実戦を通して勝負感を磨き成長していく。
そうしたハードな大会に向けて上田さんは〈ルノー〉の「カングー」に乗って高尾山へ出向いたり、長野の高峰高原にある標高2000メートルを超える場所で合宿をおこなったりと地道に練習を重ねてきました。

「もちろん勝つ気ではいましたけど、18年に大きな怪我をしてしまったこともあって今回のシリーズ戦では年間5位以内に入ればいいかなと思っていたんです。でも結果的にそれを上回ることになりました。おそらくパーソナルトレーニングが功を奏したんだと思います。それによって筋肉の使い方が変わりました。出力されるパワーはおなじでもエネルギーを節約できたり、体の操作性が上がったり、難しい動きが可能になったり。前まではレースの終盤でバテたりしてたんですけど、今回はレース全体を通して力強く走ることができました。自分の中で強くなっている実感があったからこそ、高いレベルで走れたのかなと思います」
とはいえ、練習と実際のレースは当たり前ですがまったく異なるもの。上田さんは「実戦を通しても成長していかなければならない」と語ります。
「実際のレースは自然が相手でもあります。どれだけ過酷な環境を想定しても、それを超えるものがある。それに他のランナーたちもいるので、レースを通して勝負感を磨いたりだとか、他のランナーのどこが強くてどこが弱みなのかを分析して戦いのプランを組んでいく必要があります。だからこそ、初戦がすごく大事なスタートになりました」

初戦は新潟県三条市にておこなわれた「Mt.AWA SKYRACE®」。久しぶりの日本での開催です。日本人としてアドバンテージがある中で、上田さんは見事1位でゴールし、いいスタートダッシュを切ります。
「ホームということで時差もなければ、食事のストレスもなく、好条件でした。4月だったんですが、欧米ではシーズンインしたばかりで、まだ山岳スキーをしている頃なんです。だから海外の選手はろくに走れていない状況。当然ここは勝ちにいきました。2位とギリギリの差ではありましたが、粘り強くトップをキープできたこと、強豪選手に勝てたことはすごく自信につながりましたね」
ワールドシリーズで走った8戦のうち、優勝は3回。5位以内についたのは3回。残りの2レースは途中リタイアや棄権をしてゴールができなかったこともありました。波があったシーズン中、どのようにして精神状態をキープしていたのかが気になります。
「そのときどきで思うことは変わるんですが、2戦目で途中リタイアしたときは、シーズンも長いのでその中で挽回しようと気持ちをすぐに切り替えました。不安だったのは6戦目でした。アルプス山脈のマッターホルンでのレースだったんですが、現地で膝が腫れてきたんです。そこが前年に怪我したところとおなじ箇所だったので、日本に帰ってはっきりとした診断結果が出るまで不安の毎日でした。結果的に疲労が溜まっていただけだったので問題はなかったんですが、ボーナスレースを休場してしまったので大きなポイントを逃してしまったのは悔しかった。とはいえ、そのお陰で体調をリフレッシュできたからこそ、最終戦に向けて調整ができたというのもあります。怪我の巧妙じゃないですが、ポジティブに捉えるようにしてますね」

ゴールできた6レースのうち、印象に残っているレースについて尋ねるとこんな答えが戻ってきました。
「やっぱりひとつ一つが思い出深いですが、3戦目にエントリーしたイタリアの『Livigno SkyMarathon』は自分らしいレース展開で勝てた試合なんです。いままでは先頭集団についていくような走りだったんですが、ぼくは登りに強いという自信があったので、そこで引き離して貯金をつくって逃げ切りました。そこで登りで離すというスタイルが通用することを確信しましたね」
「あとは7月の連戦、スペインの『Buff Epic Trail』とイタリアの『Royal Ultra Skymarathon』です。スペインのほうは42キロのレースで、いま話した登りで離すスタイルで攻めた結果、途中脱水症状を起こして結果4位でした。その翌週がイタリアのレースで55キロのコースなんです。連戦だったこともあって最初は体が全然動かずに20キロの地点で20位くらいだったんですが、後半から調子が戻ってきて結果的に3位でゴールしました。いままでにないレース展開ができたのが新しい発見だったし、連戦で55キロ走れたのはぼくの中で印象に残っていますね。50キロを超えるウルトラのカテゴリはぼくにとって挑戦のひとつでもあったので」
