平野太呂(以下、平野) みなさん、こんばんは。年内最後の講義となったこのHSCですが、前回はスケートボードとビデオをテーマに、業界屈指のビデオグラファーでもある森田貴宏をゲストにお招きし、熱く語っていただいたのですが、今回のテーマはスケートボードとファッション。
色々話したいことが盛り沢山なテーマでもあるんですが、まずは僕ら二人でスケートボードとファッションの歴史というか変遷を辿りながら、前半ではスタイリストの新居くんに登壇いただき、当時のスケーターファッションについて語ってもらいつつ、実際にリアルなスケーターをイメージしたスタイリングなんかも組んでもらってます。
その後、一旦休憩を入れた後の後編では、スタイリストの長谷川昭雄くんとデザイナーの西山徹くんと一緒に彼らのお仕事のお話を聞きながら、スケーターとファッションについて考察を深めていけたらと思っています。そんな感じで千ちゃんは大丈夫かな?
小澤千一朗(以下、小澤) うん、いつも通り完璧ですよ(笑)。ちなみにスケートボードとファッションの歴史となると、70年代くらいから話していく感じかな?
平野 そうですね。一説によるとスケートボード自体は50年代から始まったとも言われているんですけど、ここではファッションという部分を中心に触れていきたいので、分かりやすくサーフィンの副産物的な形で広まっていったとされる70年代から話していきましょうか。
70年代は映画の『DOGTOWN & Z-BOYS』*1
でも皆さんご存知かもしれませんが、スケートデッキが今とは違い、幅も長さも小さいタイプが主流だったんですね。そしてサーフィンカルチャーと共に西海岸が発祥になったこともあって、上裸で滑るなんてことは当たり前だった時代。それでも足元を見てみると靴下はラインの入ったハイソックスで、シューズはVANSのオーセンティックが一番多かったのかな。
当時のスケーターシーンでは英雄的存在だった「Z-BOYS」のメンバーのジェイ・アダムス *2 の幼少期時代の着こなしを見てみると、スケーターファッションとはとても言えないですよね。本当にただの子供の服。スケーターファッションなんて生まれる前の時代で、改めてここから始まったんだなって感じがします。
*1 ステイシー・ペラルタが監督を務め、70年代の西海岸に隆盛を誇った当時のスケート&サーフシーンのライフスタイルを綴った珠玉のドキュメンタリー作品。当時の貴重な映像やジェイ・アダムス、トニー・アルバなどのスターも登場し、現在の彼らのインタビューも収録。ナレーターはハリウッド俳優のショーン・ペーンが務めた。
*2 70年代にカリフォルニアのベニスで巻き起こった世界的なスケートボードムーブメントとなった「Z-Boys」の中心人物であり、70年代の英雄的存在であったスケーター。メインストリームに媚びることなく、アンダーグラウンドなシーンを駆け抜けた、世界で最もピュアなスケーターのひとり。その強烈な個性とキャラクターは多くのファンを惹き付けた。2014年に他界。
「BONES BRIGADE」は特別な存在だった。(小澤)
小澤 この当時はそこまでファッションに対して強く意識をしていなかったっていうのが分かるよね。それでもヘアスタイルはひとつの指標になるかもね。とにかくみんな髪が長かったから。
平野 確かにね。当時のサーファー的なスタイルを踏襲しつつ、70年代のロッカーの香りも漂わせているよね。そして先ほど話したジェイ・アダムスやトニー・アルバ *3 たちが所属する「Z-BOYS」が本格始動していく頃には、スケーターたちの着こなしも少しづつスポーツテイストへと移行していくんですよね。なんとなくローラースケートのような雰囲気に近いと言ったら分かりやすいんですかね。
*3 トニーアルバ同様、「Z-BOYS」のオリジナルメンバーとして70年代に活躍したレジェンダリーな名スケーター。空のプールと謳われた通称「ドッグボウル」と呼ばれるプールランプでのスケートをいち早く実践した人物でもある。
小澤 色使いとかもポップになり始めていった時期なのかな。
平野 蛍光色とか使っていたりね。スケートボードのデッキもこの頃からグラフィカルになっていきますよね。
平野 そして80年代には僕ら世代にとってのヒーローでもあるクリスチャン・ホソイ *4 という日系人のスケーターが登場します。彼の着こなしはとても独特で、日本でも影響を受けた人は少なくないと思うんだけど、この頃に彼がよく着ていて代名詞的な存在でもあった〈JIMMY’Z〉*5 というクロージングブランドが人気を博すんですよね。
*4 80年代に活躍した日系アメリカ人のカリスマスケーター。トニー・ホークとライバル関係にあり、当時のスケーターキッズを沸かせた名勝負は数知れず。ロックスターのような佇まいで、ワイルドでかつ豪快なスケートスタイルが持ち味。その存在感は唯一無二。2007年には彼の半生を綴ったドキュメンタリー作品「RISING SON the legend of skateborder christian hosoi」がリリースされた。
*5 1984年にマリブのサーファー兼アーティストであったジム・ガンザーが立ち上げたブランド。オールドサーフの象徴として、「Ford」のウッディワゴンをブランドアイコンとし、サーフ&ビーチウエアを数多く展開。その後、時代の流れと共に一度は終焉を向かえながら、2011年にガンザー自らの手によってブランドを再始動。伝説となりつつあった当時のコレクションを復刻させ、再燃の兆しを見せる。クリスチャン・ホソイの代名詞的ブランドでもあり、当時のシーンをよく知る人にとっては思い入れの深いブランドでもある。
小澤 太呂なんかはこの辺りの時期にスケートボードを始めたんじゃない?
