まずは当日のワークショップの模様をお届け。
2019年度、最初の開講となった「HSC vol.6」。今回は通常の講義イベントに加えて、「スケートボードとDIY」のテーマに関連したワークショップを特別に開催。そんなワークショップの模様を当日の写真とともにハイライト形式で振り返っていきましょう。
屋外で行われた今回のワークショップは、見事な晴天に恵まれ、絶好なコンディションで迎えられました。事前予約制であった参加者も1週間前には定員に達するなど大盛況。講義のゲストである〈Wooden Toy〉のディレクター、大場さんの真摯な指導のもと、オリジナルのデッキがリシェイプできるとあって、老若男女さまざまな参加者が集まりました。
まずは、大場さん自らご用意してくれた30枚近くの中古スケートデッキの山から、好みのグラフィックを一枚選定します。見た目はボロボロの板でも、その痕跡を眺めれば、元の持ち主である名もなきスケーターの確かな愛着心が伝わってきます。今回のリシェイプ体験では、リサイクルのエコな精神とともにモノを受け継ぐというサスティナブルなマインドが、スケーターにとっていかに大切なことなのかも気付かせてくれます。
続いて好みの1枚を選んだら、スケートデッキのフォルムを決める工程に移ります。こちらも事前に大場さんが用意した数パターンの型紙を板と照らし合わせながら、どんな形にしていくかイメージを膨らませていきます。お気に入りの型紙が決まったら、次は下書きの作業へ。大場さんからアドバイスを受けながら、丁寧にアウトラインを引いていきます。
アウトラインの下書きを終えたら、いよいよカッティングです。 電動のジグソーで慎重にスケートデッキを切断していきます。一歩間違えると怪我をする危険もある作業なので、女性や小さなお子さんが作業する際には、大場さんがマンツーマンで指導する場面も。心強いです。
綺麗に型取りを終えたら、次はヤスリがけ。ザラザラとした粗い切断面を専用のヤスリを使って、時間をかけながら磨いていきます。この時サンドペーパーやドレッサーなどの面積の大きいヤスリで全体を慣らしていき、細かい部分や最後の仕上げにはノコヤスリのような精巧な作業が可能な工具を使って磨いていきましょう。
そして納得がいくところまでヤスリがけができたら、大場さんからクオリティのチェックをしてもらって、無事リシェイプは完了! ここまでの作業でおよそ1時間程度。大場さんのように慣れてくると一枚あたり20分ほどできてしまうのだとか。時間が余った参加者の方々は、マスキングシートとスプレー、あるいはステッカーを使って自由にアレンジ! とにかく自分の好きなようにデザインすることが、スケーターらしく、またDIYの基本でもあるのです。
ちなみにフイナム編集部は、大場さんがご好意で用意してくれたHSCオリジナルのマスキングシートでアレンジして、世界にひとつだけのクルーザーデッキを作りました!
スケートボードにまつわる様々なカルチャーを伝えていくべくスタートした、HSCの講義イベント。ホストの平野さんや小澤さんが常々口にしていた『スケートボードは座学ではなく、体験するもの』という言葉の通り、実際にリシェイプを体験することで新しい発見がいくつもありました。同時に自らの手で作り上げるモノ作りの楽しさやその裏にある苦労を知ることで、より一層愛着が持てるというもの。そんな光景を微笑ましく眺めていた2人も、参加者とともにワークショップを楽しんでいました。
数年前までは男性のカルチャーとして認知されていたスケートボードも、時を経て今では性差なく様々な人たちに楽しまれています。そんな時代を象徴するように、この日はカップルや女性1人で参加する人も見られ、スケートカルチャーが国籍や性別、世代に関係なく魅力的なものであることが伝わった1日でした。
次回は、かつて平野さんが開催したリシェイプの企画展の時のように、自らの手でリシェイプしたスケートデッキを乗るところまでを見届けられたらと思いつつ、関係者や来場者みんなが満足のいくワークショップは、寒い季節も吹き飛ばすくらいの熱気に包まれて、これにて終了。
後半戦の講義イベントでは、寡黙な職人として国内のスケートシーンを裏側から支える大場さんに、スケートボードとDIYのはじまりについてお話を伺っていきます。
“SKATE AND DESTROY”だけではなくて、 “BE CREATIVE”って想いも込めたいなって思ったんです。(平野)
平野太呂(以下、平野) みなさん、こんにんちは。ワークショップに参加いただいた方も沢山いらっしゃるかと思いますが、いかがでしたか? 楽しんでもらえましたか?
