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三原康裕から井野将之へ。受け継がれてゆく哲学。

From Maison MIHARA YASUHIRO To doublet

三原康裕から井野将之へ。受け継がれてゆく哲学。

今年の春にブランド20周年を記念したショーを東京で開催し、さらには先日2年半ぶりにパリに舞い戻った〈メゾン ミハラヤスヒロ(Maison MIHARA YASUHIRO)〉。そして同じくパリで発表された「LVMHプライズ」でグランプリを受賞するなど、近年破竹の快進撃を続ける〈ダブレット(doublet)〉。両ブランドのデザイナーが、師弟関係にあることを知っていますか? 〈メゾン ミハラヤスヒロ〉の三原康裕と〈ダブレット〉の井野将之、二人は袂を分かったあとも極めてよい関係性を構築してきました。ただこうしてメディアに揃って登場したことはなく、今回はありがたくもプレミアムな初セッションとなりました。井野が〈ミハラヤスヒロ〉に在籍していたときの話から、互いのものづくりの哲学に至るまで話は尽きず、気づけば取材時間は4時間を超えていました。二人の魂の交配をつぶさに記録した濃密な対談、どうぞ最後までお付き合いください。※この対談は「LVMHプライズ」の発表前に行われました。

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今回はお時間いただきましてありがとうございます。

三原僕たちの対談はこれが最初で最後だと思うので、くれぐれもよろしくお願いしますね。

井野いや、本当にそうかもしれないですね。

三原とかいって、すぐまた別のところでやったりして(笑)。

井野まぁ、それはそれでいいですけどね(笑)。

これまでにお二人の対談企画というオファーはあったんですか?

三原ありましたけど、お断りしていました。これまでは井野くんにとって僕の存在が邪魔になると思っていたんです。〈ダブレット〉が〈ミハラヤスヒロ〉っぽいと思われるのもどうかなと思いますし、井野くんが僕のところにいたっていうのをメディアで話してくれるのは嬉しい反面、そのイメージがついてしまうのは避けたかったんです。でも今の井野くんはもうそんなの関係なくできるだろうという気持ちになったので、今回受けてみようという気になりました。

今日は井野さんが〈ミハラヤスヒロ〉に在籍していたときの話、お二人のクリエイションについて、そしてこれからの話などを伺えたらと思います。あとお互いに聞いてみたいことなども。

三原お互いに聞きたいことって改まって言われても、井野くんとはしょっちゅうやりとりしてますからね。コレクションも発表する前に、お互いに見せ合ってたりしてますよ。「こんなの作ったよ」って。普段から包み隠さず話してるんです。

井野そうですね。〈ダブレット〉の2018秋冬のルックを見せたら「下品だね」って言われました(笑)。下品に作ろうとしてたので、とくに反論もないんですが。

三原下品とか変態って言葉は、褒め言葉だからね。

(笑)。それではまず井野さんが〈ミハラヤスヒロ〉に在籍していたときのお話をお聞きしたいのですが。

三原なにから聞きたいですか? 長くなりますよ(笑)。

よろしくお願いします(笑)。井野さんが〈ミハラヤスヒロ〉に入社したのはいつ頃ですか?

井野三原さんが31歳くらいのときだったと思います。

15年くらい前でしょうか。

三原そうですね。その当時、僕は結構ツッパっていて、アシスタントデザイナーを一切採用していなかったんです。生産管理の人はいたんですが、アシスタントの応募は基本断っていました。そんなときに履歴書が井野くんから届いたんですが、面接のときに「弟子にしてください」って。なんだかタチの悪い奴が来たなと(笑)。

井野すいません(笑)。

三原持ってきたブックの内容は面白かったんですが、結局そのときは断りました。当時のチームは、僕がデザイナーで全部で4、5人くらいの小さな編成。正直、自分の下を育てることをあまり考えたくなかったんです。でも断ったはずなのに、1〜2カ月に1回くらいのペースでアイデアが書かれたわら半紙みたいなものがたくさん送られてくるようになったんです。カセットテープのテープでつくったニットとか、おっぱいの形になったジャケットだとか。

井野さんは覚えてますか?

井野もちろん。今でもそれは持ってます。

三原僕にはクリエイションについての信念があって、それは“なるべくデザインをしない”ということなんです。アイデアの本質というのはとてもシンプルなものであって、デザインというのはあくまでアイデアを形にするプロセス、つまりやらなければいけないことなんです。井野くんがそのわら半紙に書いていたものを見て、それをわかってる子だなと思いました。考えを書いているだけで、デザインをしてないわけですから。結局、その『月刊井野』みたいなものは7冊くらい送られてきました。

それに対して三原さんはなんの返事もしなかったんですか?

三原しませんでした。

井野ちょっとしたストーカーですよね。

三原でもその気合がいいじゃないですか。僕もそうだったんですが、最初に靴を作ろうと思っていろいろ動いていたとき、1回や2回断られるのは当たり前でした。ましてや当時の自分は22~23歳の美術学生ですしね。同じところから10回断られたこともあります。完全にガキ扱いでした。とにかく世の中に対してなんの価値もないところから始まるわけです。

なるほど。

三原ただ、そこに打ち負けるくらいだったら、物事ってなにも変わらない。実際、多くの子たちは1回断ると2度とアプローチしてこないんです。あくまで就職活動の一環みたいな。だからそれと一緒で、井野くんも「1回断ったら来ないだろう」と思っていたんですが、何度も何度も来るので、一回仕事してみようと思ったんです。それで井野くんに「なにしてる?」って電話をしたら「今、ベルト屋さんで働いてます」と。「じゃあ、今から行くから」って、浅草の千束通り沿いにあるベルト屋さんに行きました。

すぐに動かれたんですね。

三原すごく立派なベルトを作っている会社でした。そこの社長さんがすごく井野くんのことを理解している方で、入社間もない井野くんに企画をやらせてたんです。なので、申し訳ないなとも思ったんですけど「来れる?」って聞いたら、すぐ「行きます」って(笑)。

井野はい、間違いないです(笑)。ただ、その社長さんにはずっと言っていたんです。三原さんにデザイン画を送っている話とか。

三原井野くんが革関係のところで働いていたというのもすごく良かったですね。僕もよく浅草界隈には通っていたので。

晴れて井野さんが入社してからは、三原さんは当初どのように接していたんですか?

三原ほかの子には甘かったんですけど、井野くんにはとても厳しくしていました。井野くんは僕のところに7年間いたんですが、最初の頃はとにかく浅草の職人さんのところへ行かせて、そこでギャグをしたりしながら現場の空気を変えること、ようするに職人さんたちのモチベーションを上げてもらってました。この業界は高齢の方も多いんですが、とにかく現場が暗かったら仕事にならないんです。

職人さんをノセないといけないわけですね。

井野最初は「なにもしなくていいから、浅草に行ってみんなを笑わせて戻ってきて」ってよく言われてました。

三原いまだにパソコンを持っていない人も多いのでメールでやりとりができなくて、今もファックスを送って電話してという感じなんです。

パソコンがないわけじゃないですよね?

三原もちろんあるんですけど、靴業界や革業界はそういうのが一切通用しないんです。カンパニーコンプライアンスとか一切ないので、相対する人が好きじゃないと仕事しない、というのも日常茶飯事でした。つまり井野くんが好かれない限り生産が間に合わないということもあるわけです。最初の1年半は井野くんと一緒に工場を回って、そういうノリを叩き込みました。

井野三原さんが行くと、工場のおっちゃんたちが和むんです。みんなが三原さんのことを好いているというのがすごく伝わってきて。それを自分なりに解釈して、できる限り近づこうと努力してましたね。

三原でも井野くんのすごいところは、工場のなかに入り込んで生産とかもやっちゃうことなんです。仕上げとかやってましたし、これは並の根性ではないなと。

井野俺のほうがうまいんじゃないかなって(笑)。

三原そうそう。けどうまくて当たり前なんですよ。量産をしている職人さんは、どうしても日産数を考えるからペースが早くなるので。例えば僕が作るとなった場合は、やっぱり細かいところまで気にするし、周りにきちっとお手本を見せないといけないという側面もあるので、時間もかかります。

その分、より丁寧に作れるというわけですね。ところで、井野さんは三原さんに弟子入りしたいといつごろから思っていたんですか?

