シェアしたいというよりも、伝えたいっていう感覚。
ー高須さんのそうしたマインドには、アメリカでの生活が大きな影響を与えているのでしょうか。
高須:18歳まで日本にいて、その頃には基本的な性格っていうものができあがっていたと思います。その後7年間アメリカにいたけど、基本に対する色付けという意味ではアメリカの影響は大きいと思う。だから、冗談ですが、東京生まれアメリカ育ちみたいな感じかな(笑)。
ーどんな生活だったんですか?
高須:不真面目でしたよ(笑)。でも、無駄な時間はなかったですね。日中は授業を受けて、その後にテニスをして、ヘトヘトになってシャワーを浴びて、ご飯を食べて、一応勉強もして。週末は友達と飲んだりしながら遊んでました。カリフォルニアにいたんだけど、ピックアップトラックに乗ってメキシコのティファナまで行って朝まで飲んで、トラックで寝て、少ししたらカリフォルニアに戻って。
ー80年代のことですよね。
高須:そうですね。80年代の後半。映画の『エンドレス・サマー』みたいな世界でしたよ。男同士でくだらない遊びをずっとしてて、カッコつけないんですよ。それがすごく楽しかった。
ーファッションはどんな感じだったんですか?
高須: 当時は〈チャンピオン〉のリバースウィーブがカレッジロゴで人気が出はじめた頃なんですよ。デニムを売っているお店では、〈リーバイス®〉の赤耳とレギュラーが混在していていましたね。
ーファッションは好きだったんですか?
高須:嫌いではないんだけど、そんなに好きというわけでもなくて。情報を積極的に得て、おしゃれをしようっていう感じではなかったかな。
ー高須さんご自身がどういったものに影響を受けて、どのようにいまのようなスタイルに行き着いたのかが気になります。

高須:やっぱりアメリカの生活はすごく大きな影響を与えていますね。多感な時期でもあったし。あとは日本に帰ってきて、仕事をしながら出会った人たちの影響も大きいですね。海外出張にも運良くたくさん行けましたから。80年代や90年代って、本当にすばらしいモノやヒトであふれていたんです。「これ、どうやってつくったの?」っていうようなモノにたくさん触れられたし、それをつくったユニークなひとにも出会うことができたんですよ。いまはつくる前にアウトプットをどうしようか考えちゃうじゃないですか。
ーどう売るとか、どう見せるとか。
高須:そうそう。でも当時はそんなこと考えずにつくられたものが多くて、そういうものがおもしろかった。それをつくったひとに会って、「このひと、変態だわ」って思うことがたくさんあったんです。そういうひとと仕事をする中で、やっぱり自分も成長できますからね。
ーそうしたものを見て、「おもしろい」と思える感覚が高須さんにあったということですよね。
高須:モノの背後にある情報は気にせず、パッと見たときの衝撃は大事にしていたかもしれないですね。いまは情報が先にやってくるでしょう。「このアイテムは、ここがすごい」っていう情報を先に与えられて判断するけど、むかしはそうじゃなかった。先に「すごい!」って思ってから、それを仕入れて、どうしてすごいのかを確かめるという順番だったんですよ。それで時間をかけながら、「いいですよね?」っていうのをお客さんに伝えていたんです。
ーそのひとつに、「サンシャイン+クラウド」が日本で正規のインポーターを務める〈オーロラシューズ〉があったわけですね。
高須:そうですね。他にもいろんなブランドを仕入れましたけど、スタートしたばかりのブランドと出会って、彼らがどんどん大きくなっていくのを見るのがおもしろかったですね。


ー〈オーロラシューズ〉とは、どのようにして出会ったんですか?
高須:30年前にたまたまニューヨークの友達に紹介してもらって、当時はまだ“コンフォート・シューズ”っていう名称もなかった頃。ようやく〈ビルケンシュトック〉が健康サンダルからファッションに移行して、西海岸の学生たちに人気になった時代でした。だけど、〈オーロラシューズ〉はサンダルっぽくないし、なおかつ服にも合わせやすかった。それで仕入れようと思ったんです。
ー30年もむかしのことだったんですね。
高須:30年間のなかでいろんな流れがあって、コンフォート・シューズとしてナチュラル志向の方々に受け入れられたりとか、落ち着いた大人のための靴として取り上げられたりとか、時代によっていろんな受け入れられ方をされたのもおもしろかったですね。最近は若い子たちが新鮮に感じてくれているようで、モデルのモトーラ世理奈さんも気に入ってくれているようです。
ー高須さんは、ご自身で見つけてきたものをお店を通してお客さんに薦めたり、好きなものをシェアしたいという気持ちが強いんでしょうか?
高須:シェアしたいというよりも、伝えたいっていう感覚ですね。たとえば、ぼくらは奄美大島にもお店をだしてますけど、「奄美っていいでしょ? 素晴らしいでしょ?」って伝えたいんですよ。葉山も同じだけど、そうやっていいものを伝えていきたい、見せていきたいっていうのはありますね。
ー衝動に正直というか、アパレルで商売をしようと思ったら、葉山や奄美でお店を出そうと思わないじゃないですか。

高須:だから大変なんですよ(笑)。95年に葉山でお店をオープンしたときは、こことは別の場所だったんです。ここに移ってきたのは2013年で、はじめにこの場所を見せてもらったときは、どうしようと思いましたよ。もともとはとある会社の保養所だったから。だけど、なんとかお店をつくって、やり続けて、すこしづつお客さんがついてきて、スタッフも成長して。そうやってお店が育っていきながら、お客さんもよろこんでくれているのがおもしろいし楽しい。最初は勝算なんてまったくなかったけど(笑)。