますね。

尾崎:そうですね。当時は「もっと真面目にやるべきだ」みたいな感じだったんです。

金子:学級委員みたいな感じでしたね、年下の。

尾崎:あとは「エディフィス」全体の方向性が変わってきて、それに僕はちょっと合わなかったっていうのもありますね。その2つが、ちょうど同じタイミングで来たんです。


金子さんの思い出の一品。その1

金子:このキャップを見れば、僕を思い出す人は結構多いと思います。

尾崎:出た!(笑)僕が欲しくて欲しくてしょうがなかったやつです。

金子:思い出深いんですけど、失敗作ですね。全然売れませんでした(笑)。完全に僕の頭、僕の顔に合わせて作ってしまったという。

尾崎:(笑)。このシェイプおかしくないっていう?

金子:コーデュロイとウールの2つの素材で作りました。実は〈カシラ(CA4LA)〉さんに作ってもらったものなんです。何度か修正をして、完璧な形ができたんですけど、まったく人の頭にはまらない(笑)。

尾崎:このハゲちゃん帽は。

金子:そうそう。

金子:これは、尾崎くんが作った、「エディフィス」と〈チャンピオン(Champion)〉のコラボですね。12〜3年前ですかね。

尾崎:懐かしいですね、これ!

金子:これを尾崎くんが企画したときから、今の姿が想像ついてたような気がします。バイヤーよりも作り手寄りというか。その片鱗がこの頃から確実にありました。まだ22〜3歳の頃ですかね。で、しばらくぶりに会ってみたら、やっぱり〈フィルメランジェ〉みたいなことをやってるし。このアイテムは彼の一番最初の仕事、ということなんじゃないでしょうか。

尾崎:ルーツですね。超夢中でこれやってましたもん。他の仕事、全然やってないけどいいのかな、っていうぐらいのめり込んで作ってました。

金子:僕はこういうものづくりって無理なんです。こういう風にものを作れるひとって、バイイングしてても、これだったら作れちゃうな、という理由で買い付けしなかったりすると思うんです。僕の場合は、ちょっと変だったりいびつな感じがするものに惹かれるんですよね。愛嬌があるものというか。だから、尾崎くんと同じ時期にバイヤーをしていましたが、思うこと、考えてることはまったくちがったんだと思います。

尾崎:そうですね。

金子:40歳になってもバイヤーやってるとは思ってませんでしたけどね。尾崎くんはバイイングもしてるけどやっぱり作り手っていうか。それがこのときにはすでに決まってたような気がします。

尾崎:それにしても、よくこれ持ってましたね。

金子:ちょくちょく着てるよ。長持ちするんだよね。

金子:これは僕が17歳のときに買った〈セントジェームス〉です。サイズは少し大きいんですが、無理矢理買って着倒しまくりましたね。 この頃はアメカジが大好きで古着をよく買ってたんですけど、これがはじめてのヨーロッパものだったように思います。

—どこで買われたんですか?

金子:吉祥寺のお店でしたね。そこが「エディフィス」のオリジナルのなかでも卸しをしていた、〈エカッション パーソネル〉を置いてる店だったんです。この〈セントジェームス〉を買って3〜4年後に「エディフィス」に面接に行ったんです。それまであまりヨーロッパものに興味がなかったんですが、これが引き金になって、ヨーロピアンな道に進むことになりました。そういう意味でも思い出深いアイテムです。

金子:尾崎くんが「エディフィス」に入る前の話ですが、「エディフィス」を変えよう! 今までにないことをやってみよう!という時期があったんです。たぶん尾崎くんはその時期のお店を見てかっこいいと思ったんだと思うんですが。

—なるほど。

金子:僕もその頃から弾けだしたんです。これは〈ジェシカ オグデン(Jessica Ogden)〉です。基本、レディースしかやらないブランドなんですけど、お願いしてメンズを作ってもらったんです。その頃、メンズのブランドがつまんなくて、レディースの方がイケてるブランドが多かったんです。だったらそういう人たちにメンズを作ってもらおうというのがマイブームで。そのなかの1アイテムですね。当時、ほかには〈フランク リーダー(FRANK LEDER)〉とかありましたね。まだ日本に入ってなかったんじゃないでしょうか。あとなぜか〈ヴィヴィアン(ウエストウッド)〉とかもありましたね。

尾崎:そうそう。〈ジェシカ オグデン〉、〈フランク リーダー〉、〈ヴィヴィアン ウエストウッド〉、あと〈マノロ ブラニク〉も置いてありました。なんだこの店って!

次のページは、互いに一目を置いているという、二人の関係性について。
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