井野前の会社で働きはじめたときくらいからです。同じ革の業界で働いていたんですが、三原さんが作る靴の完成度がすごくて、どうやって作っているかまったく分からなかったんです。革ひとつにしてもなぜこんな表情になるのかって。だからものづくりの到達地点を見てみたいと思ったんです。あとはプロセスも。そういった好奇心がありましたね。

三原血が通ったものづくり、ということだと思うんです。同じプロセスで同じ時間を使ったとしても、結局は作り手の気持ちが入っていなかったら、納得するものはできない。不思議なものですよね。ただ今はそういう関係性を築くことがとても難しくなってきていています。でもそのことはいつも考えてますね。MDとかブランディングという言葉があるけれど、熱量とか血が通ったものがないブランドも多いと思うんです。

その点〈ダブレット〉のアイテムには、いろいろな想いが込められている感じがします。

三原そうですね。それは見ていてわかります。命が吹き込まれたもの、という考え方は妄想なのかもしれないですけど、そういうことって商品の向こう側にしっかりと見えると思うんです。だから〈ダブレット〉のタグに、作っている人の名前と感謝の気持ちが入っているのを見てうれしかったですね。ただ、僕はそういう思いは勝手に伝わるものだと思ってました。だから「言葉にしちゃうんだ」って(笑)。でも今の時代はわからない人も多いだろうし、感じ方も違う。だからああいうのもすごく大事だなと思いました。これを作っているのは機械じゃないんだってわかるというか。

井野さっきの職人さんに好かれるっていう話は、自分のことを好きでいてくれる子が僕に作る料理と、その人が別の人に作る料理では、僕に作ってくれる料理の方がおいしいんじゃないかという感じなんです。

三原おいしい気がするよね。でも「まずいな~」と思って食べれば全部まずいし、「うまい」と思って食べれば、うまいんだよ。

井野うん、そういうもんですよね。

お二人がそういうところで通じ合えているのは大きいですね。

三原そうですね。だからあるときから井野くんにデザインをしてもらったんですが、いざやってみたら、阿吽の呼吸でできてやりやすかったですね。「井野くん、このへん考えておいて。なんかこう、変態なことを」みたいな(笑)。

井野で、うわーってなるという(笑)。

でも先ほど井野さんには厳しくしていたとも言っていました。それはどういうことなんですか?

三原僕は、オリジナルの哲学がない限りオリジナル性は出ないと思っています。僕らがやっているようなブランドというのは、表層的なデザインの方法論だけではなく哲学まで教えこまないと、クリエイションの本質には近づけないんです。過去100年以上のファッションの歴史のなかで、ほとんどのことはやりつくされてます。そんななか、あらゆるブランドがいろいろなブランドのアイデアを焼き回しながら、時代感を作っているのが現状です。DJのようにクラシックとヒップホップを混ぜるミクスチャー的なやり方ですよね。ただ、哲学のないブランドというのは表層的にそれを追っているだけになります。ものづくりの本質を見極めようとする気持ちがないとだめなんです。僕もオリジナル性を導き出すために、複雑な数式のようなことをやる場合もあるんですが、一番大切なのは哲学とか信念のようなものがぶれないことであって、そういうところから教えていかないといけないんです。でも、ほとんどのデザインの学校はそういうことを教えてはくれません。そもそも“デザイン”という言葉にはまったく意味がないんです。デザインという言葉を辞書で引くと、設計という意味が出てきます。例えばここを丸くしようとか、そういう作業は設計と言えますよね。それがデザインです。みんながクリエイティブだと思っているデザインはまた別のことなんです。もちろん設計にも知識と技術力は必要です。でも、大事なのは物事の本質を見抜く力とか、頭に浮かんだアイデアをどういう哲学をもって形にするのかということなんです。井野くんに厳しくしたのは、彼はその方法論をすでに理解していたからなんです。

話がわかるがゆえに厳しくしていたと。

三原僕はかっこいいとかダサいとか、何が流行っているとかは一切興味がないんです。そういうことではなく、アイデアの一番根っこの部分をきちんと脇目を振らずに見れるかどうかが大切。でも、自分の信念が通ることってそんなに簡単ではないんです。そもそも僕らが作っているのは量産品なので、1から10まで全部の工程を自分一人で作っているわけではない。量産品を作るというのはどういうことなのか。いろいろな人が関わるなかで、ベルトコンベアーのように流れ作業で作れるわけではないんです。靴なんてとくにそうだと思います。そんなんじゃ通用しない。でも井野くんは革製品を作っていたこともあって、そういうことも最初から理解できていました。だから強く言えたのかもしれないですね。今の人にはそんなに強く言えないです。

言えないですか?

三原言ったらすぐ辞めていきます。だから業界が衰退するんだと思います。一時期、靴の学校がすごく増えて、靴業界に行きたいという人も増えたんですが、誰も残りませんでした。業界的に閉塞感があって、若い子たちがそこに残りたいと思えない。まぁ、ただ根性がないとも言えるんですが。もちろん残っている人もいるけど、衰退していく革業界、靴業界のなかでは入ってくる人の方が圧倒的に少ない。若く新しい作り手たちはそういったしがらみのないところでやりたいと思うので、日本以外の中国で作ったりするわけです。それはそれでしょうがないんですが、井野くんとは「僕らが救世主にならなきゃ」ってよく話してました。

井野そうですね。

三原この先20年、靴を作れる環境にするには今頑張らなくちゃいけないって。でもそうなったとしても、今付き合いのある人はいなくなっていると思うんです。当時でほとんどの人が50代以上だったので。だから必然的に僕らとその下の世代が後世に何を伝え、何を残すかというのが大事なんです。僕らが今の職人たちの姿を知っている最後の世代だし、繋ぎの世代にならなきゃという気持ちでやってきました。

だから職人さんとのコミュニケーションが大事だと教えていたんですね。

三原そうです。浅草に行ったら「井野くん元気?」って誰からでも聞かれるようになってこいとか、業界全体が井野くんの味方になるくらい走り回ってこいと言っていたのはそのためです。デザインとかアイデアとか、商品を作るというのは二の次だったんですよね。

そういった三原さんの作り方は独特なんでしょうか?

三原よく井野くんと一緒に職人さんの事務所へ行ってたんですが、お菓子だけ買って、なにもアイデアを考えないで行くようにしてました。

井野都営新宿線の森下駅にある和菓子屋ですね(笑)。

三原そうそう(笑)。そこでおはぎを買って職人さんのところに行って、目についたものでアイデアを練っていくっていう作業をしてました。

緊張感ありますね。

三原一時間半くらいの打ち合わせの時間で、いいものができなかったら終わりだという状況を作るんです。長く時間をかけたからいいものができる保証はないわけで、この空気のなかで生まれるものを信用できるかどうかというテストをしてました。

即興というか、ライブというか。

三原崖っぷちに立ったときにこそ本質が見えるんです。人間っていいときばかりじゃないから、悪いときでも自分のパフォーマンスをしなければいけない。奥さんに家を出ていかれたから、クリエイションが変わってしまうというのはバカみたいな話で。

たしかに。

井野スプーンを見つけて「スワロフスキーをつけてみよう」とか「ここに穴を開けてみたらどうか」とか、そういうセッションをしてましたよね。

三原やってたね。その職人さんのところが足の踏み場もないくらい、いろいろなものが散乱していて、、つまり超汚いんですけど、だからいいんです(笑)。どんな場所でだって美しいものは作れるし、どんな環境でもひとが感動するものは作れると思うんです。だから最低の環境に身を置くというか(笑)。

なんだか話を聞いているだけで緊張してきますね。

三原でも楽しいよね?

