PROFILE
埼玉県出身、41歳。湘南在住。ロサンゼルスで映像制作を学んでいた際、サーフィンに魅せられる。帰国後はテレビドラマ制作会社の助監督を経て、フリーランスの映像作家に。その後、フジテレビ『ザ・ノンフィクショ ン』をはじめ、CMやミュージックビデオのディレクターを務める。2018年、ハワイで暮らすサーファー家族に密着した自身初の長編ドキュメンタリー作品『WAKITA PEAK』 が全国で上映される。
Instagram:masatakakiyono
ガチな映像スキルで、サーフィンのコアを描く。
ー つい先日まで、アメリカにいらっしゃったんですよね。
そうなんですよ。ユタ州で、全盲のクライマーを撮影していました。
ー いきなり強烈です。そちらもご自身が監督をされているんですか?
いえ、それはフィルマーとして参加していまして。なので自分の作品ってわけではなくて。
ー 清野さんはフジテレビ『ザ・ノンフィクション』でディレクターを務めてらっしゃると伺いました。
実はぼく、不幸な人を描きたいとは思わないんです。あの番組は結構不幸じゃないですか(笑)。だけど師匠から「人間を描くことはなんなのかを知るために、やってみろ」って言われてはじめたんです。
あの番組ってディレクターが20人くらい在籍してるんですよ。それぞれが常にネタを探していていて、企画書作って、いいねってなったらゴーサインが出るんです。オンエアできるかできないかを最初に見極められるんですけど、途中でダメそうになったら打ち切り。オンエアされるものは、だいたい半年くらい撮影しているのかな。
ー そもそもなぜ映像の世界に進まれたんでしょうか?
高校卒業後に、なんとなく映画の勉強をしたくてロサンゼルスに留学したんです。遊び半分で。で、日本に帰ってきて、まずTBSのドラマを作る会社に就職したんです。それが超ハードワークで速攻ドロップアウトして。でも映像はやりたかったし、サーフィンがとにかく好きだったから、湘南に移住したんです。
ー サーフィンにはまったのはロサンゼルスで?
そうですね。知っての通り、カリフォルニアってサーファーがめちゃくちゃいるんですよ。そしてある日、友達に連れてってもらったんです。最初は全然楽しくなかったんですけど、一度だけいい波に出会えた日があって。長ーく波に乗っていられたんです。それでもう、一発でやられましたね。あと、自由なカルチャーを含め、サーフィン最高にかっけーなって思ったんです。
ー 湘南に越されてからの生活はどうだったんでしょうか?
まったくツテもなかったんですけど、サーフィンのDVDを作る会社に入れたんです。月収5万円。ちなみに当時の家賃は4万3千円(笑)。そこで繋がりがどんどんできて、ワールドサーフリーグっていう世界ツアーのオフィシャルカメラマンになれたんです。この頃からずっと、サーフィンの楽しさだったり自由さを伝えたい思いがあって。だったら自分は映像も勉強したし、映画作れるじゃんってことで、究極のサーフィン映画を作ろうと思ったんです。ガチな映像スキルで、サーフィンのコアなとこを描きたいと。
ー その究極の映画が、2018年に公開された『WAKITA PEAK』だったと。
そうですね。でも『WAKITA PEAK』を作り終わったときには、次のものを作りたくなってるんですけど(笑)。