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FEATURE|世界を航海するナナミカの、これまで、これから。

世界を航海するナナミカの、これまで、これから。

history of nanamica

世界を航海するナナミカの、これまで、これから。

今や定着したアーバンアウトドアという価値観とスタイルをいち早く打ち出し、高機能マテリアルを日常のベーシックウェアへと落とし込んだ先駆者である「ナナミカ(nanamica)」。〈ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)〉とのコラボラインである〈ザ・ノース・フェイス パープルレーベル(THE NORTH FACE Purple Label)=以下、パープルレーベル〉はすでに人気のブランドだが、ショップオリジナルのハウスブランドの〈ナナミカ〉もすこぶる評判がいい。その快進撃の航跡と現在地、そして行く先の羅針盤はどこを指しているのか? “船長”として舵を取る、本間永一郎さんに伺います。

  • Photo_Shinji Serizawa
  • Text_Naoyuki Ikura
  • Edit_Ryo Komuta
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Profile

本間永一郎

本間永一郎(ナナミカ 代表取締役)

1960年秋田県生まれ、東京育ち。学生時代から夏はサーフィン、冬はスキーに親しみ、大学卒業の’82年にスポーツウェアメーカー「ゴールドウイン」に入社。マーケティング部門を経て、同社が日本で展開するマリンウェアブランド〈ヘリーハンセン(HELLY HANSEN)〉の商品企画やブランディング、プロモーション、マーチャンダイザー、ブランドマネージャーなど要職を歴任。その後、新規事業を担当。’03年にスピンアウトし、パートナーの今木高司氏とともに「ナナミカ」を設立。趣味はヨット。

時代が求める “ 丁度いい ” をカタチに。

まずは「ナナミカ」のショップコンセプトを教えてください。

本間キーワードは、スポーツ&ユーティリティー。日々を楽しく快適に、格好良く暮らすためのアイテムを提案しようと、カジュアルやスポーツウェア、そしてインポートの分野でキャリアを積んだ仲間のユニットです。一過性で終わることのない、いつまでも持っていたいモノ作りを目指しています。

「ナナミカ」= “ 七海家 ” 、すなわち7つの海の家という意味だと伺いました。この名には、どんな思いが込められていますか?

本間学生時代は趣味でサーフィン、卒業とともに入社した「ゴールドウイン」では18年間にわたってマリンウェアの〈ヘリーハンセン〉を手掛けてきました。一緒に「ナナミカ」を立ち上げたディレクターの今木も海が大好き。なので、海に紐づく名前にしようと考え、国境や思想を飛び越えて人々とつながり、世界に発信したい思いを込めました。

1号店の「ナナミカ 代官山」は2004年にオープンし、当初から〈パープルレーベル〉をはじめ、アスレチックやスポーツの名だたるブランドへの別注アイテムが店頭に並びました。ハイテク素材を街着として提案するのも早かったですね。そもそも、こうしたショップを開こうと思ったのは?

本間長年〈ヘリーハンセン〉に携わった後、’01年からは「ゴールドウイン」が持つスポーツウェアのノウハウを活かし、アパレル企業と一緒にブランドを作る新規プロジェクトを担当しました。そうして商品企画や営業をしていると、セレクトショップなどから「〈ザ・ノース・フェイス〉に別注をしたい」とあちこちから頼まれるんです。ただ本気のアウトドアメーカーなので、当然ながらファッション向けの別注は一切受けていませんでした。

スポーツウェアの世界には、すべてのデザインやディテールに明確な理由があります。一方、ファッションの世界では、ただ格好いいという感覚だけでモノ作りをするデザイナーも少なくありません。例えば、スポーツの素材にミリタリーの衿、ワークのポケットを無節操に混在させたり。ただ、それをしてしまうと〈ザ・ノース・フェイス〉が〈ザ・ノース・フェイス〉ではなくなってしまう危険もある。

とはいえ僕たちメーカー側も、少しだけアップデイトすれば断然タウンユースしやすくなるのはわかっていました。ならば、スポーツウェアの目的あるモノ作りに、人生の大半を捧げてきた自分たちがデザインすればいいと思ったんです。さらに当時は、とりあえずハイスペックを選ぶのが一番という時代から、自分の日常へのジャストスペックが求められるよう変わりつつありました。我々なら抜いてはいけないピンを抜かぬまま、時流のファッションや現代のライフスタイルに丁度良くできる自信もあった。機能的なプロダクトを、巧く時代に合わせることは僕らが得意とすることだと。