井野はい、楽しかったです。ただ「もうアイデアが出てこない!」と思って三原さんの方を見ると、おはぎを食べてボーっとしたりしてるんです(笑)。けどそう見えて三原さんは、いざとなったらいつでもアイデアを出せる状態なんですよね。

三原以前はアシスタントもいなくて一人だったから、そういう状況でアイデアが生まれないと話が進まないんです。とにかく変わり者ばっかりなので、職人さんは。最初は全然話を聞いてくれなかったし、「こんなところ縫えん!」って言われて、縫う方法を一緒に考えたりしました。けど、そうやってこっちがどんどん勉強して吸収していくと職人さんたちも少しずつ心の扉を開いてくれるんです。その繰り返しですね。そういうことができない人にデザインをさせるのは不安です。というのも、僕がいないところで仕事をすることの方が多いのに、いちいち一つ一つのことに対してジャッジを求められても困るんです。君がいいと思うものを選べばいいよって。世の中一般的にはこっちの方がいいんだろうだけど、君があっちがいいと思うならそうなんじゃないって。そこにはある種の即興性があるんです。井野くんが作った刺繍が崩れてる服とか、ビニールに入ったTシャツとか、そもそも百貨店からしたらアウトだし、洗濯のこととか考えたらどうなんだろう、という部分もありますよね。

(左)2017SS_doublet、(右)2018SS _doublet

けど楽しいですよね。

三原そう。あれって何年も考えて出てきたものじゃないと思うんです。そのとき面白いと思ったアイデアを自分で信じられるかということ。

井野「ライブ感が大事だ」って三原さんはよく言ってましたね。ひとつアイデアが思い浮かんだら、それをその場で最後まで持っていかないと風化してしまうよって。

三原そうだね。絵に描くなら一気にやらないと。

それで〈ダブレット〉の服には勢いがあるんですね。

三原けど、井野くんが大きく変わったのは、ブートっぽいことをやり出したときからだよね。

井野2016AWですね。フイナムで記事を書いてくれたときです。

2016AW_doublet

三原僕はあのシーズンで、井野くんがスケートカルチャーを凝縮して表現したことで、彼ら世代のデザイナーはカルチャーとの繋がりがとても強固なんだなということが認識できたんです。僕らの世代はもっと混沌としていました。逆に僕の先輩たちの世代、三宅一生さんや川久保玲さん、山本耀司さんたちは唯我独尊というか、なんのカルチャーともリンクしていないですよね。ブランドの個性だけで存在しているというか。僕ら世代はたぶんその中間です。僕はやっぱり洋服が好きなんですが、そういうクリエイションのことも理解しようと心がけてます。けど、見た目は素晴らしいケーキなんだけど、使ってるクリームやチョコレートがまずいというパターンもあるんです。見た目の美しさを追うがために、味を台無しにする人も多い。いつもそういうことじゃないよなと思っていました。井野くんは味も見た目も両方大事にしていて、なおかつアイデアも豊か。一緒に仕事してた人間としては、うれしいなと思いますね。

三原さんの話を聞けば聞くほど、三原さんの哲学は井野さんに受け継がれてるなと感じますね。

井野三原さんはそう言ってくれてますけど、「ソスウ」に入って1年半ぐらいは、三原さんが喋ってる言葉が英語に聞こえてました。ようするにまったく理解できなかったんです。それが厳しくしてたっていうことのひとつなのかなと思うんですけど。ただ、あるときからそれがすっとわかるようになってきて。自分、英語しゃべれないんですけど、英語もずっと聞いているとあるときすっとわかるようになるっていうじゃないですか。それと一緒の感じというか。そのあとは「たぶんこういうことを求めてるのかな」ってわかるようになって、アシストができるようになりました。

そうなるまで1年半くらいかかったんですね。

三原1年半ですね。3シーズン続けてダメだったら難しいかなと思っていたので、よく覚えています。けど、もともと素質は持ってましたからね。その点、若い子って自由を履き違えてしまうことが多いんです。

というと?

三原井野くんも靴をやっていたから理解しやすいと思うんですが、靴はすごく制約が多いんです。そもそも履けないといけないし、面積も小さい。ただ、広がりはない分、いろいろな経験や時間がそのなかに堆積していくんです。日本人でいうところの盆栽のイメージですね。小さい世界のなかに小宇宙(コスモ)を作り上げて、そうした宇宙感を靴のなかに求めていくわけです。僕が靴から洋服に移って一番大変だったのは、スカートもあるし、ワンピースもあるしで、すごく広いなと。小さな水槽から太平洋に解き放たれた魚みたいな感じでした。でも大抵はなにもできずにすぐに死んじゃうんです。だって餌のとりかたも知らないわけですから。だからクリエイションとかデザインをする人間はまずなにをやるべきかというと、自由というもののなかで自分なりの制約を作ることなんです。

それがオリジナリティを生んでいくわけですね。

三原僕はかっこいいことに対しては自信はないけど、人にインスピレーションを与えることに関しては一流だと思っています。そして人が幸せになる方法のひとつというのは、やっぱりクリエイティビティであるべきだとも思っています。たとえば映画の『アメリ』。主人公は妄想癖があってインスピレーションの高い子なので、いろんなことを感じるわけです。周りからは「あの子なんかおかしいよね」って言われながらも、本人は楽しくて仕方ない!みたいな。そういう子って幸せそうに見えますよね。うちの妻もどちらかというとそういう感じです。とにかく人生を楽しんでるんです。お金とか地位とかそういうことを抜きにして。

強いですよね、そういう人は。

三原僕らが作るものは、日常でそういうことを感じていない子であったとしても、なにかを考えるきっかけになるものを作るべきなんです。つまり僕らがやろうとしていることは、インスピレーションを人に与えて、考えることを強制的にさせることなんです。テクノロジーの進歩とともに、いろいろなことを考えないで済むようになってきています。iPhoneなんて子供だって触れますよね。説明書もないし言語もないし、操作方法も直感的で考えなくてもいい。だからこそ自分たちが作っているもので、考える機会を与えなくてはいけないと思っています。自分たちが作っているものを、一見日常的なものに思わせるんです。そこにリアリティがあればあるほど、みんなそれを自然に思う。けれど近づいて見てみると、そこに不自然さを感じる。これは一体何なのか。自然と不自然の行為の間に立ったときに、人は強制的に考えるという行為をするんです。

なるほど。

三原今のはマルセル・デュシャンが言ってたことなんですが、僕は13歳から19歳まで彼の作品が大嫌いでした。なぜかというと、彼の作品は「芸術とはいったいなんなのか」という問いをずっと投げかけてくるから。セザンネとかモネが好きだった少年からしたら、便器にサインしただけのものが芸術なわけがないって思うのが当然ですよね。マルセル・デュシャンは6年間、ずっと僕にそのことを考えさせた。これはよっぽどのことです。では芸術とは一体なんなのかと考えたときに、人に強制的に考えさせること、それが芸術の本質なんだって思ったんです。100人いたら100人が違う考え方をしていいと思うんです。でも今の時代ってみんなが正しいことを言おうという風潮ですよね。テレビの影響も大きいけど、みんな過剰に同じ方向を見ようとしている気がしてならない。反論することすらタブーになっているというか。

同調圧力のようなものは確かに感じます。

2016SS_doublet

三原例えば〈ダブレット〉にスケボー型のバッグがありますよね。あれを100人が100人、同じ感想を持つようにするためには作った人間が「これはスケボーの板を使って作ったバッグです」と伝えること。だけどそれは「これはスケボーだ」という固定概念をすり替えてるだけなんですよね。説明もなしにただそこにあるだけなら、あとはみんなが勝手に解釈するわけで。テーマとかタイトルは結局のところまやかしなんです。そういったものがあることで、人はそういう風に見るけど、伝えたいことは一人一人にとっては違うはずなんです。〈ダブレット〉のNEW YORKのTシャツも、糸が垂れてることを作りかけだと思う人もいるかもしれないし、タイポグラフィーそのものに対してのメッセージかもしれない、はたまたNEW YORKが崩れ去っているということで、9.11を想起する人もいるかもしれない。