小澤 当時のイケてるスケーターは一度着た服は二度着ないっていうね。
平野 みんな破いちゃうからね。特にホソイなんかはTシャツを与えられると、器用に袖や裾を切っていって、余った布を腕や首に巻くっていうね。一見金太郎みたいな格好にも見えるんだけど、これが当時の彼らの流行というかスタイルだったんですね。スポンサーとしてついているブランドからもらったモノであろうと自由にアレンジしちゃうぞっていう、スケーターらしい感覚ですよね。
小澤 今の若い子には分からないかもしれないけど、当時少年だった僕らからすると憧れの的だったんですよね。
平野 そうだね。あとはランス・マウンテンやスティーブ・キャバレロ、トミー・ゲレロなどを擁した「BONES BRIGADE」を始め、ホソイや彼の仲間の一人であったスコット・オスター *6 とかね。
*6 80年代を代表するスケートスター集団「BONES BRIGADE」ではいぶし銀的な立ち位置で人気を博したスケーター。当時の名スポットであったビバリープールで撮影した男気溢れるライディング写真は、当時の日本のスケートキッズたちにとっても記憶に残る一枚。
小澤 確かに「BONES BRIGADE」は特別な存在だったよね。それにトミー・ゲレロなんかも裾を切ってたりしたよね。
平野 スティーブ・キャバレロはこの頃からバンドを始めてロックシーンに傾倒し、ファッションもそういったスタイルを取り入れていたし、ランスはそこら辺のスーパーで買ったようなニットセーターを着たりしてね。そういえば最近も彼のInstagramで「当時着ていたペイズリーのニットがまだ手元にあったよ」なんてポストをしていましたね。
小澤 トニー・ホークはその中でも割とお金持ちで品が良かったイメージだよね。
平野 そうそう。前回の森田が来てくれた回でも話ましたが、彼のお父さんは全米のスケートボード協会の会長だったんですよね。それで英才教育を受けながらスケートボード史上最も成功したスケーターとも言われています。そういった意味では、ちょっと周りとは違った環境だったのもあるかもしれませんね。あとは他にマイク・マクギル *7 というスケーターは、現在エンシニータスでスケートショップをしているみたいだし、ロドニー・ミューレン *8 は知っている人もいるかもしれませんが、実は数学者なんですよね。アメリカの『TED』っていうプレゼンを行うTV番組にも出演しているんですよね。
*7 「BONES BRIGADE」のメンバーであった80年代に全盛を誇ったプロスケーター。現在スノーボードシーンなどでよく見られる「マックツイスト」というトリックの生みの親としても知られる。
*8 11歳でプロスケーターとしてデビューし、14歳でドリームチームとして有名だった「BONES BRIGADE」に加入。そのキャリアは30年以上に及び、今では定番となったオーリーやキックフリップなどのストリートスケートの基盤となる数々のトリックを生み出したスケートシーンが誇るレジェンドである。また博識なスケートボーダーとしても知られる彼は、現在数学者としてシリコンバレーを拠点に様々なテックカンファレンスに登壇し、人気スピーカーとして活躍中。
平野 頭脳だけじゃなく、スケートボードもフリースタイルという手法をいち早く取り入れて、天才的な才能を遺憾なく発揮した人物でもありますね。ちょっとファッションの話から脱線しましたが、今紹介した「BONES BRIGADE」の面々というのがいわゆる80年代のスケートシーンにおけるファッションのカリスマでもあったというわけですね。
小澤 「BONES BRIGADE」を筆頭に、彼らをモデルとしたファッショナブルなスケートチームってこの頃は他にもいたのかな?
平野 あとは『アルバ』というロックなスケートチームなんかもいましたよね。みんな強面な見た目で、不良っぽい雰囲気でね。80年代の中期頃から「BONES BRIGADE」にインスパイアを受けたスケーターたちがそれぞれオリジナルのスタイルを見出していくんですが、その着こなしはまさに千差万別。みんな各々が好きな音楽やアートなどから影響を受けながら構築していったんですよね。
紋切り型のスケーター像を見事なまでに破ってくれた。(平野)
平野 そして80年代の後期になると、遂にアイコン的なスケーターが現れるんですよね。それがマット・ヘンズリー *9 という人物ですね。彼は紋切り型のスケーター像を見事なまでに破ってくれた存在で、着こなしはドイツ軍の軍パンをぶった切ってショーツとして穿きながら、後ろのポケットにはチェーンのついた「Harley-Davidson」のレザーウォレットを忍ばせていましたね。
そして移動手段には代名詞でもある「VESPA」。聴いている音楽もスカパンクやモッズ系が多くて、彼のビデオパートには『Operation Ivy』の曲が使われていましたよね。最近は「Flogging Molly」*10 というアイリッシュパンクのようなバンドでアコーディオンを弾いています。
*9 80年代後期に突如としてスケートシーンに現れたアイリッシュ系スケーター。当時のカリスマチームであった「H-STREET」や「PLAN-B」では数々の功績を残し、当時としては革新的であったブリティッシュな着こなしをスケートシーンに取り入れたことでも知られる。またミリタリーやバイカーアイテムを流行させた張本人でもある。全盛期であった92年にプロスケーターを電撃引退し、現在は「FLOGGING MOLLY」というバンドでアコーディオン奏者として活躍する。
*10 マット・ヘンズリーが所属するアイリッシュ・パンクの雄として知られるパンクバンド。メンバーは皆カリフォルニアのロサンゼルス出身者によって構成される。1993年の結成以降、通算5枚のフルアルバムと、4枚のライブ&ミニアルバムを発表。また2006年と2010年にはフジロックフェスティバルにも出演し、現在も世界各地をツアーで回るなど精力的にライブ活動を行う。代表曲はバンドらしい楽曲である『Float』やライブではモッシュやダイブが多発する『Laura』などがある。
小澤 うん、いつも通り完璧ですよ(笑)。ちなみにスケートボードとファッションの歴史となると、70年代くらいから話していく感じかな?
平野 軍パンのショーツにチェーンウォレットってスタイルはめちゃくちゃ流行ったね。僕も軍パンのショーツは4枚持っています。
平野 うん。では、折角マット・ヘンズリーの名前が挙がったので、僕と同じように彼に影響を受けた人物でもあるスタイリストの新居くんをお招きしたいと思います。新居くん、どうぞ前の方まで。
平野 新居くんはマット・ヘンズリーを知ったのは、リアルタイムではなかったみたいですが、新居くんにとってはどんな存在でしたか?