小澤千一朗(以下、小澤) 日中とはいえ外はかなり寒かったと思いますけど、みんな楽しそうでしたよね。
平野 そうですね。そして今回の講義は、通常であれば2時間ほどお話を聞いているのですが、ワークショップもあったということで少し短縮してお届けしたいなと思っています。ゲストの大場くんには初めから登壇いただき、スタートから参加してもらおうと思います。
ズバリ、今回のテーマは「スケートボードとDIY」。まずは講義の前に開催していたワークショップを僕らの方でも振り返っていきたいのですが、内容としては、大場くんに用意してもらった中古のスケートデッキをシェイプし直して、もう一度乗れるように蘇らせるという取り組みでした。
スケートボードをしている人なら分かると思うんですけど、スケートデッキって乗っていると端の方から削れていって、ボロボロになっていくんですよね。テール *1と呼ばれる部分は特に地面との接地も多いため、ダメージが早いんです。そんな状態まで乗って、跳ねが悪いな~って思ってきたら大体乗り換えの時期なんですが、僕らが小さい頃はそんなお金もなかったので、半年から一年くらいは乗りつづけていましたけどね。
*1 スケートデッキが進行方向を向いた際に後方に位置する部分。一般的にノーズ(前方)に比べて反りの角度があり、オーリーなどのトリックをする際にはこのテール部分を叩くことから始まる。
大場康司(以下、大場) そうですね。昔のスケートデッキは今のよりも割と大きかったし、トリックも今ほど派手ではなかったから、ダメージが少なかったんでしょうね。
平野 確かに最近はトリックの難易度やスケール感もアップデートされているので、スケートデッキが真っ二つに割れることもありますよね。そんな背景もあって、気がついたらスケートデッキは消費されていくものっていうのが当たり前な時代になっていたんですよね。スポンサーを受けているスケーターやプロスケーターたちは、どんどんスケートデッキを変えてましたよね。
小澤 それが海外のスケーター界隈では、ある種のステータスでもあったんだよね。
平野 そうそう。それで2006年に僕が運営している代々木上原の『NO.12 GALLERY』*2という場所で、ハンドシェイプの企画展をやったんですが、その時にも大場くんに参加してもらっているんです。
その内容が、僕から依頼した親交のあるスケーターやクリエイターの人たちに、思い思いにハンドシェイプをしてもらって、それらのリシェイプデッキを集め、一堂に展示するといった企画でした。そのきっかけとなったのは、以前このHSCのアートの回でも出てくれたHAROSHIくんが、ハーベストという名義で中古のスケートデッキを使ってアクセサリーを作ったりしていたんですが、まさにその活動に刺激を受けたからなんです。
その頃よくHAROSHIくんと「乗らなくなったスケートデッキを捨てちゃうのって勿体ないよね」って話をしていたんですよね。だったらもう一度乗れるようにシェイプすればいいじゃないかと思ってね。その時に参加していたのは、大場くんをはじめ、亡くなってしまった大瀧さんやスケシンとか、徹 *3、あとは野坂くん *4とか。
*2 渋谷と下北沢の狭間に位置する代々木上原に構えるギャラリーで、本イベントでホストを務める平野太呂氏が運営している。普段は不定期で企画展を行いながら、レンタルスペースとしても機能する。
*3 前回の「スケートボードとファッション」の回のゲストでもあった、平野氏の中学時代からの親友でもある〈W TAPS〉デザイナーの西山徹氏。多彩なクリエイションを持つ東京を代表するデザイナーであり、生粋のスケーターとしての顔も持つ。
*4 本名、野坂稔和。90年代にプロスケートボーダーとして活動し、近年は現代美術家や彫師としてスケートシーンのみならず、幅広い分野で世界的にも活躍するアーティスト。
大場 懐かしいですね。展示だけじゃなくて、実際にまた乗るっていうのも面白かったですよね。
平野 そうなんですよね。リシェイプして蘇らせたスケートデッキにまた乗るっていうのもテーマにしていたんですよね。あくまでもリシェイプする目的はまたそのスケートデッキで滑れるようになることですからね。なのでこの時も展示が終わった時にみんなで駒沢公園に行って、滑りましたよね。
よくスケートボードに関する標語で、“SKATE AND DESTROY”なんて言葉を聞いたことある人もいるかもしれないですが、これって「スケートをしてぶち壊せ!」みたいな意味なんですけど、僕はそのスピリットだけではなくて、“BE CREATIVE”って意味も込めたいなって思ったんですよね。それが僕にとってのスケートカルチャーのDIYのきっかけですね。
平野 大場さんは、スケートデッキのリシェイプをするようになったきっかけってなんだったんですか?