2016AW_doublet

面白いですね。

三原最初の1年半は、ずっとこういうことを話していました。

それで井野さんが「英語を聞いているみたいだ」となったわけですね。

井野「なんでデザインするの?デザインしすぎ」ってよく言われてました。

三原井野くんによくしていた話なんですが、鉛筆のうしろに消しゴムがついている商品がありますよね。デザインとアイデアの違いがそこにはあります。あの商品はアイデアをそのまま形にしたらこうなったというものなんです。書くという行為と、消すという真逆の行為を簡単に接続しただけ。その消しゴムの部分をなにかに変えて、鉛筆の芯をカラフルにしていくというのがデザインなんですが、それをやってしまうとアイデアが消えていくんです。だから井野くんには「アイデアがあったらそれを純粋に形にしてくれ」と言っていました。

井野しかも始めにそれをやらないといけないんです。そうしないと最初にアイデアを出した人が一番強くなれない。

三原井野くんはそのへんよくわかってるよね。だいたいみんなが似たようなことを考えると思うんです。だからそのアイデアの一番深いところをえぐりとらないといけない。そこを持っていかれると、あとから似たようなことをやる人はみんな〈ダブレット〉とか〈ミハラヤスヒロ〉になってしまうっていう。

井野そう、二番煎じにしかなれないんですよね。

三原デザインというのはそれをごまかすんです。見えなくしてしまう。アイデアを消失せずにデザインをするのはとても難しいことなんですが、井野くんの服は僕が見てもそのあたりを見事に体現していますね。…今日はこのままいくと、本が書けますね。

本当ですね(笑)。

三原僕と井野くんが研究していたことの一つに固定概念があります。ただスケボーの板を置いていても誰も感動しないけど、それがバッグになっていたらどうでしょう? ものと人との距離感が変わりますよね。人は目に映ってないものを見ています、それが固定概念です。今日井野くんが着ている服も、今人気のブランドに対する皮肉ですよね。そういったメタファーをどう人に感じさせるのか。ものと人との距離を見ながら会話をするということです。…これ以上はやめておきます。マジシャンの種明かしをしているようなものなので、頭のいい子は真似しようと思うかもしれないですし。

井野僕たちがしていた根本のところの話ですね。

それにしても、すごい密度でコミュニケーションをとっていたんですね。

井野三原さんが2〜3個キーワードを言うだけで、すぐあの話だなってわかっちゃうんですよね。

三原だいたい僕は言うこと決まってるしね。

井野いやいやいや、そういうことじゃないですよ(笑)。

三原けど、そんな感じで井野くんと一緒にずっと考えてきたんです。言葉の概念についてとか。シンプルってよく言いますが、シンプルの意味自体が人によって違いますよね。シンプルの本質を導き出すのはとても難しいんです。でも、人間がかっこいいとか可愛いと思うことには理由があります。僕が遊びでやってたことがあるんですけど、どこかのショップに入って、右に歩いて、コートを触り、靴を持ち上げる。そしてショップを出た途端に、すべての行動の意識を探るんです。コートを触ったのにも、靴を持ち上げたのにも理由があるので。自分たちの脳みその中身に触れなくて、どうやって人の脳みそに触れるかというわけです。

そこがわからなければ、他人を触発させることはできないということですね。

三原最近の〈ダブレット〉でいうと、ペタッとなったTシャツがありますよね。

はい。動画「HOW TO USE PACKAGE T-SHIRT」を作ったアイテムですね。

三原大量生産されたTシャツのパッケージなんだけど、あれは長く置かれたことによって、中身がパッケージにへばりついてしまったのかもしれない。「UNDEAD-STOCK」だっけ?

井野そうです。ちゃんと覚えてくれてますね(笑)。

三原あれを見ながらどんなことが立ち上がってくるか。ものが語りかけてくれるぐらい掘り下げないとダメなんです。あとは共通言語を作ることも大事です。ジャングルに住んでいる人にMA-1を見せてもわからないですよね、言語が違うから。でも僕らはファッションのなかにいるから、MA-1を見るとすぐにわかります。言葉じゃない言葉が聞こえてくるんです。なぜかというと同じ文化のなかで同じ時間をすごしてるから。僕らはクリエイションのなかに言語を作ってるんです。だから〈ダブレット〉が海外で認められないわけがないと思います。

井野海外の人のほうがいろいろ考えてくれますね。あれはどういう意味なのかって。

さっき話に出た、NEW YORKのTシャツもまさにそうかもしれませんね。

三原勝手に解釈してくれていいんです。僕も前後で違う靴(前がスニーカーで後ろが革靴)を作ったときに「なぜ靴が半分になってるのか?」ってよく聞かれたんですが、適当に答えてました(笑)。「前から見たときと後ろから見たときで全然違うので、これは人間の二面性を表しているんです」と説明したら、今後そういう風にしか見られません。そこからまた固定概念が生み出されていきます。あと、固定概念を壊すには無責任さが大事なんです。無責任にした方が人は勝手に解釈するんです。デビット・リンチの映画なんて何を言ってるかわからないけど、あれだってみんながイマジネーションを膨らませて、ストーリーを考えてますよね。作品自体が答えなんて必要としてないのに、人間は答えを求めるんです。

井野最近好きなのが、まず「デッドストックパッケージTシャツ」のようなアイテムで見ている人の興味を煽るんです。で、これはどういうことなんだろう?という欲求が高まった段階で、さっきの動画のような手法で誤った方向に導いていくやり方なんです。

煙に巻くというか。

三原あの動画は面白かったですね。僕はインスタグラマー的な世界があまり好きじゃないんです。なぜかというと、情報を好きか嫌いかで判断するから。井野くんが今回作ったものを見たときに、ある意味そういったいろいろなことをバカにしてたんですよね。

明らかにただのHow To動画ではないですよね。

三原ぼくらがよく知っている『できるかな』の世界観をコメディタッチにしながら実はシリアスなトーンもあるし、さらにジェンダー的な要素も盛り込んでいる。いろいろなカルチャーが入っているわけです。すごくいいポジショニングの作品だなと思いますね。

井野ありがとうございます。

三原自分の作ったものをどう見せるかという点において、すごく考えさせられました。あのシャツ、着心地がいいかっていうと悪いに決まってますよね。それにあのままハンガーラックにかけていても、売れないなって取引先も思ってたはずなんです。みんなが心のどこかに引っかかっていたことをユーモアに変えて、きちんと形にしたわけです。かっこつけたらああいう表現はできないんですが、僕はそれがすごくかっこいいと思いました。他のブランドではこうはできないわけで、あの空気感で伝えられたのが良かったですよね。

いかがですか、井野さん。

井野あのアイテムのシリーズには、How To動画を何かしら作らなきゃなって思ってたんですけど、工作ならのっぽさんでしょと。で、のっぽさんは喋らないから、外人さんだったら喋らないのも不自然じゃないかな、と。

(笑)。

三原一番好きだったのは、テロップで「作 ダブレット」ってちゃんと入ってたこと。

井野あれがないと、リアルじゃなくなっちゃうんですよね。

三原ウルトラマンとかでも最初に「監督〜」とかって出るじゃない。

「実相寺昭雄 監督作品」みたいなやつですね。

三原そう。あれをファッションに持ってくると新鮮に思えるよね。井野くんにも話したことがあるんですけど、僕が友達との間でよく使っている「sublime meets ridiculous」という言葉があるんです。sublimeは崇高な、ridiculousは馬鹿げたことという意味です。馬鹿げたことも崇高なことも同時に起こるっていうのが大事なことで、そういう瞬間がぼくにはぐっとくるんです。でも今は馬鹿げたことは馬鹿げたこと、崇高なことは崇高なことっていう捉え方になってきてますよね、それはつまらないです。