新居 スケートボードが上手いことは当然なんですけど、ファッションや音楽など、それ以外のカルチャーにも多大な影響を与えたのは彼が初めてなんじゃないかなと思っています。当時はスケートのスポットに行くと、明らかにマット・ヘンズリーから影響を受けているなって人とか必ず居ましたからね。
それまでは、例えば「POWELL PERALTA」のファンでそのブランドのTシャツを着ているみたいな人はいたんですけど、ノーブランドや無地なのに、彼の着こなしっていうのが分かるのはヘンズリーさんからだったんじゃないかなって。
平野 今日は当時のマット・ヘンズリーの着こなしを新居くんのスタイリングによって用意してもらっています。写真や話だけじゃなく、こうした着こなしをスタイルサンプルとして実際に見て学ぶというのも面白いですよね。
新居 この当時は先ほど70年代のお話であったようにサーフカルチャーからの系譜で、いわゆるアメリカンな雰囲気がスケートシーンのスタイルの中でもスタンダードな時代だったんですけど、ヘンズリーさんはアイリッシュ系の家系だったこともあって、当時としては斬新だったブリティッシュなスタイルだったんですよね。
だから今日組んだスタイリングも足元に〈Dr.Martins〉を合わせていて、Tシャツなんかも僕が一番衝撃を受けたスケートビデオの作品である『Hokus Pokus』での彼のパートを踏襲しています。MA-1は彼がよく着るアウターの中では一番分かりやすいかなと。
平野 そうですね、これぞマット・ヘンズリーって感じですね。この頃から本当にこんな格好のスケーターが日本でも沢山現れ始めたんですよね。ただ大事なのはファッションだけではなくて、新居くんが言うように彼は本当にスケートボードがうまくて、スケートスタイルも革新的だったっていうのも大きいんですよね。
新居 そうなんですよね。明らかに他のスケーターとは違うなっていう匂いが漂ってましたからね。
平野 〈AirWalk〉のミッドカットを履いて、履き口のところをぶった切って履いていたりもしてましたよね。
スケーターのスタイルを真似したとしても、そんなのは一般的に見たら知られていないのと一緒。(平野)
平野 そして80年代の後期になると、遂にアイコン的なスケーターが現れるんですよね。それがマット・ヘンズリー *9 という人物ですね。彼は紋切り型のスケーター像を見事なまでに破ってくれた存在で、着こなしはドイツ軍の軍パンをぶった切ってショーツとして穿きながら、後ろのポケットにはチェーンのついた「Harley-Davidson」のレザーウォレットを忍ばせていましたね。
そして移動手段には代名詞でもある「VESPA」。聴いている音楽もスカパンクやモッズ系が多くて、彼のビデオパートには『Operation Ivy』の曲が使われていましたよね。最近は「Flogging Molly」*10 というアイリッシュパンクのようなバンドでアコーディオンを弾いています。
*9 80年代後期に突如としてスケートシーンに現れたアイリッシュ系スケーター。当時のカリスマチームであった「H-STREET」や「PLAN-B」では数々の功績を残し、当時としては革新的であったブリティッシュな着こなしをスケートシーンに取り入れたことでも知られる。またミリタリーやバイカーアイテムを流行させた張本人でもある。全盛期であった92年にプロスケーターを電撃引退し、現在は「FLOGGING MOLLY」というバンドでアコーディオン奏者として活躍する。
*10 マット・ヘンズリーが所属するアイリッシュ・パンクの雄として知られるパンクバンド。メンバーは皆カリフォルニアのロサンゼルス出身者によって構成される。1993年の結成以降、通算5枚のフルアルバムと、4枚のライブ&ミニアルバムを発表。また2006年と2010年にはフジロックフェスティバルにも出演し、現在も世界各地をツアーで回るなど精力的にライブ活動を行う。代表曲はバンドらしい楽曲である『Float』やライブではモッシュやダイブが多発する『Laura』などがある。
小澤 なんでスケーターはみんなミドルカットとかハイカットのスニーカーをカットオフするんだろうね? 太呂とかはその辺り突っ込んだことはないの?
平野 ヘンズリーに? さすがにないなあ(笑)。でも僕自身スケートをしていてその気持ちって分からなくないんだよね。単純に邪魔だったっていうか、あの時代は必要としていなかったのかなって。
新居 僕らの頃は〈CONVERSE〉のウェポンとかでやってましたよね?
新居 ウェポンも元々はガチガチのバッシュだったんですけどね。いつからかみんなハサミでぶった切ってスケシュー感覚で履くようになりましたよね。
小澤 新居くんもスケートする時はやっぱりヘンズリースタイルだったんですか?
新居 そうですね。それに今だに僕はヘンズリーさんの影響で〈VESPA〉乗ってますからね(笑)。
平野 僕も当時乗っていましたね。スケートスポットに行くときは〈VESPA〉に乗って移動していましたね。この後、後半のゲストで出てくる徹と一緒にヘンズリーのスタイルを真似したくて、当時渋谷の西武百貨店のA館とB館の間にあった本屋さんの地下に軍モノ屋さんがあったんですけど、そこにまさにその軍パンがあるらしいって情報を仕入れてね。「これだ!」ってなって沢山買った覚えがありますね。
小澤 僕がいつも不思議に思うのは、スケーターって誰か有名人とかのコスプレとかは嫌がるじゃないですか。それなのに限られたスケーターの場合は受け入れますよね? あれはなんでだろうね。
平野 確かになんでだろうね。分からないけど自分しかその格好良さに気付いていないっていうところもあったのかな。
平野 僕が高校の頃は同じ学校にマット・ヘンズリーを知っている人なんて仲間の数人しかいなかったからね。だから著名なスケーターのスタイルを真似したとしても、そんなのは一般的にみたら知られていないのと一緒っていうか。
小澤 うんうん。その言葉でさっき始まる前に雑談していた時の太呂の話とリンクしたよ。腑に落ちた。いわゆるスケーターらしい着こなしとされていた〈GIRL SKATEBOARDS〉や〈CHOCOLATE〉ともまた違う着こなしだったんだよね。
平野 そうだね。〈GIRL SKATEBOARDS〉や〈CHOCOLATE〉のようなスタイルだったらもしかしたら知っている人も多かったかもしれないし、スケーターのスタイルとしてイメージがしやすかったと思う。
平野 加えてマット・ヘンズリーのスタイルにいち早く注目していた僕らは、流行よりも先に知っているっていうちょっとした自慢げな気分になっていたのかもしれないね。
平野 軍パン穿いてセーター着て、スニーカーはヘンズリーもよく履いていた〈VANS〉のチャッカブーツを履いていたね。もちろん軍パンもカットオフしてね。それで〈VESPA〉に乗ってたよ。高校2年生くらいのときかな。
新居 その4、5年後に僕も後追いで太呂さんと同じ格好をしていたんですよね。そう考えるとなんだか感慨深いですね。
平野 それほど影響力のあったスケーターだったっていうことですよね。
小澤 ちなみに太呂はヘンズリーとの思い出とかってあるの?
平野 今でも覚えているのは、昔「FLOGGING MOLLY」で来日した際に渋谷の「HMV」でインストアライブをしたことがあって、もちろん友達と見に行ったわけなんだけど、その時に合間の時間を見つけて「一緒に滑りに行こうよ」って誘ったことがあったんだ。まだ目黒に室内ボウル *11 があった頃だね。
それでそこに滑りに行こうと思ったんだけど、ヘンズリーがその時履いていたのが、アメリカのスーパーで売ってる一番安い労働靴みたいなスニーカーで。「俺今日こんなのしか履いてないよ」って言われてね。それでまたその靴がかっこよく見えちゃって(笑)。
*11 水の入っていないプールの中をスケボーで滑るというもので、70年代に「Z-Boys」を中心とした当時のスケーターたちが発展させたスケートのスタイル。通称「ドッグボウル」とも言われる。
小澤 今みたいにInstagramとかインターネットのない時代によくそんなに掘り下げられたよね。2人は当時どうやって情報を仕入れていたの?
