技術を整理して、ちゃんとしたものにする。そういう運動に乗っかっている感じ 。

―栗野さんから見た〈ピリオドフィーチャーズ〉の魅力を教えてください。
栗野:ぼくがいま着ているのがファーストコレクションのシャツです。この細かいプリーツを日本やヨーロッパでつくろうとすると、とんでもない価格になります。インドだからこそ可能な服なんですね。ただ、インドのそういった技術を民芸っぽくしすぎずに扱うのはすごく難しい。津村さんはそこを絶妙な匙加減でやっている。襟の形もきれいだしステッチも美しい。まずそういった物としてのバランスに魅力を感じます。また、『POPEYE』に出て、いろんなものを着尽くして、インドに出会って。それでこんな面白いことをやっているんだという津村さんの歴史にも個人的に惹かれますね。
「ユナイテッドアローズ」に、インドの技術を残そうというプロジェクトがあるのですが、その担当者が言うのは、”インドの手仕事の技術は誰かが仕事を依頼し続けないと失われてしまう”ということ。機械化・近代化が進み、あらゆるものが資本主義の論理に取り込まれていく中で、そこから外れた手の仕事が一つ一つの服に残っている。インドの技術の素晴らしさを理解し、機械にはできないものづくりを津村さんはおひとりでずっと続けているわけですよね。ましてや10年前の服をいまもこうして着られるということ。サスティナブルという言葉が氾濫している中で、こういった取り組みにこそ光が当たるべきだと思います。

―ローカルな技術や文化と、都会の感覚が混ざり合うことで新しい価値が生まれる。それをポジティブな形でやり続けることが重要なのかなと思います。
栗野:ぼくはエチオピアにも足を運んでいるんですけど、オーガニックのコーヒーが名産で、高い価値がついています。ではなぜオーガニックかというと、貧乏で農薬が買えなかったから、オーガニックしかやり方がなかったんだと現地の人々は言うんですよ。土って一度薬品を使ってしまうと浄化するのに相当な時間を要する。お金がなかったからこそ薬品を使われなかった土地があって、そこで生まれるコーヒーや、服飾の領域で言えばコットンなどもそう。世界に存在するそういった物と、どう付き合っていくか考えて実践していくのが我々の仕事だと思います。お金で動かせることもあるけれど、津村さんはそうじゃない。おひとりでここまでされている。だからこそ、命がこもっている感じがしますよね。
―津村さんがそれを実現されているのは、インドに足を運び続けているからでしょうか。
津村:ぼくの場合はラッキーですよ。でも、インドにはインドのやり方があるというか。最初に生地を作った時は、20パターン作ってみて、ちゃんとできたのは2パターンだけでした。それでもインドの考え方では、職人は動いたからその分ちゃんと対価を払ってください、となる。村ごとに扱える技術が異なって、それぞれにマスターっていうのがいるんです。カディだったらカディの村、刺繍だったら刺繍の村。そのマスターと交渉したりする。実際に手を動かすのは村の職人たち。そういう仕組みで、みんな生活があるので、きちんと対価を支払わないとみんな生きていけなくなる。日本の常識とはちょっと違うんですよね。
―村ごとにつくるものが違うんですね。
津村:違います。例えばカディを織る時の横糸がもう終わりそうで、次の糸に変えなきゃいけないというときに、彼らは糸を無駄にするという発想がないから、最後まで使って次の糸を繋ぐんです。そうすると、途中で糸が変わって、生地が途中で別物になってしまう。それはやめてくれと言っても通用しない。あとは彼らはご飯を食べたあとには明らかにテンションが上がっていたり、嫌なことがあったときには低くなっている。毎回全然違うテンションで織るから、織りムラが出る。そういうことがつきもので、それも含めて手でやるってことなんですけどね。

栗野:それこそがラグジュアリーですよね。
津村:それがよさだからね。自分は洋服のちょっと甘いところが好きだから。日本の民藝運動だったり、フランスのアーツ・アンド・クラフツだったりもそうだけど、技術を整理して、ちゃんとしたものにする。そういう運動に乗っかっている感じなんです。