そもそも世界のひとは『できるかな』なんて知らないですよね。

井野そうでしょうね。

三原けど、日本人の僕らからするとすごくアイロニックです。

井野もう自分のなかにそういう考え方は染み付いちゃってるんですよね。条件反射というか。

三原こうして話しているうちに、井野くんと話していたことをどんどん思い出してきました。僕はもともと、芸術と人を調和させたいと思ってこの世界に来たんです。昔、美術館に飾ってるような芸術品を親と見に行って触ろうと思ったら怒られました。そこで人と芸術は調和しないと思ったんです。美大に入ったひとつの理由が、日本中からデザインや芸術が好きな人が集まったところで勉強したいと思ったからなんですが、実際はそこもアカデミックな世界でした。結局芸術というのは、人を超越した存在だと勝手に思われてるんです。崇高になればなるほど作品の金額が上がり、芸術と人が剥離されていくという概念がある。そんななかで靴は人と芸術を調和させるためのアイコンであり象徴なんです。だから自分が靴を作り出すのも芸術活動の一環でした。人が使うものを作ることで芸術と人を調和させたい、むしろ芸術を消費する時代を作りたい。さっきも言いましたが、芸術とは見る人に強制的に考えさせるものであると。人が考えることで芸術は完成されるけど、人が考えない芸術はいつまでたっても芸術ではない。モナリザを見て誰も何も考えないのは、あれは文化遺産であって、もはや芸術ではないからなんです。僕らにとって人に考えさせるというのはすごい大事で、その点井野くんはそれをずっとやり続けているから素晴らしいと思うんです。

なるほど。それにしても三原さんは考えを巧みに言語化されますね。

三原言語化できるようになる前は、僕もいろいろ失敗しました。抽象絵画のようなものを作ったときは誰にも伝わらなかったですし。そういえば20歳のときに初めて友達に靴を作ったんですが、そのときの一言がすごく残酷だったんです。「うわー、世界に1足しかない靴だ」って。つまり自分の靴が希少性という言葉で置き換えられたんです。結局僕らがやってることというのは、人々が作った社会の概念で動かされてるだけなんです。20歳だったときの自分の哲学はすべて芸術から学んだことだったんですが、そういうものを全部1回壊さない限りダメだと思いました。

自分の思考はすべて人からの影響で生み出されている、と。

三原そうです。哲学者たちも、ほかの哲学者が言ってることのすべてを否定してでも、自分の哲学を生み出さなければ、オリジナルの最終地点は見つからないと言っています。でも、そういう思考に陥ったときに「なるほどな」ということが出てくるんです。自分の持ってる概念や目に見えていることは、自分たちが勝手に妄想していることなんだと。『レインマン』って映画がありますよね。

自閉症の兄とその弟の話ですね。

三原そのお兄さんが本棚を全部覚えちゃったくだりがあります。普通そんなことをしたら、頭がおかしくなります。だから人間の頭はおかしくならないために、記号化してものを覚えるんです。だからボタンが付いてればシャツだって認識するし、「patagonia」のような字体にするだけで「patagonia」っぽく感じるわけだし。〈ダブレット〉のあの服、そうやって書いてないよね?

井野「painting」ですね(笑)。

2017AW_doublet

三原あれは企業が作った一つの広告を記号化していることによって起こる現象です。だからみんなああいうものを見ると違和感と、ある種の快楽を感じるんです。…というか僕ばかり話してるから、井野くんもっと話して(笑)。

(笑)。それにしても井野さんが独立してからも、こうしたいい関係性が続いているんですね。

井野そうですね。でも、ここ最近の方がより密な関係かもしれません。

それはどうしてですか?

三原意識的に距離をとってました。

そうなんですね。

三原井野くんは僕のところを離れてからしばらくものづくりをしていなかったんです。諸事情でお休みしていました。そしていざ自分のブランドを立ちあげるという話を聞いて、すぐに展示会に行きました。会場にいるジャーナリストの人には「買ってよ!」って声をかけたりして。

井野その方は本当に買ってくれてましたけどね(笑)。

三原「このブランド、ダブレットって言うんだよ。これから絶対売れるから!」って(笑)。そのときうれしい反面、いろんな人に「三原くんっぽいね」て言われたんです。ただしょうがないですよね。だって〈ミハラヤスヒロ〉だったわけだし。下手すれば〈ミハラヤスヒロ〉より〈ミハラヤスヒロ〉っぽいなと思って見ていた人もいたと思います。

そのときは陰ながら応援していた感じなんですね。

三原ニック・ウースターが来たときに「なにかいいブランドない?」って聞かれたから、「ダブレットっていうのがいいよ」「あぁ知ってるよ」というようなやりとりをして、「ヒカリエ」でやっていた展示会に行ってもらったりしてました。でも当時から、海外のバイヤーは僕という存在とは無関係に〈ダブレット〉を評価していましたね。

海外からの評価が先だったということですか?

井野ニックとか、サラ(アンデルマン:閉店したパリのセレクトショップ「コレット」のファウンダー)は大きかったかもしれないですね。

三原あとはドーバー(ストリートマーケット)の人たちとかね。いろいろな人が井野くんの周りに集まってきてくれたよね。でも井野くんは図に乗らないし、天狗にならないから良いんだよね。

たしかに井野さんはいつお会いしても謙虚ですよね。

三原こういう機会だから聞くけど、〈ダブレット〉は今徐々に大きくなってきてると思うんだけど、もっと大きくしようとは思ってないの?

井野あまり思わないですね。自分のなかではもう十分大きくなったと思っていますし、やっぱり自分の手の届く範囲でやりたいんです。

三原そっか。あと、時代に即しているかいないかは別にしても、直営店を持ったりとかあるじゃない。あとは最近だとウェブでやるとか。でも今の若いデザイナーって直営店がなかったり、ウェブでやらないブランドもあるよね。それが悪いっていうことじゃないんだけど、それは自分たちの信念があってのことなのかな?

井野僕は自分の直営店を出すくらいなら、いろいろな取引先のお店と盛り上がることをしてた方が、自分のブランドを色濃く出せると思ってるんです。お店の人と仕事をするのが楽しくて。

三原確かに「ドーバーストリートマーケット」とか「ウィズム(WISM)」でのポップアップを見ていると、ショップの人とセッションしていくっていうやり方は新しいなと思った。井野くん、そういうの好きそうだしね。

井野あとウェブに関しては、自分の商品を売ってくれてるお店があって、そのお店が発信してくれてるからこそ今があると思ってるんです。だからそれをウェブでやるっていうのは、いいとこ取りみたいな感じがしちゃって、あんまり好きじゃないんですよね。お店で売れれば次の受注にも繋がっていくと思うんでそれでいいかなって。あとウェブのファンは飽きやすいなと思うんです。

三原それがいちばん怖いところだよね。この人は本当にこの服が欲しくて買っているんだろうか?っていう。

井野服が欲しいんじゃなくて、ブランドで買うというか。それにウェブは売れ残ってたら目立つじゃないですか。どこかに〜%オフとか書いてあると、プロパーで買ったお客さんがかわいそうですし。

三原いまはすぐにセールになるもんね。

井野自分が買ったものが「セールになってたよ」って言われたときの悲しさってありますよね。だから、セールも不定期でやればいいのかなって。やったりやらなかったり。

三原まぁファッションのサイクルは疲れるよね。今は特にファッションとしてのゲームが激化しているし、メインストリームになればなるほどリスクも増えることになっている。これからは例えばパリで展示会をしなくても、その模様の映像とか写真を配信することによって、年2回春夏、秋冬っていうペースでやらなくてもいいのかなと思います。そもそもコレクションはファッションのサーキットに乗ることが目的な部分も多いわけで。たしかにやりやすいんですが、各バイヤーと協力してあとはインターネットも駆使すれば、年がら年中好きなことをやることも不可能ではないなと思います。井野くんたちはそんなこともできる世代ですよね。

井野僕は、取引先のショップで責任あるポジションについている人たちと年齢が近いんですが、それも大きいかもしれないですね。三原さんの年代だともう少し上で、管理する側ですもんね。僕くらいだとちょうど現場なんですよ。

三原僕たちの世代はうるさいからね(笑)。まぁ世のなかのほとんどの人は保守派なんです。だから僕らのようなデザイナーがマイノリティであることはしょうがなくて、それを売る人たちがマジョリティなのもしょうがない。と同時にマジョリティに受けなきゃいけないという考えでファッションが回るとダメだっていうのもわかるんです。だからそこは歩み寄っていかなきゃいけないですね。そのことは十分承知しているんですが、多数決のようなファッションの採点の仕方がね。

井野わかります。

三原ECサイトのクリック数とか、SNSのフォロワーとか。それを指針にものづくりを始めたら、僕らの存在意義がなくなってしまいます。世の中的に言うと完全に変わり者ですけど。

井野しょーがないですよね、それは。隙間の隙間を見つける感じです。

三原それでも、ものを売るときの策略というか作戦はいろいろあるんです。たとえば出荷するダンボールに工夫を凝らしたりとか。

というと?