加えて当時は、タイトフィットな洋服が主流でした。しかし、ファッションとして人気だった古着などのクラシカルな〈ザ・ノース・フェイス〉は、オーバーサイズが中心。通常より2サイズほど下げて選ばないと、今っぽいバランスでは着られない。そこで少しサイズダウンして作り直すだけでも、グッと垢抜けると思ったんです。デザインはそのままで、素材を変えることで街着としての快適性をアップさせたり、逆にブランドの伝統的な素材をまったく違うデザインに落とし込んだり、カタチやマテリアルを残しながら、サイジングや機能をタウンユースにアジャストさせることで、新しい付加価値を生み出せると。そうした大枠の方向性が固まり、以前から一緒に仕事をしていた今木を誘って「ナナミカ」を立ち上げました。

元同僚とはいえ、それまでファッション的なアレンジは完全NGだった〈ザ・ノース・フェイス〉を、よく説得できましたね。

本間その頃〈ザ・ノース・フェイス〉の商品企画やブランディングを担当していたのは、僕と同期入社で、一番の仲のいいヤツでした。現在では「ゴールドウイン」の副社長ですが、彼とは同じ部署で、ずっとサイド バイ サイドでやってきた間柄だったので、互いに相手のセンスや能力を理解していました。

そこで彼に「今、ちょうどいい〈ザ・ノース・フェイス〉がないから、自分に作らせてくれないか。超えてはいけないボーダーラインは絶対に超えないから一度トライさせてほしい」と頭を下げました。本来なら無理なお願いでしたが、同じ会社で育ってきた気心の知れた親友、いや悪友だからと特別にOKしてくれた。それが〈パープルレーベル〉の起源です。

〈パープルレーベル〉は本隊の〈ザ・ノース・フェイス〉と区別するため、専用タグをつけて発表しました。現在では広く知られるようになった紫色のタグですが、そもそもは僕がゴールドウインに入社した1980年代当時にあった、日本企画のレディースラインに使われていたものでした。それをアーカイブから発掘し、洋服とのコントラストもキレイに映えたので、別ラインのタグとして復活させたんです。とくに〈パープルレーベル〉とネーミングはしていなかったのですが、ネームのコントラストから自然と〈パープルレーベル〉と呼ばれるようになりました。その頃は自分たちの店舗もなかったので、セレクトショップに卸すところからスタートしました。

併せて〈ヘリーハンセン〉や〈チャンピオン〉、〈カンタベリー〉〈エレッセ〉といった「ゴールドウイン」が展開しているブランドに声をかけ、自分たちが着たいようにサイズや素材をアレンジさせていただき、「ナナミカ」の最初のラインナップにしました。

風を読み、舵を切った、待望の海外進出

ショップがオープンした当初は、まだ〈ナナミカ〉名義のハウスブランドはなかったように記憶しています。

本間ハウスブランドは、ショップを構えてから少しずつ企画していきました。お店に必要なアイテムだけど、既存のブランドに別注するのも違う、そうした考えから作るようになりましたね。だからブランドという集合体ではなく、あくまでラインナップの隙間を埋める単品での提案でした。

ハウスブランドの〈ナナミカ〉は、機能素材を採用したベーシックウェアという点で〈パープルレーベル〉と共通しています。

本間端的に言うなら〈パープルレーベル〉はアウトドアライクなデザインで、〈ナナミカ〉はマリンやアイビーの雰囲気。例えば、双方に同じファブリックを使用する場合でも、前者ではフィールドタイプのジャケット、後者ではスタジャンに落とし込むといった具合ですね。そういった違いが出るよう意識していますが、同じメンバーが同じ台所で作っているので、どちらもウチのアイテムであることに変わりありません。

それでも〈ザ・ノース・フェイス〉のネームバリューは非常に強いのも事実。取引先から「この〈ナナミカ〉のアイテムを〈パープルレーベル〉のタグに付け替えたい」といった要望をいただいたことも。そのほうが確実に売れるのは理解できますが、それではブランドのアイデンティティが失われてしまう。なので、丁重にお断りしています。

ショップのオリジナルから始まった〈ナナミカ〉も、今では知名度や存在感が高まり、より広く受け入れられたことで、ブランドとして独り立ちしたように思います。

本間〈パープルレーベル〉はタウンユース向けではありますが、それでも〈ザ・ノース・フェイス〉の名のもとでは提案できないアイテムもある。なので、自分たちの自由なクリエーションの場として、本格的に〈ナナミカ〉のブランド化を進めるようになったのが’07年。この頃から直営店だけでなく、ほかのセレクトショップでも取り扱っていただくことを意識するようになりました。すると、すでに注目されていた〈パープルレーベル〉を手掛けているブランドとして知られるようなりました。