平野 スケートのビデオを見ながら服とか靴が一番よく見える角度のところで一時停止してひたすら凝視。時には巻き戻ししてみたりね。
小澤 そういうところからスケートフォトの価値っていうのも生まれていったのかもね。ブランドやスポンサーサイドが見るのもそういう視点だったりするじゃん。
僕のスケートへの想いっていうのは、ファッションの側面でいうと洋服の作り手ではなくて、コーディネイトを組むっていうところにリンクしていった。(新居)
新居 僕もそうだったんですけど、太呂さんのようになんとか当時の限られたスケートビデオや雑誌で、スケーターの存在を知っていって、まずはファッションから真似していくっていうのはありましたよね。ただ子供の時っていうのはスケートブランドの服さえ買えなかったりしたから、全く同じ着こなしっていうのはできなかったんですよ。
それでまずは、あのスケーターがあのビデオで着ていた服と同じ色とかシルエットを真似しよう!っていうところから始めていくんですよね。あと僕がやっていたのはジャケットやシャツのボタンの止め方とかね。一番上のボタンだけ止める着こなしとかはスケーターからのインスパイアでしたね。
平野 なんだかその話を聞くと今の新居くんの仕事にも繋がっていっている気がするね。
新居 そうですね。そこからスタートした僕のスケートへの想いっていうのは、ファッションの側面でいうと洋服の作り手ではなくて、コーディネイトを組むっていうところにリンクしていったんですよね。おそらくスケートをしていなかったらこの仕事もしていなかっただろうなって思っています。全く別の人生を歩んでいたんじゃないかなって。
新居 スケートをすることももちろん好きなんですけど、ファッションを含めたカルチャーっていうのも好きなんですよね。特に2000年代以降っていうのはスケーターのトリックやスキルのレベルがあがり過ぎてしまって、追いかけられなくなってしまった。となると、より一層スケーターのファッションに的を絞って追いかけようって思うようになりました。
小澤 個人的には最近のスケーターはスケートブランドだけで全身のコーディネイトが組めちゃうっていうのがなんだか面白くないなって思うんだけど、その辺はどうかな?
新居 そうですね。でもたまに若いスケーターの子で感性の豊かな子とかは独創的な服の着方をしている子もいますけどね。
平野 そうなんだよね。さっき千ちゃんが質問したスケーターの真似をするっていう話もそうだけど、結局アメリカでもキッズのスケーターの着こなしっていうのが一番リアルなスタイルなんだよね。雑誌のファッションページやブランドの広告だったり、スケーターをテーマにした映画だったりっていうのも大事な情報源ではあったけど、そういったメディアを通したビジュアルはやっぱりどこか演出されたものだと思うんだよね。
平野 そしてこのヘンズリーというスケーターがシーンに登場したのが80年代の後半だったわけですが、90年代からスケーターのファッションはガラッと変わっていきます。まずこの当時のスケートシーンの補足としてはウィール *12 がどんどん小さくなっていって、街中をプッシュ *13 しながら華麗に流すというよりは仲間たちとスポットに溜まりながら技を競い合うっていう時代ですよね。
個人的には、その象徴的なスポットとしてサンフランシスコのエンバーカデロ *14 などのスポットが印象深いですね。スニーカーを見てみるとマイク・キャロルが履いていた〈PUMA〉のクライドとか、スケシューにも多様性が出てきましたね。それにしてもやっぱりTシャツやらパンツのサイズ感がかなりだぼっとしてきましたね、この時代から。新居くん的にはこの時代はどうですか?
*12 スケートボードの車輪部分のパーツを指す。50mm〜60mmの大きさが一般的なスケートショップで流しているアイテムの相場となっており、街乗り用のクルーザー仕様やスピード重視派、トリック重視派などによってその選定基準は分かれる。他にも幅の広さや硬さなどでも効果は変わるとされている。
*13 スケートボードの中でも最も基本的なトリックのひとつ。足で地面を蹴ってスケートボードに乗りながら進む動作のこと。
*14 1990年代に数々のスケーターたちが足を運び、様々な映像作品でロケーションの舞台となった名スポット。このスポットに集まるクールなスケーターたちに思いを馳せた当時のキッズたちは、みないつの日か聖地巡礼をすることを思い描いていた。その後1998年に同エリアの再開発に伴い、惜しまれつつも取り壊されてしまう。
新居 そうですね。僕自身はリアルタイムではちょうど後追いでヘンズリーさんを追いかけている時期ではあったんですけど、そのヘンズリーさんと同じくらいヒーローだったのがトム・ペニー *15 でしたね。
*15 スキル時代へと突入した00年代において他のスタースケーターともまったく引けを取らない活躍でここ日本でも多くのファンを獲得したレジェンドスケーター。イギリス生まれのスケートチーム「FLiP」やスニーカーブティックブランド〈SUPRA〉などにサポートされ、現在も現役のスケーターとして活躍。また盟友でもあるチャド・ムスカとジェフ・ロウリーと共にアパレルブランドの〈TSA Clothing〉も始動。Tシャツの重ね着やビーニーの深被り、ワイドシルエットのルーズなデニムパンツなど、彼の象徴的な着こなしに影響を受けたスケーターが数知れず。
平野 ほう。彼を好きになった理由はなにかあるんですか?
新居 彼に惹かれた理由は、ヘンズリーさん同様スケートのスキルはもちろんなんですけど、特に彼のファッションに対して圧倒的な個性を感じたんですよね。個性といっても奇抜だとかそういうことではなく、自分のスタイルを貫く意志があるように思えたんです。90年代特有のいなたさもあったし、いつトム・ペニーのスタイルを見てみても、やっぱりトム・ペニーだったというか。
新居 トム・ペニーといえば、あそこの席に座っている彼のような着こなしですよね。
平野 まさかトム・ペニーがこの会場にいるんですか(笑)?