三原僕もよくやってたんですが、ダンボールに蟻とか金魚を描いたりするんです。靴を入れた箱の、空いてるところにお菓子を入れたりとか。お店の子が開けたときにそういう変な仕掛けがしてあると、わーって思うじゃないですか。そういうところの見せ方は策士なところがありますね。

なるほど、それは嬉しいですね。

三原ですよね。そうすると、店員さんがほかのブランドよりもプッシュしてくれるかもしれないじゃないですか。だからなのか〈ダブレット〉はいつもいいところに置かれているんです。ロンドンの「ドーバーストリートマーケット」でもそうでした。でも、さらにいいところにずらしましたけどね、表から見えるように(笑)。

井野ありがとうございます。自分の服でもやります、こっそりずらすのは(笑)

三原そういう努力もさることながら、今の井野くんはデザイナーに影響を与える側になってきているし、エポックメイキングなものづくりをしています。同業者が見て感化されたり、ジェラシーを覚えたりすることもあると思います。でも、そういうことをやってのける人たちが一番お金儲けとは縁遠かったりするんですけどね。

二番煎じ、三番煎じの方が儲かるって言いますよね。

三原そう。それで海外のインフルエンサーが着用、みたいなね。適当なロゴを乗せたものにクリエイションがあるか? あるわけないですよ、そんなものに。ロゴ文化を馬鹿にするわけじゃないんですけど、あれはアドバタイジング(広告)と同じです。井野くんが作っているものは明確にそれとは違うので。

井野そういえば、パリで展示会を初めてやったとき、三原さんに「井野くん、ダブレットは色物に見られてるからね」って言われたんです。そういうド直球なことを言ってくれるのは三原さんだけなので、そのときはなんだか助かりましたね。

素敵な師匠ですね。

井野はい、ありがたかったです。

三原自分たちは欲をかかずにやり続けたいと思っています。ガーンと一気に売れて、売上が何十億になって、そのあとよくわかんなくなっちゃった先輩たちをたくさん見てきました。ブランドが大きくなればなるほど、たくさんの戦略が必要になるし、考えなければいけないことが増えていきます。もちろんスタッフの成長とともに給料も上げていきたいけど、自分のキャパシティ以上の規模になる必要はないのかなと。自分たちの精神を浪費させないのも重要だと思うんです。とは言っても、クリストファー・ネメスのように、家族だけ食っていければいいから卸を一切やめるという決断はすごいなと思います。

そこは難しいところですよね。

三原でも井野くんも一見急成長したように見えて、もう6年もブランドをやってますからね。それはそれで苦労してると思います。ここ2〜3年は華やかに見えるかもしれないけど。

三原さんは、最初から見ているだけに説得力もありますね。

三原橋にも棒にも引っかからないような時代のものも、結構好きでしたけどね(笑)。みんなが「ん?」って首をかしげたようなものも。

(笑)

三原みんなは〈ダブレット〉っていうと、今の感じを思い浮かべるだろうけど、その前の時代もありますからね。

井野最初の展示会で言われた「三原さんっぽい」というのは、なぜそうなったかというと、自分のなかで三原さんがやっていたやり方が教科書みたいになってたんですよね。三原さんの哲学を持っているだけの人間がやっていた感じというか。ただ、三原さんがちょっと変わったよねって言ってくれたスケボーのコレクション、あのあたりから吹っ切れたんだと思います。

三原そうだね、吹っ切れたよね。

井野それまではどこか真面目に作っていたというか。

確かに突き抜けたような爽快さが、あのシーズンにはありました。

三原周りの反応が明らかに変わりましたよね。サラなどの海外のバイヤーだけではなくて、国内のジャーナリストの見方が一瞬で変わったのを覚えています。急にファッションになったな、って思いました。思い返せば、僕らがはじめたときはみんな“突然変異”でした。どこかのブランドのアシスタントから独立してというお墨付きの人もいたけど、高橋盾さん、宮下貴裕くん、そして僕なんかはどこかに所属していたわけじゃなくて「今のファッションが嫌いだから」とか、僕みたいに「アートと喧嘩しよう」といった理由から急に始めたわけです。そういう人たちって、勢いで突っ走れたからあまり苦労していないんですよね。それが結果的に受け入れられたからよかったんですけど。井野くんはスタイルを急に変えることで“突然変異”したなって思いました。これがもし知り合いじゃなかったら、結構ムカつくと思いますね。井野くんじゃなかったら「出る杭は打っとこう」って思ってたたかもしれないです(笑)。

井野(笑)

三原僕にはできないものがあるんですよね。タイダイ染めのものに“TYEDYE”と書いたり、ニットに“KNIT”って書いたり。そのあとに(オフホワイト(Off-White)〉のヴァージル(アブロー)が“SCULPTURE”って書いたりしてましたよね。ヴァージルはトム・サックスというアーティストの影響がすごくあるんですけど、井野くんの方がもっとコメディタッチというか、ユーモアに溢れている感じですよね。

思い切りがいいですよね。

三原ワッペンに“wappen”って書くんかい!っていうね(笑)。「これはスウェットじゃない、ニットです(I’M NOT SWEAT SHIRT BECAUSE I AM KNIT WEAR)」って書いたり。

井野あ、それよく覚えてますね、だいぶ昔(2015SS)のやつですよ。

2015SS_doublet

三原とにかく突っ込みどころ満載で、それがすごいと思います。今やいろんなデザイナーに影響を与えてますよね。

たしかにそのあとにそうした手法を取り入れたブランドはすごく増えたと思います。井野さんはその辺どう思っているんですか?

井野いや別に。僕もいろいろなところからアイデアをもらってるんで(笑)。

それにしても、やっぱりあのシーズンなんですね。

井野そうですね。みんなやっぱりそう言ってくれます。三原さんの話を聞きながら、何が違ったのかなって今考えていたんですけど、そのへんから行儀よく真面目にやらないようにしようと思ったんですよね。そのままやっていても〈ミハラヤスヒロ〉の哲学の一部になってしまうので、好き勝手にやろうって。

なるほど。

井野あとはああいう手法が、三原さんがあんまり好きじゃないっていうのを一緒に働いていたときに聞いてたんです。だからそういう言葉が脳裏に残っていたのかもしれないですね。それがある瞬間になくなって、吹っ切れたものが作れるようになったっていうのはあります。

いま〈ダブレット〉にあるパロディとかユーモアは、突然身についたものではなくて、もともと井野さんが持っていたものなんですよね。それを表に出していこうとなったのがあのシーズンだったというだけで。

三原そうなんでしょうね。

ところで、こないだの〈ミハラヤスヒロ〉のショー(2018AW)についてもお話を聞きたいです。

井野あれ、本当にかっこよかったです。

三原ありがとうございます。でも、あれは茶番だからね(笑)。

井野いやいやいや。さっき言ってたあれと一緒ですよ、馬鹿げたことと、、

「sublime meets ridiculous」ですね。

井野そう、それです!

