PROFILE
編集者。1975年大阪府出身。雑誌『BRUTUS』『POPEYE』(ともにマガジンハウス)、機内誌『翼の王国』(ANA)、『工芸青花』(新潮社)のほか、書籍やウェブなどでも編集、執筆。最近の編集仕事に『〈細野観光 1969-2019〉細野晴臣デビュー50周年記念展オフィシャルカタログ』(朝日新聞出版)。著書に『アラスカへ行きたい』(石塚元太良との共著、新潮社)がある。
自分たちがいいと思う価値観を伝える本に。
ー 待望の第2号が完成したばかりですが、改めて、『Subsequence』を創刊したきっかけから教えてください。
井出:以前から〈ビズビム〉のクリエイティブディレクターの中村ヒロキさんに、雑誌を作りたいと思っていると聞いていました。『ポパイ(POPEYE)』で中村さんの連載を担当していたり、ブランド周りの執筆をしたりしていた縁もあって、どういうふうにして作るのがベストな方法なのかを話していたんです。そこで、まずは自分たちの手の届くくらいの規模で始めるのがいいんじゃないかという話になり、僕が編集を任されることになりました。
当初から中村さんは、いわゆるアパレルブランドの広報誌的なものや、〈ビズビム〉のプロダクトを前面に押し出すようなものではなく、自分たちが普段の活動の中で考えている価値観を広く伝えられるような媒体を作りたいと考えていました。だから『Subsequence』は〈ビズビム〉が発信している雑誌なのに、広告は2見開きしかないし、ブランドの商品が載っているようなページもごく一部しかありません。
それまでも〈ビズビム〉では、ホームページなどでさまざまな文化的背景のある伝統工芸や手仕事の現場など、ブランドが共感するものを記事にして紹介してきました。そこには、美術や工芸を含めた世界中の創造的な文化を取り上げ、その背景にある思いを伝えることで、その価値を受け継いでいきたいという思いがあります。それはまた、中村さんが〈ビズビム〉のものづくりを通して考えていることでもある。そういう思いでアップしていたコンテンツをまとめて本にする、というのがスタート地点になりました。
ー どんな雑誌にしようというイメージはありましたか?
井出:中村さんから、昭和の初め頃に発行されていた『ホーム・ライフ』という日本のグラフ誌が好きという話も聞いていたので、大判でカルチャーやライフスタイルを扱うような雜誌というイメージはありました。僕自身は、アパレルブランド〈ベネトン(UNITED COLORS OF BENETTON)〉が発行し続けている雑誌『COLORS』の初期のものが好きなので、ブランドと媒体との関係性という面で参考にしたいと思っていました。
日本の雑誌って、細かいし、ユニークで気が利いていて、面白いんですよね。世界と比べて独自の発展をしているカルチャーとして、大事にしていきたいという共通の思いも感じていました。こうした日本の“雑誌づくり”も、創造的な文化のひとつであり、自分はこれまでもそんな雑誌の現場で仕事をしてきたので、誌面を通じてその技術を少しでも受け継いでいきたいです。
ー タグラインの「Arts & Crafts for the Age of Eclectic」には、どのような思いがありますか?
井出:日本語で「“折衷”時代の美術と工芸」という意味ですが、さまざまな地域や時代の文化がミックスして生まれるものが僕は面白いと思っています。「アートとクラフト」と言うと限定的だけれど、自分としては“クリエイティブに関わる文化”として広く捉えていて、そこには例えば音楽や食の話があってもいい。
創造的な文化が育まれてきた背景には、何かと何かがミックスされたり、過去のものを参照したり、異なる地域のものが影響を与え合ったりしてきた歴史があると思います。例えば、1970年代初頭に細野晴臣さんや大滝詠一さんらが結成し、活動した「はっぴいえんど」というロックグループは、ロックという欧米で生まれた音楽を日本人が日本語でやったわけですが、それによって欧米にはない新しい世界観が生まれた。何がオリジナルなのか、ロックは誰のものかを争うことよりも、そういうふうにいろいろな影響が混じり合って、折衷的に生まれるクリエイションの面白さに目を向けていきたいと考えています。
井出:人間ひとりひとりも、いろいろな文化に影響を受けて、それぞれの個性が育まれているはずで。そういうことをポジティブに考えて、誌面では、世代や性別、人種、国籍などのカテゴリーにとらわれず、幅広い視点で興味深い人やもの、ことをフィーチャーしていきたいなと。それは〈ビズビム〉のものづくりの姿勢にも通じるものだと思います。