(会場内では当時のトム・ペニーのコーディネイトを着せ込んだモデルに注目が集まる)
新居 トム・ペニーの着こなしのポイントって、全体のシルエットのサイズ感だったり、トレードマークだったビーニーの深被りだったり色々あるんですけど、僕の中ではTシャツとスニーカーの色を必ず合わせるっていうストリートマナーを徹底していることなんですよね。
平野 あー確かに。僕らがリアルタイムで見ていた時代もそんな気がしてきたし、過去の写真を見てみても色を合わせていることが多いね。
新居 そうなんですよね。だから先ほど僕は彼をいなたいスタイルって言って、あたかも洋服にあまり興味がない人のように話しましたが、実は彼なりのこだわりやポリシーがあったんだろうなっていうのもこういった考察から分かるんですよね。
平野 うんうん、そういうことですよね。こだわっていないようで実はこだわっているっていうのは、スタイリスト的にもグッときそうですよね。
新居 はい、最高ですね(笑)。今の若い子にもしっかりと伝えていきたいですね。今90年代のスタイルを体現している子たちは、その最先端がトム・ペニーだったと言う事実を(笑)。でもトム・ペニーを知らずに結果的にトム・ペニーみたいなスタイルになっているっていうのも、それはそれで面白いんですけどね。
小澤 そのくせスニーカーとかは〈SUPRA〉 *16 などの最先端のブランドからサポートされていたり、認められている人には認められている感じも良かったよね。
*16 2006年にエリック・エリントンやジム・グレコ、トム・ペニーらが中心となり、カリフォルニアはコスタメサにてスタートしたスニーカーブランド。チームのライダーにはチャド・マスカやテリー・ケネディなどのスケーターが名を連ね、昨今ではウィル・スミスなどの著名なセレブも愛用していることでも知られる。
平野 トム・ペニーって人を寄せ付けない独特なオーラがあって、誰とつるんでいるかも分からない一匹狼感というか、生息地不明の神出鬼没なスケーターというイメージもあって一目置かれていましたよね。
小澤 そんな変人なスケーターもカッコよければしっかりと許容するぜっていうアメリカらしいスケートブランドの姿勢も良いよね。日本ではそこまで理解を持ったブランドってまだ少ない気がするから。
今は情報も溢れていて、参考にすべきスケーターも沢山いますよね? だとしたら色々なスタイルを試してもらいたい。(新居)
平野 90年代はそんなヒーローがいたり、80年代とは明らかに違ったスタイルのスケーターが増えたこともあって、2000年代に向かうにあたり少しづつスケーターの特性というのも細分化されていきます。もちろんこの頃もまだヘンズリー派もトム・ペニー派もいて、さらに同時にそのどちらとも言えないようなスケーターなんかも派生していったような時代だったと思いますね。そしてこの時代に一世を風靡したスケーターであるチャド・マスカ *17 が台頭してくるんですよね。
*17 90年代中頃より活躍したプロスケーター。ファッションとして初めてスケートシーンにヒップホップスタイルを持ち込んだ先駆者として知られ、彼のB-BOY的な着こなしやタンクトップ姿、片手に携えていたラジカセはトレードマークに。スケーターとしては、〈TOY MACHINE〉や〈Shorty’s〉、〈ELEMENT〉などを経て、現在は〈SUPRA〉の看板ライダーとして活躍中。
平野 タンクトップ姿でスケートデッキに乗りながら、必ずラジカセを片手に移動しているっていうね。
平野 あとはデニムパンツを片側だけたくし上げるっていうスタイルね。今はほとんど見かけなくなりましたけど。
平野 彼もまたファッションアイコンとして名物的なスケーターでしたね。そして肝心なスケートのスタイルではハンマートリック *18 を次々に繰り出すという。そんな彼はいわゆるヒップホップ的な着こなしだったんですけど、同時にロックなスタイルのスケーターもこの頃は沢山いたんですよね。
極限まで細いスキニージーンズを穿くみたいなね。この当時はまだストレッチ素材とかもなかったと思うので、絶対的にスケートはやりづらいんですけど、穿く人はみんなスケートのやりやすさではなく、こだわりとして穿いているっていうね。
*18 スケートボード業界におけるハンマーとは、リスクが高く、難易度の高い技や派手でパワフルなトリックのことを指す。
小澤 十人十色のスタイルを持ったスケーターが生まれていった00年代ですが、アメリカのスケーターが面白いのは、スケートのスタイルさえカッコよければその違いもきちんと受け入れるという共通意識なんですよね。
ロック系でもヒップホップ系でも交えられるというかね。太呂も確か何度かセッションしていたジェイミー・トーマス *19 みたいなバリバリのロックなスケーターがヒップホップスタイルを貫いたチャド・マスカをフックアップしたりもしていたわけだからね。
*19 ハンドレールでのトリックを全世界に流行らせたパイオニアとして知られる90年代に全盛を誇ったスケーター。現在もスケータ間で人気の〈ZERO〉や〈FALLEN〉などのスケートブランドのファウンダーでもある。名作ビデオ『Dying to Live』での彼のパートは必見。
平野 そうね。さっきのチャド・マスカも着こなしを見てみると一見バカにされそうな格好だったりするんだけど、それもキャラであいつはアリ! ってなるんだよね。
新居 一言にキャラクターと言ってもやっぱり滑りさえカッコよければという大前提の元っていうのはありますけどね。そういうのスケーター間ではありますよね。
平野 その一方で俗にヘッシュ *20 と呼ばれるスタイルのスケーターたちにも触れたいんですが、これは厳密には90年代くらいから既にいたんですが、サンフランシスコのスケーターに多くて、着こなしとしては〈Dickies〉のワークパンツに自分の好きなスケートカンパニーのTシャツを合わせて、〈VANS〉を素足で履いているみたいなね。
あるいはワークシャツにトラッカーキャップをツバを曲げずに被るとか。その代表的な存在がジュリアン・ストレンジャー *21 というスケーターでした。彼らのようなスタイルっていうのも大変人気があったんですよね。
さらにその一方でロサンゼルスではさっきも軽く話に挙がった〈GIRL SKATEBOARDS〉や〈CHOCOLATE〉というスケートチームがありまして、彼らは割と綺麗めな格好だったんですよね。白のTシャツに色の薄いパンツを履いて、スタイリッシュなスケシューを合わせるみたいな。とにかくクリーンなイメージだったんですよね。
北カリフォルニアの労働者風な佇まいのヘッシュに対して、ロサンゼルスに代表されるカリフォルニアのクリーンなスケーターはフレッシュっていう言い方で比較されていましたね。ただし比較はされながらも敵対しているわけではなくて、〈ANTI HERO〉 *22 と〈GIRL SKATEBOARDS〉が一緒にオーストラリアのツアーに回るなんてこともありましたからね。
そこはお互いのスケートスタイルを認めているっていうことだし、それぞれスケーターズオウンカンパニーっていうことで親近感もあったんですよね。そういったシンパシーを感じ合うのがスケーターなんですよね。
*20 ファッション的には、一見労働者のような見た目で小汚いながらに、ラフで男気のあるスケートスタイルを好むスケーターたちのことを指す。主にサンフランシスコなどに多くいた、コンクリートパークを好む白人スケーターを指すことが多い。ジュリアン・ストレンジャーなどはその代表格。
*21 〈ANTI HERO〉のボスとして知られる往年の名スケーター。ハードコアで男気溢れるライディングは、多くのスケーターにとってその道のメンターとしての存在を確立。俗にいうヘッシュというスタイルを浸透させた人物でもある。
*22 1996年にサンフランシスコのダウンヒルマスターとしても有名であったカリスマスケーターのジュリアン ストレンジャーによって設立されたデッキブランド。ブランドを象徴するイーグルロゴはサンフランシスコの空を飛び交う鷲がモチーフに。チームのライダーにはジョン・カーディエルやトニー・トルフィーヨなどの生粋のハードコアデュードなマインドを持ったスケーターを抱える。
小澤 スケーターズオウンカンパニーっていいよね。スケーターでもある自分たちの力で会社をやっているんだっていうね。戦友みたいなもんだよね。
平野 新居くんとかは〈ANTI HERO〉 とかこの辺のスタイルは通っていたりするのかな?