三原根本的にうちのショーはそういうの多いんですよね。でもショーって洋服を着て歩くだけじゃそれ以外のコンテンツができたときに、すぐに取って代わられてしまうんです。実際、写真や映像で見るだけで洋服についてはわかってしまうわけで。だからある種の狂気が必要になってくるんです、それも知的な。あとは予定調和であってはいけない。僕のショーはミュージシャンが生演奏することが多いので、例えば真ん中にドラムセットを置いておけば、お客さんはライブをやるんだな、そしてモデルが歩いてくるんだなと思います。それが予定調和。でも今回はすぐにはモデルが出てこない。

井野うん、出てきませんでしたね。

三原そう。それどころか演奏も行われず、いきなりトラックのエンジンの音やピーピーピーっていう警告音が流れる。「なんだよ、空気の読めないおっさんたちがいるなー」って思わせたかったんです。「こっちでショーやってるのになんだよ」って。で、トラックから出てきた僕たちが会場に入っていったら、いったいなんなんだ?って思う人もいると思うんです。

とにかく笑顔の三原さんが印象的で。

三原本当はランウェイで弁当を食べたり、道路の計測器とかも用意していたんですけど、そこまでやる勇気がなくて…。どこまで茶番でいけるかやってみようかと思ったんですけどねぇ。井野くんにも「ちょっとやりすぎです」って怒られそうだし(笑)。

〈DCシューズ(DC SHOES)〉とのコラボレーションも印象的でした。

三原あれは昔うちにいた子が、今〈DCシューズ〉にいて、それで実現したんです。井野くんとほぼ同期ぐらいですかね。彼は洋服の方を担当していたんですが。

そういう縁があったんですね。

三原〈プーマ(PUMA)〉とのコラボレーションが2015年に終わって、3年も経つので、またなにかやりたいなと思ったときに、思いついたんです。あのショーでは服も〈ミハラヤスヒロ〉だけじゃなくて、〈DCシューズ〉のものも使ってるんです。Tシャツとかジャージとか。その服もその子がデザインしているものなんですが。

井野なるほど!

三原あのTシャツみたいにロゴが大きいのって、3周回ってかっこいいということになってますよね。

2018AW_Masion MIHARA YASUHIRO

井野いや、純粋にかっこいいですよ。

三原けど、こういうロゴものって〈DCシューズ〉の人からしたらなんでこういうものを作ってるかわからないわけです。ブランドとしてはロゴを隠したがってるわけだから。けれど、本国にこの写真を見せたらわかってくれたみたいですけどね。そもそもブランドのロゴ自体も、某メゾンブランドのロゴにインスピレーションを受けているわけで、スケートブランドがこういうことをやるアティチュードが好きなんです。

そういったアナーキズムはもともと三原さんにもあるものですよね。

三原ありますけど、オブラートに包むことを覚えました。ショーも前だったら、もっと直接的な表現をしたと思うんですけど、大人になりましたね(笑)。

井野でも、あのショーは本当に感動しました。

三原ショーが終わって井野くんが一番最初に来て「よかったです」って言ってくれて、そのときはすごくうれしかったですね。師匠の面目を保てたかなって(笑)。東京でのショーが久しぶりだったこともあって、実はいろいろ考えたりもしたんです。しかも今回のショーは、展示会前のものではないので、ビジネスではなく本当に来てくれる人のためにやったショーなんです。とはいえ、ただのファッションショーにするのも嫌で、記憶に残るものを作りたい。演出家の子とは、お金をかけただけのものは、みんな“持って帰ってくれない”っていう話をしていましたね。セットがすごいショーなんていっぱいあるじゃないですか。お金をかけたらかけただけダメになると思って、お金をかけないでやってみようと。トラックだって格安で借りられました(笑)。

けれど、安っぽい感じは全くしませんでした。むしろハッピーな雰囲気に満ちた稀有なショーだなと。

三原ああいうショーって、やってどう思われるかということより、やってる自分達が楽しみたいという部分が大きいのかもしれないですね。終わった瞬間に現実に戻って「みんなどう思ってるかな」と思ったときに井野くんが来てくれたからよかったです。うちの奥さんからは「井野くんが泣いてたよ」って聞いて。

井野なんでかわからないけど、そんな感じでした。

三原20周年っていう節目でもありましたけど、なんか楽しかったですね。

井野でもああいうショーを僕がやったら、けちょんけちょんに言われますよね(笑)。

三原大丈夫、大丈夫。まぁでも井野くんの初めてのショーは正直に言って、、

井野けちょんけちょんに言われましたよね。

三原そう。なぜかというと、いろいろな人を使うのはいいんだけど、井野くんのコレクションなのかどうかがわからなかったんです。ファッションにしなきゃ、という気持ちが全面に出すぎていた気がして。もちろんそれが刺激的な部分もありました。けど、井野くんの服の良さって、普通に着ていても気づくんですよね。他のブランドの話を出すのもあれですけど、ゴーシャ(・ラブチンスキー)のショーとか普通の人が普通に着ているだけでしたよね。でも、それがものすごい説得力があったわけで。井野くんの世代は、ファッションを信じていないがゆえにファッションになっていった部分があると思うんです。だから、カルチャーとかがより見えていたというか。でも、ショーになった途端ファッションを意識しすぎていたような気がして。

なるほど。

三原あとは〈ダブレット〉って変な意味での逆輸入感がありますよね。僕らアジア人のデザイナーって、だいたい欧米のカルチャーを壊していくイメージなんですけど、井野くんは壊しているようで壊してない。それが面白いんです。刺繍とかプリントとか表に出ている手法で破壊的な行為はしているんだけど、洋服のカルチャーは壊していない。

確かにそうですね。

三原あと井野くんが育った環境をそのまま海外に持っていっている感じがしますよね。高崎とかそっち系の。

ヤンキー的な。

井野それはあるかもしれないですね。

三原だからショーも、地元のカルチャーがそのままインターナショナルになっちゃったみたいな感じにしてほしかったんです。頑張りすぎちゃったんだろうなっていうのが正直な意見でした。でも今思うと、ああいうことがやりたかったんだなというのもよくわかります。

井野そうなんですよ、単純にあれがやりたかったんです。

三原僕は井野くんを知り過ぎてるたからこういう感想になりましたけど、初めて〈ダブレット〉を知った人にとってはすごく良かったのかもしれないですね。

あのショーに対して、こういうことを言えるのは三原さんだけのような気がします。

井野本当にそうなんです。そして、それを最初に言ってくれたのはすごく助かりました。じゃなかったら「もう1回ショーをやりたい」とか思っていたかもしれないですし。

三原いや別にショーをやったっていいんだよ。

井野けど、三原さんの言葉がなかったら、変に調子に乗っちゃってたかもしれません。本当にありがたいです。

愛されてますよね。

三原井野くんはみんなから愛されるからね。

井野でも、僕は三原さんの姿勢を見てきたので、そういう感じになったんだと思います。

三原いや、でも僕はインビテーションに似顔絵を描いたりしないよ(笑)。

4 days #doublet RUNWAY SHOW invitation guest's portrait of hand writing #doublet

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井野あれはきつかったですね…。

三原もう修行だよね、あれは。

井野けど達成感はめちゃくちゃありました(笑)。

三原インビテーションを出す相手、ひとりひとりの顔を覚えてるのには感心したね。

井野知らない人もいたんですけど、みんなが写真を集めてくれて。

三原そっか。けどいまだにそのインビテーションはとってあるよ。封も開けてない。井野くんが死ぬときに開封して見てみます(笑)。

三原さんが井野さんに対して思ってることはいろいろと聞けたんですが、井野さんが三原さんのクリエイションに対して、思うことを聞かせてもらえますか?

三原いや、井野くんはそんなこと言えないよね(笑)。

井野まぁ、そうですね。。でも一つ聞きたいことはあります。最近は自分でも反省と修正を繰り返しながら、少しずつ自分なりのオリジナリティが見えてきたと思うんですが、三原さんは初めからオリジナリティがあったんですか?