大場 10年前くらいですかね。昔からずっとスケートをしていたんですが、大工になるために一度離れた時期があったんです。それである程度大工としても一人前になったくらいの時にやっぱりスケートしたいなって思って、またはじめようと思った時に、乗りたいスケートデッキの形がなかったんです。
それだったら自分は大工でもあるんだし、自分でリシェイプして作ればいいんだって思ったんですよね。それからは、わざと大きなフォルムのスケートデッキを買ってきて、それを自分好みのサイズや形にシェイプして乗るようになりました。
大場 グラフィックだけ違うだけで、それ以外に違いってなかったんですよね。それが個人的につまらないなって思っていて。
平野 時代でいうと90年代の終わりから2000年代くらいですかね。でも僕らがスケートボードをはじめた80年代とかはもっと個性的な形のスケートデッキが沢山あったんですよね。だからグラフィックとかブランド以外にも選択肢があったんですよね。その特異な形にどんな意味が込められているのか、意図があるのかなんて分からないまま乗っていましたけどね。
小澤 後から知っていくんだよね。そんな意味があったのかって。それで大場さんは、そのきっかけから今も変わらずスケートデッキのリシェイプを生業にもしているんですよね。
平野 大場さんは今も大工の仕事をしながら、〈Wooden Toy〉 というブランドを通してスケートデッキのリシェイプによる雑貨やスケートの小物なども作っていますけど、それらの活動は並行して行なっているんですか?
創造性のあるハンドシェイプと伝統的な宮大工を行き来できているのがすごい。(小澤)
小澤 大工の仕事は主にどんなことをしているんですか?
大場 基本的には宮大工なんですけど、店舗だったり、住宅のリフォームっていう仕事が多いですかね。あとは家具とかも作ったりしています。
大場 お寺や神社を建築したり、補修する時に必要な工法なんですよね。日本の伝統的な建築物や大切な文化財であることがほとんどなので、精巧で繊細な技術が求められます。なので一般的な建築方法とは違うんですが、よく言われるのは釘を一切使用せずに建物を建てる方法っていうと分かりやすいかもしれません。ただ最近は、そういったお寺や神社を木造新築で建てるっていうのはほとんどなくなってきているので、補修がメインですね。
平野 うんうん。となるとやっぱりお寺の多い地域で活動することが多いんですか? それとも東京近郊ですか?
小澤 宮大工っていう伝統的な技術は、時代によって進化していったりするものなんですか? それとも昔ながらの技法でみなさんやられているんですか?
大場 基本的な技法は変わらないですね。ただその神社やお寺によって建造方法は異なるので、その建物に適した工夫はしています。そうした変化は時代や環境、建物の様式に合わせてあると思います。
小澤 なるほど。僕の勝手なイメージでは、スケートカルチャーだとスケートデッキを自由にハンドシェイプしたり創造性が豊かな一端がある一方で、宮大工ってトラディショナルなクリエイションだと思うので、真逆だなって思っていて。その両極面を行き来できているのがすごいなって思うんですよね。共通するものとかあったりするんですか?
大場 難しいですね。あまり考えたことなかったですね。ただ基本となるベーシックがあって、それを最適化していくっていう点では同じかもしれないですね。その視点がスケートボードの場合は自分だし、建築の場合は、建造物っていう違いはありますけどね。
平野 大場くんはスケートボードを長年やってきて、大工になろうと思ったきっかけっていうのは、スケートボードとは全然関係なかったのかな?
