証言4江川芳文 a.k.a YOPPI
(Hombre Niñoディレクター)

「7年ブランクであのライブを観せられた日には、鳥肌立ちますよね」
ー 早速ですが、初めて会ったNITROのメンバーと、そのシチュエーションを教えてください。
江川芳文(以下江川):多分、一番最初はトラなんじゃないかな? トラがもんじゃ焼き屋さんでバイトしてたときに、たまたまその店に行ったんだと思います。上野のスケーターの友達の後輩とかってつながりで、元々知ってはいたんですよ。あと、MACKA-CHINとはFat Beats(NY発の老舗レコードショップ)の東京の立ち上げのとき、真柄さん(現M.V.Pディレクター、真柄尚武)たちと一緒に関わってたから、そこで出会いました。S-WORDくんとかDABOくんは今も色んなところで会っては「お、こんにちは」って感じだったり。
ー 案の定、出会いの時期も関わり方もまちまちですね(笑)。
江川:ですね。SUIKENはしゃべると華があるなぁってイメージで、BIGZAMは大っきくて怖いなー…みたいなノリで。嘘ですよ。
ー (笑)。それじゃあ、基本全員と絡みはあるんですね。
江川:いや、実はDELIくんとだけ、あんまり喋ったことが無いんですよ。深見くん(XBS)はNITROWが始まって、HECTIC(当時江川が展開していたショップ&ブランド、realmad HECTIC)で取り扱うとか、そういうタイミングで会ったのがきっかけだった気がします。
ー 裏原全盛期に、渋谷拠点のNITROが手がける洋服が原宿・遊歩道のHECTICで扱われていることは、新鮮に思ったファンも多いんじゃないでしょうか?
江川:そのときは僕らも裏原とか、よくわかってなかったですからね(笑)。スケボーをやりながら22歳でHECTICを始めて、元々は買い付けたアイテムのセレクトっていう形だったのが、オリジナルをつくるようになってからブランディングし直して、って感じだったので。NITROWの取り扱いも、ちゃんとNITRO側から「置いてくれないか?」って意思表示があって始まったんですけど、自分は渋谷だの原宿だのとか、そこじゃないところで考えてたから、向こうも話がしやすかったんじゃないですかね? スポーツテイストを強めて、バスケットゴールが置いてある店内にグラフィティとか、ラッパーがつくってる洋服があって、そういう垣根の無いお店って当時はあんまり無かったので、NITROWも馴染んだんじゃないのかなって思います。
ー ミュージシャンで、ファッション方向にも精力的という活動様式も、当時は今ほど見られませんでしたよね。
江川:そうですね。多分、今カニエ・ウェストがやってることとかを、当時からNITROはやり始めてたというか。ラッパーもやりつつブランドもやって、両立させた先駆けというか。だからカニエがやってることとかが、僕には全然新しく見えなくて。僕もDJとかはやってましたけど、フロントマンになるというか、舞台の上で歌うようなメンタルは持てませんでした(笑)。
ー レベルミュージックにストリートファッションにと、共通項は多いのに不思議ですよね。
江川:目線的な部分なのかなぁ。怒りとか、訴えたいことが僕には無くて(笑)。でも、メッセージを発信している人とか、何かに怒って主張してる人は大好きだし、そういう情熱がある人が好きなんですよね、多分。
ー 長い付き合いの中で、彼ら全員のライブを観る機会は多かったんですか?
江川:いえ、再結成後のワンマンが初めてです。NITROのレコードは買ってたけど、ライブはちゃんと観たことは無かったんです(笑)。
ー NITROの音源や歌詞で、印象に残っているものはありますか?
江川:いや、全然無いです。
ー えぇ!?(笑)
江川:全然無いけど、トラとDELIくん、深見くんの声が好きでしたね。当時から。
ー 今と昔とで、NITROとの関わり方は変わりましたか?
江川:最近の方が、みんなとはよくしゃべりますね。この歳になって、やっとですよ(笑)。若い頃はお互いもっと不真面目だったし、僕も全然落ち着きがなかったから、一緒に酒飲むなんてできなかったですもん。
ー でも、再結成後のライブにはちゃんと駆けつけられたわけですもんね?
江川:はい。トラが誘ってくれたのかな? 「来るか来ないかだけ教えてください! 来ないならゲスト枠、他の人に回すので」って言われて、「いや、行くに決まってるでしょ」って(笑)。でも、7年ブランクであのライブを観せられた日には、鳥肌立ちますよね。できるなら、今の若い子たちがどういう感じであのライブを観てたのか、インタビューしてみたいなぁ。