新居 僕はやっぱり〈ANTI HERO〉 とかのヘッシュなスケーターが好きですね。スケートのスタイル的にも〈GIRL SKATEBOARDS〉とかはちょっとスキルが浮世離れしすぎてて、サーカスみたいじゃないですか(笑)。
小澤 新居くん的なアドバイスとしては、これからスケートを始めたり、スケーターのファッションに興味を持ち始めた人たちにとっては、どっちが良いとかってありますか? ヘンズリー的なひとつのスタイルを追求する派と、これまでに出てきたスケーターの様々なスタイルや良い所を取り入れていく派っていうのと。
新居 僕らの時代は情報も選択肢も限られていたので始めはファッションも数パターンしか試せなかったですけど、今は情報も溢れていて、参考にすべきスケーターも沢山いますよね? だとしたら色々なスタイルを試してもらいたいですね。そうして試していく中で自分にあったスタイルのスケーターに出会ったらその人のスタイルをさらに掘り下げていけば良いのかなって。
平野 こうやって色々話しながら振り返ったり、検証したりしてみると、スケーターファッションなんてもしかしたらないんじゃないかっていう答えも出てきますよね。スケーター風とかっていうのを一昔前はよく雑誌でも謳っていたりしたけど、今はもうないのかもね。
平野 今の時代は今の時代で品の良いシャツを着て滑ったり、Tシャツをインして滑ったりしている子も多いわけだし、結果的に関係ないんだよね。
新居 僕らの時代にはTシャツをインしてスケートをするなんて発想なかったわけですからね。スケートデッキに乗ってさえいれば、なんでもアリですよね。それが一番スケーターらしいんですよ。
洋服を着せる時に常に念頭に置いているのが人の動きを洋服と美しく見せること。(長谷川)
平野 うん、その通りだね。ではスケートとファッションをテーマにその変遷を振り返った前半はこの辺で。新居くんありがとう。そして続いて後半ですが、同じテーマではありますが、少し視点を変えてお届けしていこうと思います。まずは後半のゲストであるお二人をお呼びしたいと思います。まずは西山徹くんから。
平野 徹はご存知の方もいるかと思いますが、〈WTAPS〉というブランドのディレクターで〈DESCENDANT〉というブランドも手掛けています。そして徹と僕は同級生で、学生時代から一緒にスケートボードを始めた仲でもあります。そして続いて、スタイリストの長谷川昭雄くんです。
長谷川昭雄(以下、長谷川) 長谷川昭雄です。よろしくお願いいたします。
平野 長谷川くんはもう『POPEYE』は辞めたんでしたっけ?
平野 なるほど。えっと長谷川くんは6年半くらい前に雑誌の『POPEYE』がリニューアルした際に、ガッツリ『POPEYE』に関わっていたんですが、ファッションエディター? でいいのかな?
平野 つまりは『POPEYE』におけるファッションページのディレクションや連載ページを担当していたんですよね。その中で僕が気になっていたのが、若いスケーターに洋服を着せてモデルカットのファッションストーリーを撮影していたり、徹のブランドの〈WTAPS〉のカタログでもスケーターをモデルにしていたりするのを見ていて、その辺の話を聞いてみたいなと。
長谷川 そうですね。最近だと香港の『MILK MAGAZINE』という雑誌で表紙と巻頭で〈WTAPS〉のファッションビジュアルを作りましたね。
西山 それは今年の9月に香港で初めて〈WTAPS〉のお店を出すことになったんですけど、その記念の特集ですね。
長谷川 実はその時のモデルの子たちにも今日は来てもらっているんですよね。僕の席の近くまで来てもらっても良いですかね?
平野 そうなんですね。せっかくなので少しお話を聞いてみましょうか。
長谷川 じゃあみんな前の方まで。一応彼らはみんな現役のスケーターです。軽く自己紹介していこうか。
ダイサク どうも、こんばんは皆さん。ダイサクです。高校一年生です。
ソウシ ソウシです。20歳です。よろしくお願いいたします。
ショウヘイ ショウヘイです。23歳です。よろしくお願いいたします。
平野 ショウヘイ君はどことなく90年代スタイルですね。
ショウヘイ はい、昔のスケーターのスタイルがすごい好きで、特にニューヨークのスケーターは好きですね。
平野 へぇ〜。90年代のニューヨークっていうと〈Supreme〉ができたばかりの頃とか?
*23 ニュージャージー州出身で、イーストコーストのスケートシーンを代表するレジェンドスケーターであるクイム・クルドナとその兄である故マイク・カルドナ。ハロルド・ハンターらと並び、ニューヨークのヒップホップとスケートを体現し続けた兄弟スケーター。弟のクイムは、現在〈Sushi Wheels〉や〈Organika〉などのスケートブランド、カンパニーを通してスケートシーンで活躍する。
小澤 いいね〜。スタイル的にはどことなくクイム感もあるけどね。
平野 ありがとうございます。またタイミングで彼らには少しお話を聞きつつ、少し話を戻しますと、この『MILK MAGAZINE』で使われている写真はどれも切り抜きに見えるんですけど、実際はどうなんでしょうか?
平野 モデルの子たちはスケートボードにも乗っているの?
長谷川 もちろん乗っています。浦安の方で撮影したんですけど、結果的には背景を切り抜いているのであまり意味はなかったんですけど(笑)。
長谷川 最初からですね。なんていうか僕は服を着せる時に常に念頭に置いているのが人の動きを服と共に美しく見せること。そこをとにかくビジュアルにしたかったんですよね。
平野 ほう。あんまりスケートボードは写っていないもんね?
長谷川 そうなんですよ。じっとしている人やスケートボードを撮るっていうよりも動いている人を切り取りたいなって昔からずっと思っていたので。洋服も風になびいている感じだったりとかね。
街と人を撮るってなった時に一番密接なのがスケートボードだった。(長谷川)
平野 例えば動かすことが目的であればスケートボード以外にもバスケットボールだったり色々と方法はあるじゃないですか? それがスケートボードだった理由はあるんですか?