また思っていた以上に、そうした情報を海外の人たちがよく知っていたんです。〈パープルレーベル〉は日本でしか売られていなかったので、それが逆に興味を惹いたらしく、ネットで熱心に調べてくれたようで。「ナナミカ」として海外の展示会へバイイングに行くと「〈パープルレーベル〉を作っているところでしょ?」と声をかけられたり、ホームページに載せているメールアドレスに海外のバイヤーやショールームから「取り扱いたい」といった連絡が届いたり、代官山のショップに来て名刺を預けられたりと、向こうから求められることが増えたんです。「ナナミカ」という名にも込めたとおり、当初からワールドワイドに展開したい考えはあったものの、海外では完全に無名だと思っていました。だけど、この状況なら少しは勝機があるかもと思い始めて。

まずは、知り合いの多いイタリアの数店舗で2~3シーズンほどテスト販売をしました。その後、いよいよ海外への本格進出を狙って、フィレンツェで開催される世界最大級のメンズファッションの展示会『ピッティ・イマジネ・ウォモ』に初出展したのが’10年。ウチには英語を話せるスタッフが2~3人しかいなくて、かなり博打でしたね(笑)。でも、やるなら今だ!と。ピッティに出展経験のある仲間からは「最初のうちは注文なんて入らない」と言われていたので、覚悟のうえで何シーズンか様子を見ようと。ですが、初回からある程度の取り扱いが決まって、思いのほか出足好調だったんですね。あとラッキーなことに、当時はアイビーっぽいアメリカンスポーツテイストが盛り上がっていたので、〈ナナミカ〉のテイストが世間のド真ん中にある絶好のタイミングでした。そのトレンドが長く続いたのも追い風になりましたね。

ピッティへの出展が転機になったわけですね。

本間そうですね。日本では〈パープルレーベル〉の存在感があまりに大きく、そこまで目を向けてもらえない時期が長かった。それが海外のショップに置かれるようになってからは、国内での取り扱いも増えましたね。

いわば、逆輸入のような?

本間最近の若い世代はフラットだと思いますが、30~40代以上は欧米信仰が強いので、海外で取り扱っていると見え方が変わることもありますよね。例えば、アジアのブランドがパリで展示会を開くとたくさんオーダーが入るのに、日本では全然受け入れられないこともあるそうです。

僕が20代の頃は、海外の展示会やファッション誌をチェックして商品企画のインスピレーションを得る時代もありましたが、今は逆転しています。海外でネタを探す日本のデザイナーより、東京をリサーチしている外国人デザイナーのほうが多いかもしれません。実際、海外の関係者が来日すると、どこをチェックに行くべきかと尋ねられることもあります。

nanamica 2019 SPRING / SUMMER / NANATORA Alternative Dressing
www.nanamica.com/catalog_ss/

現在、海外ではどれくらいの国に置かれているんですか?

本間北米やヨーロッパ全域、オーストラリア、アジア、南アフリカなど24カ国で販売されており、シーズンによって多少の変動はあるものの平均して90店ほどで取り扱われています。海外のアカウントは約150店以上になっています。

海外進出に乗り出し、早い段階から支持を得られた理由は何だと思いますか?

本間現在では随分と増えましたが、僕らが海外に出た当初は、ハイレベルな機能素材を採用したデイリーカジュアルは珍しく、そうした手法で目立っているブランドはありませんでした。またすでに当時から、日本人ならではの繊細なモノ作りを武器にして海外で評価されているブランドはありましたが、僕らとはゾーンが違い、ヴィンテージを緻密に再現しながらモダナイズしているところが人気でした。〈ナナミカ〉もデザインのベースはアメリカンクラシックなので、絵で描いたら似たように見えるものの、生地が機能素材だったり、世界観や最終的な落とし込みは異なっていましたね。

あとコットンやウール素材にゴアテックスを使っているブランドって、あんまり多くないんです。さらに〈ナナミカ〉では、リネンにゴアテックスを貼ったものまで作りましたから。そういう新しい試みも評価されたのだと思います。

日本ゴア社が、アパレル企業向けに配布したプロモーションブック。ゴアテックス素材を巧みに採用している6つの代表的なブランドとして〈ナナミカ〉を紹介。写真上段が日本版。そして下段がドイツ・ゴア社が制作したヨーロッパ版。こちらでも名だたるグローバルブランドと並んで〈ナナミカ〉がピックアップされている。