大場 学生の頃から性格的にサラリーマンには向かないなって思っていたので、職人さんになろうと思っていました。その中でなんの職人になろうかって悩みながら、色々なバイトをしてきたんですが、大工のバイトをしていた頃に大きな建物の建築に携わったことがあったんですが、その時に大工ってかっこいいなって思えたんです。
平野 その頃はスケートボードは一切していなかったんでしたっけ?
大場 周りに比べてちょっと遅かったんですけど、19歳くらいからやっていたので、その頃もやっていましたね。
平野 19歳からだと、確かに少し遅いですね。僕は自分が初めてスケートボードにまつわる大工仕事っていうのが、友達と作ったジャンプランプだったんですよね。時期でいうと、スケートボードをはじめた1986年とか1987年くらいだったと思います。
海外のスケートビデオなんかを観ていると、手作りのジャンプランプを使ってスケートで飛んでいる映像っていうのが沢山あったんですよね。日本でも原宿のホコ天なんかでは、江川くん *5なんかがジャンプランプを使ってスケートをしていましたしね。
*5 「スケートボードとスケートチーム」の回のゲストの一人であった、T-19所属のスケーターYOPPI氏。
平野 当時の多くのスケーターがそうだったと思うんですけど、とにかくジャンプランプでスケートをやってみたくて。時代的にインターネットももちろんなくて、僕らは中学生とかだったので、アール *6の角度とか高さも分からないなりに見よう見真似で一度は作るんですよね。
僕らの時は、結局壊れちゃったりとかして、やっぱりダメだったなって終わっちゃったんですけど(笑)。それである時、建築家だった友達のお父さんに、見本となったスケートビデオを観てもらって、どうやって作っているのかっていうのを研究してもらったんですよね。
それでそのお父さんは、アールの形を作るのに木の板に等間隔でスリットを入れていったんですよね。それでその切れ目を生かしてフラットだった板を曲げていって、角度も前方への飛距離を出すためではなく、空中での滞空時間を持たせられる角度なのだろうっていう仮説で、アールを作ってくれたんです。
*6 ミニランプやバーチカル、クォーターなどのスケートセクションで見られる湾曲した部分のこと。また街中でも似たような形状をアールと呼ぶこともある。
平野 そうなんだよね(笑)。でもその時の経験が、僕が初めてスケートにまつわることで工具を手に取り、大工の仕事をした瞬間だったんですよね。今振り返って思うのは、ジャンプランプこそ、スケーターにとっての初めてのDIYというか、その原点なんじゃないかなって思うんですよね。
大場 確かにそうですね。今でこそ昔以上にスケートパークも充実して、トリックの種類も増えてきているから、ジャンプランプとかを自分たちで作るスケーターはほとんどいないだろうけど、昔はそれが当たり前でしたもんね。
平野 当時は試行錯誤の連続だったからこそ新しい発見も多かったんですよね。アールの部分には斜めに棒を差し込むと安定するとかね。なるほどなって思いましたよ。昔の写真を見ていると、みんなでジャンプランプに乗って記念撮影とかしていましたよね。
とにかく試して、そのあとは実際に自分でも滑ってみて、 それでまた試す、っていう繰り返しですね。(大場)
小澤 そこからパークという施設にも繋がっていくわけだもんね。太呂は海外で好きなDIYパークとかありますか?
