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世代を超えて語る、カルチャーとしてのスニーカー「アディマティック」。
Cross Talk - adidas Originals “Adimatic”

世代を超えて語る、カルチャーとしてのスニーカー「アディマティック」。

いつの時代もスニーカーはカルチャーとして進化してきました。スポーツを目的につくられたものが、ファッションとして受け入れられ、音楽やアートなどを巻き込みながら成長を続けてきました。そんなスニーカーマーケットにおいて2022年の大きなトピックになりそうなのが、1996年に発売された〈アディダス オリジナルス〉の「アディマティック」の初の復刻です。そこで今回は「アディマティック」をリアルに知っている世代から、憧れを抱いた世代、初めて目にする世代を集め、スニーカーにまつわる鼎談を敢行。「アディマティック」をキーワードに、カルチャーとしてのスニーカーの役割を探っていきます。

アディダスがスケートシーンに真っ向から勝負を挑んできた(山本)。

ー 「アディマティック」はスケートボードやBMXなど、アクションスポーツにフォーカスされたモデルですが、当時のスニーカーの時代背景などで覚えていることがあれば教えて下さい。

山本:遡って考えてみると、96年ってバンドとスケートボードがミックスしていた時代ですよね。スケート・パンクみたいなイメージ。それこそ雑誌『BOON』をみんなが読んでいて、スケーターがアナーキーな存在だった時代。そんなときにスケート専用シューズメーカーも躍進していて、大手スポーツメーカーも追随してきた。そんなときに〈アディダス〉はきちんと自らのブランド名で真っ向から勝負を挑んできた、それが「アディマティック」や「ノートン」だったのかなと。大手スポーツメーカーのなかには、あえて名前を変えて新しいスケートシューズブランドを立ち上げているところもありましたね。

江川:スケートボード専門のメーカーが牛耳っていたマーケットに、〈アディダス〉のような大手スポーツメーカーが参入しつつも、試行錯誤したり、音楽とスケートボードがファッション的にも近付いたり。さまざまなカルチャーが絶妙なバランスでミックスされていった時代ですよね。そんなときに、あらゆるカルチャーを横断するように、人気を博していたスニーカーが「アディマティック」だった。

山本:だからバリバリのスケーターというよりも、スニーカーフリークやファッション関係、バンド界隈の人の方が多く履いていた記憶があります。

江川:当時はスケートシューズそのもののデザインも、どんどんハイテク志向になっていて。とにかくボリュームがあって、タンも分厚くなっていき、いたるところに謎のプラパーツが付いていたり。シューレースをダルンダルンに緩めて履いたり。

ミシェル:靴紐をゆるくして履いていたのは、どんな理由なんですか?

江川:靴紐を絞めたくないから(笑)。あと服のサイズ感もデカかったし、B-BOYっぽくしたいというか。自分で足元を見下ろしたときの、太いパンツとボリューミーなシューズのバランスが好きだったんですよね。シューレースホールが離れている方がかっこいいという、謎の美学もあったんです(笑)。

ー 江川さんは、そういった流れを俯瞰で見ながら、あえて履いてこなかったわけですね?

江川:天邪鬼だったんです(笑)。当時の俺は「アディマティック? 俺は知らねぇよ」とか言いたかったんでしょうね(笑)。本当に人と被るのが嫌だったから、すぐ色とか塗っちゃっていたし、ブランドを象徴するロゴを取っちゃうこともありましたし。

ミシェル:その発想はすごいですね! 既存の物に満足できないというか、セルフカスタマイズしちゃうんですね。

江川:こういった趣向は、マーク・ゴンザレスのせいなんですよ。彼は靴にステッカーを貼ったり、自分でペイントしたり、ハイカットを切ってローカットにしたり、とにかく発想が自由。しかもライディングも同じように自由でかっこいい。初めて彼を見たときは、かなり衝撃でしたし、いまもなお影響を受けています。

INFORMATION

アトモス カスタマー

電話:03-6629-5075

『ADIMATIC』抽選詳細

抽選販売受付期 : 2022年3月21日(月)9:00~2022年3月25日(金)8:59
特設サイト

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