長谷川 もちろんスケートボード以外をテーマにしたこともあったけど、例えば街と人を撮るってなった時に一番密接なのがスケートボードだったのかなと。
長谷川 やっぱり明治通りを見ても、バスケットボールを突きながら歩いている人なんていないですしね。
平野 そう言われるとそうですよね。スケートボードなら街中でやっていてもおかしくないし、背景も選べるから色々な所で撮れる可能性もあるもんね。
長谷川 街中にいる、なんてことのない人のただの日常を切り取りたいなっていうことですよね。だとしたらスケートボードに乗っている子がいいのかなって。そう思いながらモデルを探していましたね。
小澤 僕はこれを見ててとても新鮮だったんですよね。というのもスケート写真のルールに囚われる事なく撮っている感じが伝わってきて、それが単純にいいなって思ったんですよね。スケートフォトグラファーとかの専門的な写真家が撮っているわけではないのになぜか成立しているというか。それもスケートボードとファッションならではっていうね。
平野 スケートボードの専門的な写真を撮る人だったらこういう風には撮らないもんね、多分。もっと格好良くプッシュしている綺麗なフォームとか、足がしっかり蹴り上がっているとか、手をしっかり振っているとか、そう行った部分を見るからね。
長谷川 写真のセレクト自体は服が良く見えるとかモデルが格好良く映っているとかを意識して選んでいるんですけどね。だからこそスケートボードのテクニック的な部分はそんなにフィーチャーしていないですね。
平野 スケーターをモデルにしたい理由っていうのは見えてきたんですが、こういう格好をスケーターがしていたらいいなっていうのはあったのかな?
長谷川 そこはそんなに意識はしていないかな。この子はこんな服が似合うだろうなっていう服を当て込んでいるだけというか。
平野 例えば〈WTAPS〉はスケーターが着ていても全然違和感はないけど、たまにハイブランドとか絶対スケーターは着ないだろうなっていうブランドとか服を着せていることもあると思うんだけど、その辺りはどうですか?
長谷川 ハイブランドの服とかって特に変わった服が多いんだけど、そう言った服をいかにして違和感なく着せて魅せられるかっていう部分を考えながら、その結果スケーターに着てもらうってことはあったかもしれないね。被写体としてその辺の街にいそうな子たちに着せるっていうことの方が良いと思っていたからね。僕自身もそっちの方が好きだし。所謂モデル然とした人に着せてもその人の感じっていうのは出てこないしね。
平野 普段の良さっていうか素の部分を活かしたいっていうね。
長谷川 逆に着せられている彼らがどう感じているかっていうのを聞いてみるのも面白いですよね。
ソウシ 自分は長谷川さんに声をかけてもらう前からモデルのような仕事は少ししていたんですけど、最初の頃はスケーターとしての撮影はほとんどなくて、もう少し自分を出せたらなと思っていた頃に長谷川さんから『POPEYE』のモデルをやらないかと誘ってもらいました。
その頃からスケーターとしてというか自分の良さを引き出してくれるような撮影が増えていって、すごく楽しかったですね。長谷川さんは僕の好きなことや服とかも理解してくれているので。
平野 モデルに着せた時に長谷川くんとしては、このモデルは勘が良いなとか感じたりすることはあるのかな?
長谷川 まぁモデルの中には指示したこととやっていることが微妙に違うなって子もいたりするけど、ここに出てくれている子達はみんな勘がいいのかな。あるいは僕と趣味が合うというか。
ダイサク 僕も初めて『POPEYE』に出た時はソウシに『モデル一緒にやろうよ』って誘われて始めました。一番最初の撮影の時に別の仕事と被っていたんですけど、ソウシから『長谷川さんってすごいスタイリストの人がいるから絶対来た方が良いよ』って言われて、その別の仕事を断って行ったんです。
そうしたらモデルの仕事っていうよりは遊びに近い雰囲気ですごい楽しくて、しかも俺ってこんな服も似合うんだとかこんなスタイルもできるんだっていう発見もあって。それは多分モデルのダイサクじゃなくて、普段の僕のことを理解してくれているからこそ素のダイサクっていう部分を引き出してくれていたのかなって思いました。
ショウヘイ 僕はそこまでモデルの活動を積極的にやっているわけではないんですけど、〈WTAPS〉の撮影の時に長谷川さんと初めてご一緒させてもらって、すごくパーソナリティや個性を重視してくれる方だなって感じました。
僕も実際にスケートをしながら、その一方でファッションも好きだった。(西山)
平野 うんうん。ありがとう。またモデルの彼らとは別に、徹の場合は長谷川くんに仕事を頼んでいる立場だと思うけど、どういうことを期待しているの?
西山 一緒に仕事をさせてもらうようになって4、5年は経っていると思うんだけど、そうした自分のフィルターを通して表現する人というところにまず惹かれました。彼のディレクションやスタイリングにすごく現れていますが、ファッションにおけるリアリティと緻密に作り込まれたファンタジックな部分が伝わりやすいバランスを保って構成されている。
それが自分のファッションというカルチャーに触れ始めた原体験とも通じるような気がしたんです。だから明確に何かを期待しているというより、長谷川くんの感覚で作ってもらうビジュアルによって〈WTAPS〉の個性の打ち出し方や見せ方の幅が広がる、という楽しみがあります。
西山 長谷川くんは、常にスポーツをする時の人の動きというのを意識していますよね。僕自身もその感覚はすごくよく分かります。〈WTAPS〉のビジュアルの撮影の時にスケートボーダーをモデルにしてくれとリクエストをしたことはありませんが、スケートボードをするモデルを捉えた写真と、同じモデルカットでも動きのないポートレイト写真とでは服の持つ特徴やシルエットなど、受ける情報や印象が変わってくるし、なにより躍動感にリアリティが出ますよね。
平野 そうなんだね。僕はなんとなく徹がスケートボーダーだから〈WTAPS〉の撮影でもスケーターを使おうってことかと思ったけど、違ったんだね。
長谷川 徹さんからは特に細かいオーダーはなくて、いつも基本的には自由にやってよっていうことだけでしたね。僕はマイケル・ジョーダンが全盛期だった頃のNBAが大好きで、あの頃の『Number』とかを読んでいて、スポーツをしている人の表情やスケートボードなどの運動をしている時の自然な雰囲気っていうのがいいなってずっと思っていて、スタイリストとしてそれを表現したかったんですよね。
平野 さっき徹も言っていたように僕は長谷川くんの時代の『POPEYE』のファッションってリアルな部分とファンタジーな部分のバランスが絶妙だなって思っていて。モデルの撮影っていうよりはスナップの撮影を切り取ったのかなっていう感覚もあったんですよね。
もちろんそう見えるにはなんらかの仕掛けがあるんだろうけど、その辺もさっきのモデルの子たちの話を聞いて少し謎が解けた感じはしました。モデルの子たちが元々持っている素質や個性を活かしたり、引き出したり、あるいは借りてみたりってことだったんですね。
長谷川 あとはなにか食べさせるっていうのもよくやっていましたね。
平野 持ち方や食べ方でも人によって違いが出ますからね。例えばそういったスケーターをモデルに使ってもその中で長谷川くんの中ではきちんと選んでいるんだよね?
