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白いダブルのセットアップが、見事に高岩 遼のブランドをアゲてくれた。

まず、お二人の最初の出会いは?

森川うちのスタッフが高岩くんと仲良くて。

高岩それで去年、展示会にお伺いしたときに森川さんに挨拶させてもらったんですけど、ちゃんとお話するのは今回が初めてなので楽しみにしていました!

森川先日のライブも観たかったんですけど、間近に控えたパリコレクションの準備で行けなくて。

髙岩またやるんで、懲りずに誘わせてもらいます。

森川さんは高岩さんのソロアルバムを聴かれてどう思われましたか?

森川SANABAGUN.の時はファンクだったり、ラップの要素が強いですけど、ソロはそれとはまた違って新しいですよね。いまの日本の音楽って、音楽性が似ているバンドが多かったりするなかで、似たものがない希有な存在ですよね。だから、ライブ衣装も是非やろうよって。

高岩ダダはレペゼン東京、レペゼン日本の格好いいブランドだと思っていて。そこに昭和顔の俺が掛け算で乗っかる面白さがいいんじゃないかなって。ライブでは見事に高岩 遼のブランドをアゲてくれましたね。

森川俗に言うフルオーダー系のスーツとは異なるシルエットに仕上がったので、そういう部分を面白がってくれたらいいなって。

高岩自分が求めていたのは、まさにそういうものだったんですよ。自分はファッションが好きだし、そのファッションの先端の部分が高岩 遼には必要だったので、オーダーメイドしていただいて光栄でした。

高岩あの、僕が勝手に解釈していた “CHRISTIAN DADA” という名前の意味をここで言ってもいいですか? 僕自身、皮肉や風刺が織り込まれた表現がすごい好きなんですけど、まず、“DADA” っていうのはダダイズムですよね?

森川そうそう。

高岩そこに厳粛とした “CHRISTIAN” っていう言葉を付けたのは、森川さんなりの皮肉的な遊びなのかな、って勝手な見解を持っていたんですよ。

森川かなり近いですね。もちろん、それまでの既成概念を壊して新しいものを生み出す “ダダイズム” の思想からきているんだけど、“CHRISTIAN” という名前はクリスチャン・ディオールをはじめ、メゾンコードとしてもよく使われてもいるので、2つを合わせることで、そこにリスペクトと挑戦の意味を持たせていて。ちょっとした皮肉というか、色んな媒体に出ていったときに〈クリスチャン・ディオール〉があって、〈クリスチャンダダ〉があったら面白いんじゃないかなって。

高岩なるほど。安直かも知れないですけど、その名前から俺はパンク・スピリットを感じたんですよね。

森川この質問は1000回以上訊かれてる気がするんですけど、僕が考えていたニュアンスにここまで近い答えは初めてかもしれないね(笑)。

高岩よっしゃ!

森川さんはLADY GAGAやKISSともコラボレーションをされていますけど、ご自身のなかでファッションと音楽はどのように結びついていらっしゃいますか?

森川高校のときにバンドをやっていたんですけど、音楽を諦めてファッションに入った人間なんですよ。それがいまでもコンプレックスであり、原動力でもあって。だからショーの音楽もコレクションのコンセプトに合ってるかとかストーリー性にこだわってます。

高岩どんなバンドやっていたんですか?

森川しょうもないから言いたくないなー(笑)。

高岩もう一つ訊きたいことがあって、俺は田舎で音楽を始めようと思い立った瞬間に、“おい、バンドやっぺ。絶対売れっから”って周りに声をかけたんですけど、森川さんが〈クリスチャンダダ〉をスタートさせたときの原動力は何だったんですか?

森川僕はロンドンの〈シャルル・アナスタス〉でアシスタントを経験してから、23歳のときに友達とブランドを始めて。結局2年後に方向性の違いで辞めて。そこからしばらくアルバイトとかで働いていたんですけど、その間に祖父が亡くなったんですよね。自分のなかで刺繍屋だった祖父の影響はものすごく大きかったので、自分は何しに東京に出てきたんだろう、と気づいて。そこで始めたのがこのブランドなんですよ。だから原動力というか、自分には服を作ることしかなかったから。

高岩最後の花火を打ち上げた、と。

森川そうだね(笑)。ラストチャンスにしがみついてみようかなって。初めはそんな感じで、いまはある種の使命感をもって取り組んでいて。以前の自分は全てにおいて自信がなくて。実際、初めてパリに出たときも業界から笑われたんですけど、負けず嫌いでずっとやり続けていたら、ずっと続けていることで最近になって周りの目も少しづつ変わってきて、以前笑っていた人たちから「お前がやらなきゃどうするの?」って言われるようになったり。いま日本からパリに行っているデサイナーは大体40歳以上の世代だったりするんですけど、僕がいま34歳なので、上の人たちとは違う角度で取り組んで、同じ世代、その下の世代に繋げていく役割を自分ができたらと思えるようになってきたんですよね。偉そうに聞こえないでほしいですけど純粋に(笑)。

では、高岩さんがスターになりたいと思い続ける、その原動力とは?

高岩一つは長年抱いていた夢のため。それから親孝行。それから森川さんもおっしゃっていましたけど、支えてくれている仲間たちに高級車に乗ってもらいたいなって。自分がはじめたバンドに責任がありますからね。そして、モテたいという気持ちももちろんあります(笑)。

森川なんかいいね。全てが実直な感じで。

高岩あと金が欲しいっす。

森川金、女……ストレートだね(笑)。

高岩さんの発言には一切の迷いがないように思うんですけど、森川さんにかつて自信がないときがあったように、高岩さんのなかで迷う瞬間というのはありますか?

高岩それがあるんですよ。家のトイレに入ってるときに “色々やりすぎたかな”って考えたりするときもあるし、“スターになるとか言わない方が売れるんじゃねえかな” って思ったり。でもやっぱりトイレから出たら高岩 遼になって、大股で街を歩くと。

森川でも高岩くんはこれから楽しくなっていくだろうから。例えばものづくりをやってると、昔に自分がつくったものが恥ずかしくなったりするでしょ?

高岩そうですね。基本的に自分の音源を聴き返さないのもそういうことだったり。

森川でも、どれだけ時間が経っても、自分もこれまでつくってきた服を全て胸をはって出そうって思ってきて最近。

高岩自分のなかで肝が据わったというか。

森川そうだね。ようやく。

高岩やっぱり俺もまだまだこれからってわけですね、貴重な話ありがとうございました!

高岩 遼

1990年8月27日生まれ、岩手県宮古市出身。平成生まれのヒップホップ・チームSANABAGUN.、ニュー・サムライ・ロックンロールバンドTHE THROTTLEのフロントマン、13人のミュージシャン・アーティストがストリートを舞台にパフォーマンスを行う表現者集団SWINGERZの座長としても活動。日本人離れした太く光沢のある声と、路上ライヴで磨いたライヴ・パフォーマンスが魅力。2018年10月17日、総勢20名以上の若手ミュージシャンを従えてRed Bull Studio Tokyoでレコーディングされたソロ名義での待望のデビュー・アルバム『10』が「ユニバーサル ジャズ」よりリリース。

高岩 遼

CHRISTIAN DADA TOKYO

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