三原いや、最初はもっと感覚的なものだったよ。

詳しく教えてください。

三原イギリスに「ハウス・オブ・ビューティー&カルチャー」っていう、ジョン・ムーアやクリストファー・ネメス、ジュディ・ブレイムなどのアーティストが作っているショップがあって、それこそ『i-D』ができたような80年代初頭のUKの空気にやられてたんです。それまではパンクとかエレクトリックヒップホップが好きだったんですが、『i-D』はなにがなんだかわからないものだらけで。ただ、とにかく濃厚なムーブメントが詰まってました。ヴィヴィアン(・ウエストウッド)のパンクカルチャーもあれば、ゲイカルチャーもあって、さらにネメスとかが作り上げる世界があって、音楽からドラッグまですべてがそこにはあったんです。

その時代のUKに魅せられた方はみんなそう言いますよね。

三原実はそのとき、そこまでファッションが好きじゃなかったんです。パンクとか音楽から派生したファッションは好きだったんですけど。で、歳を重ねて、まずは靴をつくろうと思ったときに、真面目な靴ではなくてわけのわからないものを作ろうと思ったんです。

井野なるほど。

三原そんななか、ジョン・ムーアってすごいかっこいいなと思うようになってきて。でも彼を追い続けても彼にはなれないし勝てない。だからいろんなことを実験していくんですけど、そうすると靴の概念からはどんどん逸脱していこうとするんですよね。表層的なオリジナル性を求めていくんです。この彫刻のような曲線こそがオリジナルじゃないか、とか。ようするに“タッチ”ですよね。モネのタッチ、みたいな話です。それに対して「これは自分のオリジナルなのか、自分のクリエイションなのか?」という問いを投げかけるわけです。「デザインというものに振り回されていないか?」とか。

自問自答していたわけですね。

三原あとは、自分の一番根底にあったのは「アートとはなにか?」という問い。僕は良くも悪くもアートに対して免疫があったので、アートだからすごい、ピカソだからすごいという感覚はないんです。それよりも自分に与える影響がなんなのか、という風な考え方をしていたと思います。この作品すごいなって思っても、それをどういう風に解釈するかっていうところに目を向けていました。そういうことを繰り返していくうちに、ものづくりの見方を間違ってたかもなとか、オリジナル性というものはちょっと違うところにあるのかもなって気づき始めたんです。一つ一つを言語化していくということですよね。

井野そうするようになったのは、デザインをやりはじめてからですか?

三原いや、デザインし始める前は、世のなかに対してもっと喧嘩っ早かったね。

今の三原さんからは、想像できないですね。

三原デザインをやりはじめると、自分の作品から学ぶようになってくるんです。自分の作品が先生になって語り出して、そこから哲学が生まれたりとか。それはそれで勉強になりますよ。何シーズンもやってると、最初の言語と今の言語は変わってくるので。

昔はとにかく尖っていた、と。

三原世の中の大人のすべてを恨んでたし、否定してましたね。自分の考えてることのすべてが人からの受け売りで、本や映画の引用なんじゃないかって。白とか黒とか言ってることも刷り込まれたもので、さらにうれしいとか悔しいといった感情すらも植え付けられたものなんじゃないかとか。そのときはちょっとおかしかったですね。2浪してようやく美大に受かったころだったんですが、鬱ではなく閉塞的でも自閉症でもなく、論理的にそういう方向にいってました。真実を知りたいと思って音楽、テクノを作ってたんですが、どんどんどんディープな音が好きになってきて、2時間ずっとブリープ音っていう単音の音楽を聞いて「うわ、気持ちいいー」って(笑)。ちょっと危ないですよね。今はずいぶん寛大になりました。アシスタントの子にちょっとやらせてみたり、いろんなブランドをみんなにやってもらったり。

確かに〈マイン(MYne)〉など、たくさんのラインがありますよね。

三原自分のDNAは確実に教えこんで、あとは好きにやっていいよっていう感じです。だから井野くんがいたころとは、全然違いますね。

井野〈マイン〉とか羨ましいなって思いますもん。

三原ほとんど口を出さないラインもあるからね。

井野それ自体がもうすごいな、って思います。

三原大人になったからさ(笑)。けど、僕らの時代よりもブランディングは必要でなくなってきたなと感じます。ただ、血の通った感じを出すためにもっと詰めていかなきゃなとは思います。それがなかなか難しいんですが。

三原そういえば、ブランドのイメージシューティングも時代が変わりましたね。あんまり洋服が写ってないのとか、たくさんあるなって。前はなかなかそういうことはできなかったんです。〈ダブレット〉のルックも(全身のスタイリングが見えるような)引きのカットはないよね。ほぼイメージカットというか。

井野そうですね。

三原ただ、たいていのブランドは抑えで一応スタイリングがわかるカットも撮ると思うんだけど、井野くんの性格上「いや、もう全部イメージでいきましょう!」って言ってるだろうなって。

井野その通りですね。撮ってないです(笑)。

三原こないだ見たメゾンブランドでも、洋服が全然写ってないものとかありましたけど、そういうのファッションっぽくていいなって思ったんです。悪い意味ではなくて。そもそもファッションは軽薄であるべきだと思うんです。作っている僕らは軽薄ではありませんが。さっきも話しましたが、本質的には研究員みたいなことしていますし、ある種の謎解きのようなものなんです。頭に思い浮かんだアイデアの幻影を、より明確にするために一番残酷なところを取っていこうみたいな。ただ、そういうことを繰り返していると、たまにはちょっと抜いたこともやりたくなるんです。18AWの〈ダブレット〉にも、トレンチコートにオモチャをつけたやつがありましたよね。それわかるなって。ちょっと気を抜きたいよねって。

2018AW _doublet

井野はい。かるーいやつですね。

三原けど、そういうものを作っていると「あぁ、おれもやろうと思ってたんだよね」って言われたりするんです。僕もよく言われてました。「そう思うならやってみろ」ってよく心のなかで毒づいてました。

0を1にすることへのリスペクトは、もっとあってしかるべきですよね。

三原あと、井野くんこんなにグラフィックがうまいんだなーって最近改めて思いました。

井野“なぞり”なんですけどね。

三原まぁね。けど、グラフィックの元ネタって必ずあるじゃない。だんだんそれに対して気を使わなくなってきてるよね。あのマスタ◯カードのやつとかさ、、

井野円を3つにすれば大丈夫かなって(笑)。

三原タブーってすごく大事なんですが、今はタブーを探すことのほうが難しいし、コピーとかブートっぽいことをやる人の方が、タブーとの境界線をみんなに示しているような気がします。僕らもちょっと問題になったこともありましたしね(笑)。

井野僕がやったやつですね。

三原僕は全然懲りてないんですけど。

井野あのとき三原さんは寛大でした。すごく救われましたね。

三原知的財産権というのをどう考えるかって話ですよね。だってそんなことを言い出したら、トム・サックスがマクドナルドになぜ訴えられないの?って。これをアートとして見れないのかと思うんですよね。境界線、ボーダーを含め、そこに反抗することがアートやファッションだったりするわけですし。だから、井野くんにはすごくひねくれたところとコラボしてほしいですね。

井野いや、逆に僕はすごく真っ当なところと一緒にやってみたいです。

楽しみです。まさに「sublime meets ridiculous」の精神ですね。

三原あとなにかほかに聞きたいことありますか? クリエイションの真面目な話とかみんな読まないと思うので(笑)。

いやいや、ここまで読んでくれてるわけですから(笑)。

井野なんかあんまり話せなくてすみません。。

三原僕ばっかり喋ってたよね。けど、井野くん今日は気使ってたね。飲んでるときの方がもっと色々喋ってるよ。

井野そんなこともないと思うんですけど。けど、今日は三原さんの話を聞いてて心地よかったし、懐かしい気持ちになりました。

三原言ってることは変わらないもん。やり方を変えてるだけで。

井野改めて聞いていて、僕は三原さんよりゆるいなーって思うとこがありました。あと、今日聞いた哲学はあくまで三原さんのためのものなんだなって。

三原それはそうだよね。逆にぼくは井野君の哲学をなぞれないしね。

井野はい。あと今日思ったんですが、〈ミハラヤスヒロ〉のアーカイブ展が見てみたいです。

三原うちアーカイブとってないんだよ(笑)。靴がちょっとあるくらいで、洋服はとってないと思うな。

井野借りるとかでもいいんじゃないですか。持ち主の名前が書いててもいいだろうし。

三原そうだね。でもあるときから、死んでもなにも残らなくていいと思ったんだよね。

井野いやいや。

三原でも、この取材で井野くんのポップさとディープさがわかったんじゃないですか? ネタ的にポップなことをやってるけど、実はディープですからね。

十分伝わりました。今日は長い時間、本当にありがとうございました!

Masion MIHARA YASUHIRO

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