ギタリストとして、ヴォーカリストとして。浅井健一の奏でる音。
ー 『SPINNING MARGARET』はインストアルバムなので、ある意味で浅井さんの武器であるワードセンスを使っていないのですが、インストにしようと思った理由はあるんですか?
単純にインストゥルメンタルをやってみたかったっていう。前も一枚出してあるんだけど、インスト好きなんだわ。歌詞作んなくていいから。楽器だったら世界共通だから。ちょうどやりたいなって時期だったし、ってことだね。
ー インスト曲と『TOO BLUE』のように歌詞付きの楽曲では、製作の手法や難易度に違いはありますか?
インストのほうが難易度がちょっと低いと思う。もちろんクオリティが高くないといけないんだけど。やっぱり歌詞を書くってのはすごい難しいんだよね。インストはメロディやハーモニーやアンサンブルに集中できるから。それでやっぱり人の心を動かすものにしないとダメなんで…、やっぱり難易度は同じぐらいだわ。メロディでその人に…、変な言葉で言うと感動を与えなきゃ駄目なんで、そのぐらいのものが作れるかどうかだよね。言葉は無しで。
ー 『SPINNING MARGARET』はヘッドホンをつけて聴き込むのも良いですが、BGM的に流しても気持ちの良い曲なんじゃないかと思います。
今回は自然にメロウな方になってるね。でも激しい音楽でインストってのもあるからね。それはまた次回にやるかもしれないし。穏やかな感じの曲が揃ってるから、穏やかな気持ちになりたいなって思った時にぜひ聴いてください。

ー 今年でレーベル設立から20年が経ちましたが、次の20年はどう進めていきたいですか?
みんなも同じ20年だからね。世界がどのように動くのか。いよいよホントに…。心配性なだけだよって言う人もいるんだけど、俺の心配が杞憂だったら一番良いんだよね。音楽とか芸術的な事とかをやるには、社会が安定してないとできないじゃん。だからそういう社会がずっと続いて欲しいなって思ってるんだけど、あまりにも俺たちは平和のなかでずっとやってきてて危機感がなさすぎるって感じとるんだわ。だから、これからの20年間はいまに懸かってるので、とりあえずいまは世界の動きを注視してるかな。注視しながら、自分がやれることを一生懸命やっていこうと思っとる。
ー ボブ・マーリーのように、社会に向けて積極的に発言をしていく役割もミュージシャンにはあるように思います。
音楽がそういうことを歌う時代もあったじゃん。「ミュージシャンは時代の最先端じゃなきゃいけない」って大貫憲章さんが言ってたんだけど、まさにその通りだなって俺は思うんだよね。だけど、いまはそうじゃない音楽が99.9%じゃん。楽しければいいやっていう。楽しいのは全然良いんだけど…、馬鹿なのは良くないんだよね。
ー 確かに浅井さんの楽曲の世界観を理解するには、一定の知的水準が必要な気もします。
分からん人は分からんと思う。バカにしてはいかんけどね。また喧嘩になっちゃうから。要するに俺は「楽しければ良いや」って世界観の音楽はさっぱりわかんない。てか、怖い。あれが普通って物凄い気持ち悪いって言うか、ああいうのに世界の危機感を覚える。

ー フジロックでBJCがラストライブをやったとき、浅井さんは「たぶん音楽は世界中で大切なものだと思う」と言いましたが、まさしくいまこそ音楽の社会的意義を見つめ直すタイミングのような気がします。
社会的な意義とまでは言わんでも、音楽は心が綺麗になるとか、癒されるとかであって欲しい。「媚び媚びの気持ち悪い奴らを見て何が楽しいんだ」って気持ちになる…。ゴメン、なんか悪口みたいになって(笑)

インタビューも終わり、撮影に向かった時にちょっとしたハプニングが起きました。ライターが乗ってきたバイク(*ヤマハXS650)を見つけて「ロッパンだよね。これで撮ろうよ」と浅井氏が持ちかけ、バイク屋ですらエンジンを掛けるのに難儀する単車をいとも簡単にキックで目覚めさせたのです。インタビューでは「あまりサリンジャーには乗っていない」と言いつつも、ギターの演奏やイラストの描き方と同様に、バイクの乗り方も身体に染み付いていることがうかがえる瞬間でした。
そして、撮影後に「ブランキーの3人でバイクに乗って旅をしてはどうですか」と水を向けると「そうだね。またいつかPUNKY BAD HIPみたいな旅がしたいね」との返事が。その旅の末に、浅井氏が辿り着く新しい国はどんな形だろう。きっと焚き火を囲み、フライパン片手に未来を語り合う国に違いないでしょう。