平野 印象的なのは、オレゴン州のポートランドにある『Burnside Skatepark』 *7という橋の下にあるスケートパークなんですが、ここはローカルのスケーターたちが自分たちの手によって作り上げたパークなんですよね。
決して治安がいい地域ではなかったので、いわゆるドラッグディーラーやホームレスみたいな人たちも屯している場所で、町の健全な市民の人からすると煙たがられるようなスポットなんです。スケーターたちがイチからコツコツとセメントを流し込んでね。その努力が町の人にも少しずつ認められていったという素敵なストーリーもあるんです。
*7 30年近くも前にポートランドのローカルのスケーターたちの手によって街に無許可で建設した世界初のDIYスケートパーク。その後、スケーターたちの努力によって正式な許可が得られ、今でも世界有数の有名スポットに。また数々の映画やスケートゲームの舞台になったことでも知られる。ポートランドのスケートムーブメントを象徴する場所でもある。
小澤 僕も昨年の春に実際に『Burnside Skatepark』へ行ってきたんですが、ポートランドの街はパークだけじゃないんですよね。市道にもスケートボードの専用レーンがあるんですよ。日本でいう自転車専用のレーンと一緒ですよね。その光景を見た時に、「あぁ、この街ではスケートボードがしっかりと根付いていて、町にも市民にも許容されているんだな」って感じましたね。
平野 その『Burnside Skatepark』はローカルのスケートパークの好例として知れ渡り、その後全米では『Burnside Skatepark』をモデルにしたパークが次々と出きていくんですよね。アメリカはとにかく広いから、高架下や誰も使っていないような空き地が沢山あって、そうした場所を再開発して、パークにしていく。一種のムーブメントになっていましたよね、当時は。
小澤 そうだね。あとガス・ヴァン・サント監督 *8の映画『パラノイド・パーク』でも舞台となっているので、観てもらえるとまた違った視点で『Burnside Skatepark』の魅力に触れられるかもしれませんよね。
*8 「マイ・プライベート・アイダホ」や「グッド・ウィル・ハンティング」などの名作映画で知られるアメリカのインディペンデント映画界の巨匠。バスケットボールやヒップホップ、スケーターなどを題材にした作品も多く、スケーターからの支持も厚い映画監督としても有名。「パラノイド・パーク」は同監督が2007年に発表した、ポートランドに住む16歳のスケーターを主役にした作品。
平野 大場さんは、リシェイプだけでなく、スケートパークの建設などにも携わっていますよね。やっぱり作り方とかは海外と一緒なんですか?
大場 そうですね。プールコーピングしたパークやセメントを流して作るコンクリートパークや種類によっても様々ですけどね。
*9 かつて渋谷の名所として日夜賑わいを見せた、スケートパークを併設した公園。スケーターだけではなくダンサーやフットサルなどに勤しむサラリーマンなど渋谷に所縁のある人々にとってランドマーク的なスポットであった場所。2017年の3月に2020年の東京オリンピックに向けた複合商業施設建設の工事着工のため突如閉鎖。その設営に携わった中心人物のひとりが大場さんだった。
大場 宮下公園の場合は、コーピングだけうちで担当しましたね。
平野 プールのコーピング部分ってういうのは、主にスケーターたちがスケートッデッキの裏側のトラック*10 を擦り付けてスライドさせるためのものなんですよね。プール形状のランプではとっても重要なディテールでもあります。大場さんはこのコーピング部分を木の型でとってますが、これは大場さんの発明なんですか?
大場 いえ、そんなたいしたもんではないですよ(笑)。一番手っ取り早く型を取れる方法というのが木だっただけですね。
*10 スケートデッキの裏側にある足回りの中心部を示すギア。ウィールの曲がり具合を左右し、乗り心地やトリックの向き不向きに合わせて調整する部分でもある。トラックブランドでの世界トップシェアは、〈VENTURE
TRUCK〉、〈INDEPENDENT TRUCK〉、〈THUNDER TRUCK〉の3つとされる。
小澤 でも大場さんが最初ってことですよね。シグネチャーじゃないですか。大場さんの手がけたランプには必ず〈Wooden Toy〉 のロゴが刻印されていますが、まさに大場印ですよね。
平野 その型作りやコーピングに関しては、やはりそれなりに研究とかもされたんですか?
大場 まぁ、そうですね。それこそ昔の太呂さんたちではないですけど、試行錯誤はしましたね。素材を変えたり、大きさを変えたり。それにとにかく試して、そのあとは実際に自分でも滑ってみて、それでまた試す、っていう繰り返しですね。
平野 海外の本物のプールとは、また違った手触りのものもありますよね。大場さんは宮下公園以外にもたくさん手がけられてますよね?
