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ティンバーランドとユーロハイカー。 喧騒をしばし忘れて。
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ティンバーランドとユーロハイカー。
喧騒をしばし忘れて。

そのブーツが世に放たれたのは1988年のこと。アメリカきってのシューズメイカーが欧州の流れを汲んだことで始まり、その支持の声は峠道から大都市の路上へと次第に移っていった。東京で生まれ、ニューヨークという街の文化に夢中になった大橋高歩さんが初めて足を入れたのも、やっぱりそんな時代だった。ストリートのアイコンとして憧れたあの日から月日は流れ、久々に結んだシューレース。〈Timberland〉、「EURO HIKER」。いつだって、その先には新たな景色が見えてくる。

  • Photo_Yusuke Abe(YARD)
  • Interview&Text_Rui Konno
  • Edit_Ryo Komuta

PROFILE

大橋高歩

1979年生まれ、東京都板橋区出身。2009年、吉祥寺でセレクトショップ「ジ アパートメント(the Apartment)」を開き、自身が傾倒してきたニューヨークのカルチャーやその熱量を世に伝えている。 “APT FIELD TESTING”というフレーズのもと、ショップで買い付けた商品や自社の試作品のテストも兼ねて、コンスタントにアウトドアフィールドへと繰り出すアクティブ派。
Instagram:@theapartment_tokyo

イエローブーツ“じゃない方”
っていう感覚は無かったです

ー今回は日本でも久々に「ユーロハイカー(EURO HIKER)」が復刻されるというタイミングで、このモデルに馴染みが深いであろう大橋さんにお話を伺いに来ました。ご自身が初めて「ユーロハイカー」に触れたのはいつ頃だったんですか?

大橋: 一番最初に認識したのは高校生のときでした。(Nasの)『Illmatic』とかが出てきたりして、ちょうど東海岸のヒップホップが盛り上がってきたときで、今だったらみんなスニーカーとかを履いてると思うんですけど、当時のラッパーたちの足元はほとんどみんなブーツだったんです。それでやっぱりみんな〈ティンバーランド(Timberland)〉を履いていて。もちろんイエローブーツがすでにアイコニックなものとしてあったんですけど、その他にも何種類かパターンがあって、「ユーロハイカー」はそのなかのひとつでした。

ー「ユーロハイカー」を履いてた人たちは、あえて狙ってイエローブーツを外していたんですかね?

大橋: いや、そういうわけじゃないと思います。「ワールドハイカー(World Hiker)」に“モックトゥ”、それに「ユーロハイカー」とかって、オイルドのウォータープルーフレザーの濃いダークな茶色とダークなオリーブが使われてるじゃないですか? 当時は東海岸のラッパーたちがウッドランドの迷彩を着たりしていて、〈エディーバウアー〉とかのちょっとトーンの落ちたカラーの服が人気だったりした時期なんですね。その前にはポロ(ラルフ ローレン)みたいな派手な原色が人気だった時期もあるんですけど、そこからだんだん音もドープで暗い雰囲気になっていって、’94、95、96年くらいにかけて洋服のトーンも下がっていったときに、こういったダークなブラウンの靴も合わせやすくて人気が高まったっていうイメージです。

大橋: だから“じゃない方”っていう感覚は無かったですね。当時の向こうの連中もイエローブーツばかりを履いてたわけではなくて、「ユーロハイカー」や「フィールドブーツ」、あとは“7アイレット”とかも履いてたと思いますし。「ワールドハイカー」は高級品だったからみんなが履くものっていうイメージではなかったんですけど。それ以外はイエローヌバックと並行して、みんな履いてたんじゃないかな。

ー少年時代の大橋さんにとってもイエローヌバックとそれ以外の〈ティンバーランド〉で優劣はありませんでしたか?

大橋: やっぱり一番最初に憧れたのはイエローヌバックだったんですけど、別に優劣はなかったと思います。みんな同じぐらい好きでした。それよりも〈ティンバーランド〉のブーツだっていうことが大事だったというか。そのちょっと前、自分たちよりも上の世代の人たちは例えば〈カールカナイ(Karl Kani)〉のブーツとか、選択肢が色々あったんですけど、自分たちのなかではブーツは〈ティンバーランド〉ほぼ一択で横並びでしたね。

ー世の中に色んなブーツがありますけど、やっぱり〈ティンバーランド〉は特別な存在なんですね。

大橋: 90年代だとブーツが今のスニーカーみたいな立ち位置で、個人のアティチュードというか、何が好きかっていうのが足元に現れていて。あの人は(ドクター)マーチンを履いてるな、怖い先輩は〈レッドウイング(RED WING)〉を履いてるな、みたいな。そうやってブーツにそれぞれのカルチャーが付随してるなかで、〈ティンバーランド〉のブーツが好きな人はやっぱりニューヨークが、特にヒップホップが好きなんだな、って見えていました。

ー日本での「ユーロハイカー」の印象深いエピソードはありますか?

