-
- 2013年
- 2012年
- 2011年
- 2010年
- 2009年
- 2008年
- 2007年
- 2006年
虚し。
2012.03.13
蔡さんの記事にもあるが故人を知る人がまわりに何人かいた。昨年こんなことがあった。状況は似ている。ともすれば同じ目にあっていた。僕も同じように下を向いてやり過ごすタイプでない。明日は我が身という出来事だ。
NYで911に遇い311ではプールで天井が落ちてきた、死んで当然の自動車事故も何度か。でも僕は生きている。ところでその運命ってやつはいったい。
地震が起きて、でも自分も家族も無事で、ああよかった。生き延びた、幸せだ、神様に生かされている。そうやって、ホッと胸を撫で下ろして、家族とテレビの震災特番でも見てたはず。そういう明日の自分は誰でも想像する。
人ってやたら生きる意味とか求めるけど、そもそも意味とかあるんでしょうか。そりゃ宇宙から見たら人も蟻も大差ないわけだし、津波がきて大勢の人が死ぬのと、毎日、何千匹のアリンコが人に踏まれて死ぬのとで同じではないの。蟻を気にして歩く人はいないし、踏み殺して罪を感じる人もいない...などと、震災や光市母子殺害や今回の事件なんか考える度にそういう不条理を感じざるを得ません。
※コメントは承認されるまで公開されません。