思い描く航海図には、常にリアリティが

今では、すっかりと浸透したアーバンアウトドアというカテゴリーは〈パープルレーベル〉が先駆けでした。そして近年では同じように、アウトドアブランドがフィールドで培ったノウハウやマテリアルを都市生活に落とし込んだシティラインが続々と登場しています。

本間〈パープルレーベル〉はクラシカルなアウトドアウェアの匂いを残したベーシックカジュアル。〈ナナミカ〉はアメリカのオーセンティックやトラッドが基本になっています。対して、ほかのアウトドアブランドが提案しているアイテムは、スポーティだったり、ハイテク感の強いデザインが主流です。イメージもプロダクトも違うので、競合している意識はないですね。

〈ナナミカ〉のアイテムを企画するうえで、特にこだわっていること、心掛けていることはありますか?

本間僕らのなかにあるリアリティは常に大切にしています。ですから、作ったら売れるだろうけど、自分たちが着たくないモノは作らない。あと実際に好調な商品でも、時代が流れるに連れて自分たちのそのときの感覚とズレを感じたり、望んでいない領域に入りそうになったら、あえてラインナップから外すこともあります。それで再び時代や気分が変わってフィットしてきたら、リバイバルさせたり。

大手のアパレルメーカーで起こりがちですが、ヒット商品が生まれて売れ続けると、もう作り手としては格好良くないと感じていても、まだ需要が多いからと止められず、それが主力アイテムとして続いていくケースがある。ビジネスとしては間違っていませんが、僕らは自分たちの本音に正直であるよう心掛けています。

ファッションの価値観は常に変化していくので、いかに優れたアイテムでも次第に時代と合わなくなることもあります。また、お客様がブランドを変えていくこともあって、最初は格好いい大学生が着ていたのに、そのうち高校生が着て、中学生も着るようになって、いつの間にか子供っぽいイメージが定着することも。

〈ザ・ノース・フェイス〉もそうですが、スポーツメーカーだと60代のオジサンと中学生が同じブランドを着ていても嫌じゃない。男性が着ているブランドを、女性が着ていても変じゃないですよね? そうしたクロスエイジ、クロスジェンダーな存在になれるのが理想ですが、本望ではない記号化をされないよう、コントロールしているところはありますね。

コラボレーションアイテムも多く手掛けられています。パートナー選びの基準、大切にしていることを教えてください。

本間先ほども申し上げたとおり、2003年のスタート当初は「ゴールドウイン」が保有しているブランドにお願いして、「ナナミカ」のカプセルコレクションを作らせていただいたのが始まり。しかし、以降は基本すべて受け身で、相手からのオファーに応えるカタチです。ただし初回のコラボが気に入り、こちらから第2弾をリクエストさせていただくことはあります。

とはいっても決して来る者は拒まずでなく、あまりにビジネスライクなコラボ、〈パープルレーベル〉や〈ナナミカ〉の人気にあやかろうという取り組みは、お断りしています。相手のクリエイティブの中枢にいる方がウチを理解しているか、好きなのかといったリアリティは強く意識しますね。そして互いに対等に評価できる相手としかタッグは組みません。話題を集め、お金を生むより、2つの存在が1つに結ばれ、新しい価値が生まれることに意義を感じていますし、そうした純粋な動機は今も守っていますね。

これから新たにトライしたい試みや構想、今後の展望を教えてください。

本間現時点で決まっているのは、今年の秋、NYのソーホーに海外では初となる直営店をオープンします。これまで10年間にわたって世界各国で取り扱っていただいていますが、やはりフルラインナップではないので〈ナナミカ〉の世界観を伝えることは難しかった。でも自分たちの考えを知ってほしいし、もっと見たいというファンもいらっしゃる。商品を含む空間全体を通して、見て、触れて、感じ取れる、お客様に対するショールームのような場所にしたいですね。

また、設立当初から思い続けていたことですが、本腰を入れてレディースのアイテムに取り組み、充実させたい。目指すところとしては男性にも女性にも分け隔てなく親しまれるブランドが理想ですし、レディースに意欲を持っているスタッフもいますから、ぜひ叶えてあげたいですね。

あとはファッションユースだけでなく、ジョギングなどのアクティブウェアにも挑戦しています。シリアスな競技的なものではなく、気軽に楽しむエンジョイスポーツで着るアイテム。近年は運動がグッと身近になり、ライフスタイルの一部として当たり前になりつつあるので、そこに寄り添いたい。そうして絶えず変化する時代のなかでも、常に “リアル”な存在でありたいですね。

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