大場 他はみなさんが知っていそうなところだと、目黒にあった〈SON OF THE CHEESE〉のアトリエに作ったプールランプ *11もそうですね。
*11 大場氏とは旧知の仲でもあるスケーターの山本海人氏が手がけるファッションブランド。2013年から2017年まで目黒通り沿いにプールランプを併設したアトリエをオープン。東京でありながら、カリフォルニアの空気感を見事に体現したそのスポットは、一躍話題となった。
大場 あと世田谷公園のランプ *12や後楽園にあるローラースケートリンクの脇に併設したスケートランプ *13や、インタースタイル*14や『BEAMS JAPAN』で行ったイベントなんかでもスケートランプの設営をしました。あとは詳しくは言えないんですが、個人の方のプライベートパークとかも施工したりしています。
*12 世田谷ローカルのスケーターにとってホームタウンともなる、世田谷公園内に設置されたスケートパーク。土地柄キッズスケーターだけでなく、年配のスケーターも多い。
*13 後楽園の東京ドームシティ内にある都内最大級のローサースケートリンクの横に併設された室内スケートスポット。波を打つようなランプ構造が特徴で、設計と施工は大場さんによるもの。
*14 サーフィンやスケートボード、スノーボードなどのボードカルチャーを中心にアウトドアから自転車、さらには感度の高いセレクトショップなどのファッションブランドも多く参加する、ライフスタイル全般に関わるビジネス展示会。イベント会期中はスケートボーダーやBMXライダーによるセッションなども行われる。
大場 『BEAMS JAPAN』の時もそうでしたし、横浜の工場跡地を使った『Pineapple Betty’s』 *15の時もスケートランプの設計を一緒にしましたね。
*15 1974年にプロサーファーの大野薫氏が東京・目白にオープンした伝説的なサーフショップ、およびサーフブランド。1999年に48歳の若さでこの世をさった大野さんの意思を受け継ぐ形で、その後も様々な企画によって「Pineapple
Betty’s」の活動は続けらている。
平野 こうして聞くと錚々たる実績ですね。あとは少し〈Wooden Toy〉 についても触れたいんですけど、この活動は大場さんが長年リシェイプに携わってきた中で、自身で良いと思えるオリジナルのスケートデッキをリリースしているイメージなんですかね?
大場 サイズは大きいものから小さいものまであるんですが、基本的にはそうですね。
小澤 オーダーメイドとかもやっていますよね? その場合って今日みたいなワークショップ以外にどんな方法があるんですか?
大場 ブランドや個人で受注してオーダー内容に合わせて作ったり、実際に工場まで来てもらって一緒に作ったりと、いろいろですね。
平野 スケートデッキの基になる木の板も大場さんの方で用意してくれるんですよね。
大場 はい。海外の工場から取り寄せた薄い木の板を7枚くらい専用のボンドで貼り合わせて、一枚の板にします。その板をベースにノーズ *16やテールの角度を熱で調整していきます。
*16 前述のテールに対する反義語。進行方向を向いたスケートボードの前方を意味する。
平野 なるほどね。僕らが普段街やお店で見るスケートデッキになる前の姿ってなかなか見られる機会がないので、新鮮ですね。
平野 改めてスケートボードって原始的な取り組みから生まれていったカルチャーなんだなっていうのが伝わってきますよね。ただの板切れを糊でつけているだけなんですもんね。
小澤 それにスケーターたちは魅了されているわけだもんね。何十年も変わらずに。面白いよね。
平野 僕らのようなおじさんのスケーターたちは結構板そのものにこだわりはじめるなんて人も少なくはないんですよね。それこそキックフリップがしづらくたって関係ないって人たちはみんなそういう方向にいっている傾向がある気がします。いかに自分が気持ちよくスケートボードをできるかっていうことなんですよね、結局。
平野 あーそうかもしれないですね。こういった自分の好きな形、デザインの板に乗るっていうのは、実はサーフィンのカルチャーからはじまった流れでもあって、そうした潮流がスケートシーンでも起きているんですよね。
小澤 昔みたいに、ファッションだけじゃなく、スケートボードで一番大事なギアでもあるスケートデッキがスケーターの数だけ個性があるような時代が戻って来るといいですね。
大場 今日はみなさんに古い板でスケートデッキのリシェイプを体験してもらいましたけど、新しい板で一からスケートデッキを作っていくのも面白いので、ぜひ興味があったらやってもらいたいですね。
平野 大場さんのような方がいたら街のスケーターたちはみんな心強いですね。今日はありがとうございました。そして次回からのHSCはいよいよ後半戦。テーマもちょっとずつ深くなっていく気がしていますが、これまでのオープン型の講義とは少し形式を変えてお届けする予定です。みなさんお楽しみに。