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NITROを紡ぐ5つの証言。
5 TESTIMONIALS ABOUT NITRO MICROPHONE UNDERGROUND

NITROを紡ぐ5つの証言。

「ニトロマイクロフォンアンダーグラウンドの再始動」。昨春、突然届いたそんな報せに音楽シーンとストリートがザワついた。多彩な個性が織りなすマイクリレーに、ライブや楽曲によって変わり得る参加メンバーなど、先の読めない活動形態。そして何より圧倒的な存在感が、日本のヒップホップの常識を大きく変えたことに疑いの余地はない。NITROのリスタートの年であり、デビュー20周年となる2019年に訪ねたのは、リアルタイムでその足跡を見続けてきた5人のキーパーソン。その言葉には、彼らが受けた衝撃の記憶が確かに滲む。新曲リリース・再結成後2回目のワンマンライブ開催と、年が明けても話題に事欠かない稀代のヒップホップコレクティブ。彼らはこれまでに何を残し、僕らにこれから何を見せてくれるのか。

  • Photo&Movie_Yusuke Oishi
  • Movie Edit_Daisuke Urano
  • Text & Edit_Rui Konno

証言5松尾駿
from チョコレートプラネット
(お笑い芸人)

「ファンだって伝えたくて近寄ったら、『あっち行け!』って。すげぇムカつきました(笑)」

ー 今では芸人さんにもヒップホップ好きは増えた印象があるんですが、実感はありますか?

松尾駿(以下松尾):増えたと思います。でも、今でこそ身近になったけど、僕がNITROに影響されて“松尾アンダーグラウンド”って芸名を使い始めた頃なんて、ちょっと太めのパンツ穿いたくらいでも「なんでそんなダボダボの穿いてるの?」って言われちゃうくらいで。それが今は手の平を返したように「あの曲知ってる?」とか「フリースタイルダンジョン観た?」とかってなってるから、「何言ってんだよ」って思うこともちょっとありますね(笑)。いや、みんな好きなものを聴けば良いとは思うんですけど。

ー 芸名に引用されるくらいお好きだったんですね。初めて会えたときのことは覚えていますか?

松尾:僕だと認識してもらえて、ってことですよね?

ー それ以前もあるんですか?

松尾:はい。これは運命だと思ってるんですけど、僕、芸人になる前にダンボール工場で働いてたんですよ。実はそこで、“マッカちゃん”のパネルをつくってたんです。

ー !?(笑) わからない人もいると思うので、“マッカちゃん”についての説明をお願いできますか?

松尾:MACKA-CHINさんのキャラクターですね。DABOさんが描いた。僕がその工場に入ったばかりのとき、工場の人から説明を受けているときに、マッカちゃんが目に入って「え、コレってここで作ってたの!?」って。なんとかしてそれを持って帰りたかったんですけど、結局持って帰れずで。

ー じゃあ、一番最初に会えたのは“マッカちゃん”だったんですね(笑)。

松尾:そうなりますね。あとは当時、渋谷のクラブでMABO(MACKA-CHINとDABOによるユニット)のイベントがあって、それを観に行ったんです。そしたら、2人が普通に飲んでたんですよ! で、「あ!」と思って、単純に「あの、僕ファンで」って伝えたいなと思って近寄って行ったんですけど、緊張して「あ、あ、……」みたいな感じで言えなくて。そしたらDABOさんに「あっち行け!」って言われて。すげぇムカつきました。

ー それはそれは……(笑)。今ではDABOさんとも交流があると思いますが、その話はされたんですか?

松尾:しました。「ごめんね」って言ってましたね(笑)。そのあとは僕も芸人になって東京出てきて、近所のコンビニに行ったら偶然MACKA-CHINさんがいたので、驚いたけど外で待ってて握手してもらったりとか。初めてちゃんとお話させてもらったのは、RGさん(レイザーラモンRG)がやっているスニーカー同好会に自分も入ってるんですけど、その活動の一環でやったDABOさんのバースデーイベントにお邪魔したときです。DABOさんと一緒に演ってるDJ SAATくんが僕と同い年で、彼がいろんな人をつなげてくれたんです。

ー 音源についての思い出も聞かせていただけますか?

松尾:やっぱり印象的なのはファーストの1曲目(『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』)ですかね。SUIKENさんのバースとか、意味は全然わかんなかったんですけど、とにかくかっこよくて。すげぇ聴きました。どういう感覚でこれつくってんだろう? って。中毒性がすごいんですよね。

ー 最初期ですね。これまで、ライブにも足を運ばれてたんですか?

松尾:個別のステージとか、DEF JAM JAPANのイベントなんかは観てました。でも、8人揃ってのライブは観たことなくて。FIRE BALL対NITROみたいなライブがあったときも行ったんですけど、何人かはいなくて。「何で何人かいねぇんだよ……」って(笑)。だから、再結成後のワンマンは絶対観たくて、申し訳ないんですけど芸人パワーを使って席を用意していただいたんです。だけど、どうしても仕事で行けなくて。

ー S-WORDさんがMCで松尾さんをイジられてましたけど、そのときにはもう会場を離れてしまってたんですよね?

松尾:そうなんです。僕はライブが始まる前の5分だけ顔を出したんですけど、ライブの中盤でS-WORDさんが「NITROがあの曲演らないなんて、どんだけだよな! あれ、今日、松尾来てるよな!?」って言ってくれたのに、そのときは僕がもういなくて。あとでそのときの動画を観たときにはなんとも言えない気持ちになりました。ただ、NITROがライブでMCのときに僕の名前を出してくれたっていうのがめちゃくちゃ嬉しくて。そのときは“俺も売れたな……”と思いましたね(笑)。

PROFILE

NITRO MICROPHONE UNDERGROUND

渋谷、宇田川町で日頃からハングアウトしていた8人のMCによって1999年に結成。ファーストアルバム、『NITRO MICROPHONE UNDERGROUND』がリリース直後にスマッシュヒットし、瞬く間に東京ストリートのアイコンとなる。音源やライブはもちろん、ファッションやカルチャーシーンにも大きな影響を与えながら4枚のオリジナルアルバムを残すも、人気絶頂の2012年に突然活動を休止。7年を経て、昨年ついに再集結を果たした。先ごろ、新曲『歩くTOKYO』を配信でリリースし、1月30日にはShibuya O-EASTにてワンマンライブの開催を控えている。

INFORMATION

NITRO MICROPHONE UNDERGROUND

@nitromicrophoneunderground

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