長谷川 そうですね。できれば笑顔の似合う明朗な子。暗い感じの子はあまり使わないし、あとはスケートボードやストリートカルチャーにちゃんと傾倒していてもドラッグや夜の雰囲気みたいなネガティブな要素はあまり引き出したくはないかな。昼間の陽が当たる中での出来事として魅せてあげたいなっていう思いはありますね。
平野 なるほどね。でも素人のモデルを使うと撮影の時に来ない! なんてことも起こるでしょ?
長谷川 毎週末撮影だったので、そういったアクシデントは日常茶飯事でしたね。でも仕方ないですよね。遊び盛りだし、土曜日の早朝から撮影なんて言われても金曜の夜はどうしても遊んじゃうじゃん。とはいえある意味では僕も鍛えられましたよね。どんなことが起こっても撮りきるっていうね。
平野 前に一度『POPEYE』で長谷川くんと撮影したときには、企画とかページ数は決まっているんだけど、どんな撮影をするかっていうのはあまり事前に決めていなくて、一週間くらい撮影のスケジュールを組んで、いざロケバスに乗り込んでから今日どこ行く? みたいな感じで決めていたよね(笑)。もちろんしっかり決めている時もあったんだろうけど、臨機応変なスタイルだったよね。
長谷川 ライブ感を楽しむみたいなね。ソウシの初めての撮影の時もとりあえず呼んでみて良かったら撮ろうかみたいな感じだったんですよね。まずカツサンド食べさせてね。
ソウシ そうですね。これはなんの撮影なんだろうみたいな感じでしたね(笑)。
スケーターたる者こうあるべきっていうのは嫌なんです。(小澤)
平野 僕らも専門誌の撮影をするときは割とそんな感じで、スケートのスポットをクルーズしながら良い場所があったら撮るみたいな感じで、なかには結局何も撮れなくて普通にスケートをして終わりみたいな日もあったしね。スケーターの気分がのらない日もあったし、僕らが全く撮らない日もあったり。名古屋までわざわざ行って一枚も撮らなかった日もあったよね(笑)。
小澤 二泊三日で名古屋まで行ったのに、太呂が一回もシャッターを押さないから、一緒に回ったスケーターがみんな『え、撮らないの?』って顔をしているっていうね(笑)。
平野 でもそういうスタイルで撮影するスタイリストっていうのは僕は初めて出会いましたね。
小澤 僕もちょっと聞いてみたいことがあって、徹くんは太呂と同じように昔からスケートボードをしていて、おそらく好きなスケーターやスケートのスタイルとかもあるんだと思うんですけど、そうしたイメージを〈WTAPS〉のブランドを通して表現したいなとかは思わなかったのかな?
西山 ビジュアル作りに関しては、自分のパーソナルな部分を打ち出したいという気持ちはないです。洋服作りで存分に発揮するというか、それはスケートボードに限ったことではないんですが、自分の中に蓄積してきた様々なカルチャーからの影響をプロダクトとして表現していきたいんです。
小澤 なるほどね、ありがとうございます。ちなみに徹さんにとってのスケートボードのオールタイムヒーローって誰なんですか?
西山 昔からサンフランシスコのシーンが好きだったので、ファッション的にもスタイル的にもトミー・ゲレロは特別です。その一方でさっき太呂も話していたジュリアン・ストレンジャーとかもアイコニックな存在でした。やっぱり僕らのスケートボードの原風景って80年代のあの感じなんですよね。
平野 長谷川くんは『POPEYE』をリニューアルさせる時にそういったことって意識していたんですか?
長谷川 『POPEYE』って40年以上歴史のある雑誌なんですけど、その中の20年くらいってどうしようもなかったんですよ。そのダメだった時代の『POPEYE』を引き継ぐのだけは嫌だって思っていたんですよね。なんていうか今ってファッション雑誌のほとんどが持っていて恥ずかしいものばかりな気がしていて、だったら持っていて格好良いって思えるファッション雑誌を作りたかった。
あとはじゃあ逆に良い時代の『POPEYE』ってなんだったんだろう?って考えた時に原稿が面白いとかひとつひとつの情報が濃いとか、ファッション雑誌だけど写真を大きく使うだけじゃなくもっと細かいレイアウトにしていたりとか。写真重視のファッション誌じゃなくて、ファッション重視のファッション写真だよね。その辺が他の雑誌とは違ったのかな。
平野 そう言われるとそんな気がしますね。写真が良かったからただ使うんじゃなく、長谷川くんの『POPEYE』には展望の見えている構成が確かにありましたよね。
長谷川 いつか買いたい服が載っている雑誌じゃなくて、明日買いたい服が載っている雑誌にしたかったんですよね、情報として。だから写真とか被写体はすごく重要で。自分の周りにこんなやついるなって想像できたり、モデルを自分に置き換えられたり。身近に感じられる存在にしたかった。
平野 そういえば、これまでに長谷川くんが手掛けた誌面を見ていると雨のシーンも多いよね。
長谷川 なぜか降っちゃうんですよ。むかしはしょっちゅう雨に降られてしまって、仕方ないから傘をさすみたいなシーンもよく撮ってましたね。
平野 スケートボード的には雨はNGなんだけど、スケートもファッション撮影もそうした街の環境に左右されていくっていうのは一緒なんですよね。
小澤 そうそう。個人的にはスケートボードって特に専門分野でもないと思っていて、スケーターも結局人間で、カツサンドだって食べるし、みんなと同じように女の子も好きだし、そうした人間的な部分を長谷川さんはそのまま体現している感じがして、すごく好感が持てたんですよね。
僕も専門誌を作っている立場ですけど、スケーターたる者こうあるべきっていうのは嫌なんですよ。彼らのようなモデルもそうじゃないですか。専門誌でライディング撮ろうよってなれば普通に撮れちゃうわけだし、ファッションの撮影ではモデルとしても役割を果たせるし。そういったフレキシブルさですよね、スケートボードの良いところって。
平野 うんうん。今回もまだまだ話し足りないことだらけでしたが、そろそろお時間のようなので、この辺りでHSC vol.5はお開きにしようと思います。みなさんありがとうございました!次回は来年の1月26日、土曜日に開催します。テーマは、ワークショップを兼ねた「スケートボードとDIY」。ゲストや詳細のお時間などはまた追ってお伝えしますので、皆さんぜひ遊びにいらしてくださいね。