大橋: 『ウーフィン(WOOFIN’)』の女性版で『ルイール(LUIRE)』っていう雑誌が当時あって、 ローリン・ヒルとかの格好をフィーチャーしていたんですけど、そこに出てくるようなブラックカルチャーが好きなBガールたちはバギーデニムを履いて〈カルバン・クライン(Calvin Klein)〉のパンツを出して、〈ティンバーランド〉を履いてっていう、 TLC みたいな格好をよくしてたんですよ。「フィールドブーツ」は割と男の人が履いてることが多かったんですけど、 「ユーロハイカー」はシェイプが少し細いっていうのもあってか 、女の子にも人気があった気がします。もちろん男の人も履いてたんですけど。

ー大橋さんご自身は「ユーロハイカー」をどんな風に取り入れていたんですか?

大橋: 当時〈ゲス(GUESS)〉とか(マリテフランソワ)ジルボーとかのバギーデニムが流行っていたんですけど、それって裾幅がすごく狭いんですね。そういうデニムで「ユーロハイカー」とか「フィールドブーツ」を履くと裾がその上に乗っかるんですけど、それがすごくきれいなシルエットで好きでした。そうやって裾を引っ掛けて、ベロを前に出してはくっていうのが好きな履き方で、高校の時とかはそういう感じでしたね。

ー「ユーロハイカー」をご自身で履かれたのは久々ですか?

大橋: かなり久々です。10代の頃に履いていて、店を始めてから買付けたりもしていたので自分でも一時期履いていたこともありますけど、それからもう何年ぶりかなっていう感じです。

ー買い付けた当時のお客さんの反応はどんなものでしたか?

大橋: そこまで大きい反応は無かったですね(苦笑)。実際に計ったわけでは無いんですけど、多分「ユーロハイカー」って他のモデルに比べてソールの幅が狭いと思うんですよ。前に僕らが買い付けてきた時のファッションには、こういうクラシックなハイキングシューズよりも、もうちょっとソールががっちりしてる「フィールドブーツ」みたいなものの方がファッションには合っていたんで。でも、今はこういう’80年代のハイキングブーツみたいな、横幅の狭いスタイルの人気がまた出ているし、いろんなブランドからも復刻が出てきたりしているタイミングなので、当時よりも今の方が受け入れられやすいと思っています。〈ティンバーランド〉のヘリテージが色々あるなかでも、特に今のムードや気分にハマる一足だと思うし、今は特に面白いなって。

ー少し前まではやっぱり「フィールドブーツ」などの方がご気分に近かったんでしょうか?

大橋: そうですね。自分たちの好きなスタイルで言うと軍パンを履いたり、そういう格好には合わせやすかったので。ただ、それも結構前なんですけど、〈シュプリーム(Supreme)〉が「ユーロハイカー」をピックしてコラボレーションをやったときには、「あぁ、やっぱりニューヨークの靴なんだな」ってフレッシュに見えましたね。ニューヨークのカルチャーには元々バッチリはまっている靴で、それがシルエットの部分でも今はファッションにハマるタイミングなのかなっていう。「ゴープコア」みたいなテックっぽいアウトドアも面白いんですけど、天然素材のウールのジャケットやベンタイルみたいなコットンのアウターとか、そういうちょっとレトロなノリのアウトドアが今は個人的に面白いかなと思っています。

ーファッションの潮流的にも、80sのムードやレトロなアウトドアがまた新鮮ですよね。

大橋: いつもだったらゴアテックスのシェルを着て山に登るところをロクヨンのマウンパとかにして、「ユーロハイカー」を履いたら気分もアガりそうだし、良いなと思ったりしています。

INFORMATION

ティンバーランド/VF ジャパン

電話:0120-953-844
www.timberland.co.jp/

※ユーロハイカー取り扱い店舗
ティンバーランド直営店伊勢丹新宿PC4店
ティンバーランド正規取扱店
ティンバーランドオンラインショップ

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