CLOSE
NEWS

【FOCUS IT.】己の身を削り、人生を賭けて服をつくる、トモ キシダの全貌。

インスタグラムを眺めていたとき、ふと目に留まった1着の服に強烈に惹かれました。

新品なのにほつれや織りにムラがあって、写真で見ても、ひとの手が介在していると分かるそれは、野暮ったくもあり、一方で既製品にはない独特の雰囲気を醸し出していたのです。

手掛けているのは、〈トモ キシダ(tomo kishida)〉。オフィシャルサイトのブログに記録されていたその製作過程を見てみると、どうやら綿花の栽培から服に至るまでの全ての工程を自ら行っているとのこと。

そんな常識外れの服づくりを行う〈トモ キシダ〉の全貌が知りたくて、つくり手の岸田さんにお話を聞いてきました。

PROFILE

岸田朋大
tomo kishida ファウンダー

大阪府出身、30歳。大学、大学院で建築を専攻した後、メーカーの技術職に就職。働きながら「バンタンデザイン研究所」の日曜日コースに1年間通い、卒業と同時に〈tomo kishida〉をスタート。現在は大阪を拠点にしながら、定期的に各地でポップアップイベントを開催している。

ーーーーー
人生を賭けて、ひとの熱が込もったものをつくりたい。

ー まずは〈トモ キシダ(tomo kishida)〉をスタートする前のお話から聞かせてください。

大学院まで進学したんですけど、専攻していたのは建築でした。卒業してからは、メーカーの技術職として2年ぐらい働いていたんですけど、それと同時に「バンタン」の日曜日コースに1年だけ通って服づくりを学びました。だからファッション畑の人間とかでは全くなかったんですよ。

ー 建築からファッションの世界へ転身したわけは?

建築をやっていたときから物づくりが好きだったんですけど、企業に入ってしまうと、ものづくりの一部分にしか携われなかったんです。技術としては最先端のことをやっていたので面白くはあったんですけど、もう少しひとの熱がこもったものをつくりたいなと思っていて。

一度家具をつくろうと思ってインターンに行ったら、つくること自体は好きだけど、それほど家具が好きじゃないことに気づいて。それから「ほんまに好きなもんはなんやろうな」って考えて、一回服に挑戦してみようと「バンタン」に通ったんです。

ー 元々ファッションが好きだったんですか?

高校生のとき、服装の制限や頭髪検査で、身なりの自由があまりなかったんです。その反動もあってか、服を好きになりました。

ー デザイナーを目指すなら、高校卒業後にファッションの専門学校に進むのが一般的だと思いますが、大学院まで進学して一度企業に就職したのはなぜですか?

進学校だったので、4年制の大学に進学して、企業に就職するっていうのが当たり前な環境だったんですよ。だから専門学校に進むっていう道は、あるようでなくて。

その後もせっかく大学院まで行ったので、ここまで来たなら、自分が行ける中で一番いい企業に就職したいなっていう想いがあって、割と名前が通るような会社に就職したんです。ただ、自分の中でどこか押さえつけられている部分を抱きながら生きているような気がして。一度就職して、親からの期待とかに対して、ある程度責任を果たしたっていう満足感があったので、そこから自分のやりたいことを考え始めたんですよね。

ー 「バンタン」で服づくりを学んでから、ブランドを立ち上げるまでの経緯は?

バンタンに通い始めたのが、2017年。そこで手応えを掴んだというか、成功できる自信があったわけじゃないですけど、自分のやりたい道が見えてきて。じゃあそれをやろうと思って、2018年に勢いでブランドをスタートしました。「バンタン」の卒業と同時に会社も辞めて、退職金を使って織機を買ったんです。

ー 安定したサラリーマンから、デザイナーへの転身。また、卒業と同時にブランドを始めるっていうのはなかなかないことだと思います。不安はなかったですか?

覚悟ができたんです。やりたいことが自分のなかでピンときたので、一旦はこれに人生を賭けてみようと思って。それに、自分のやりたいことをやらないのなら、会社を辞めてまで自分でブランドを立ち上げる必要が全くなかったので、特にどこかで修行しようとは思わなかったです。

ーーーーー
原動力は常識への疑い。

ー ここからは、〈トモ キシダ〉について話を聞かせてください。まずは簡単なブランドの説明をお願いします。

〈トモ キシダ〉には、〈ウニ イロイカス(uni iroikas)〉と〈ランドトゥースキン(LAND TO SKIN)〉という2つのレーベルがあります。〈ウニ イロイカス〉は裂き織で服をつくるレーベル、〈ランドトゥースキン〉はコットンの栽培から服になるまでを全て自分で行うレーベルです。

ちなみにぼくの感覚としては、〈トモ キシダ〉はブランドではなく、プロジェクトって呼ぶ方が正しいかもしれないです。自分のやりたいことをプロジェクト化して、それをとりまとめとるプラットフォームが〈トモキシダ〉なのかなと。元々〈ウニ イロイカス〉を裂き織のブランドとして始めたんですけど、やっていくうちに「自分はブランドがやりたいんちゃうな」ってことに気づいて。

いずれにしてもすごい実験的なことをしているので、ファッションブランドというより、プロジェクト的な立ち位置の方が自分的にはしっくりきますね。

オフィシャルサイトで服の製作過程を記録しているブログを拝見しましたが、たしかに〈トモ キシダ〉がやっていることは、他のファッションブランドと一線を画しているなという印象を受けました。

もちろんぼくはファッションも好きで、ランウェイショーをいまだに見ることもあります。ファッションだったり、コレクションに対する憧れがあって、挑戦したいっていう気持ちを持っていたこともあるんですけど。一方で、シーズン毎に移り変わっていく従来のコレクションブランドの手法に疑問を感じる部分もあったので、日本人として、またこれまで生きてきた自分のバックボーンを精一杯活かす道として、いまの活動に辿り着きました。

ー 綿花を栽培したり、布を織ったり、一般的なデザイナーがやらないことを自身でやる理由は?

「バンタン」の授業で、パタンナー、工場、生地屋を介して、やっと服ができるっていうのを聞いたときに、そんなことする必要があるのかって思ってしまったんです。「なんのために学校で縫う練習をしてるんやろ」って。そういう常識に対する疑いがあったので、そうじゃなくてもいいよねっていうのが、ブランドをやっていく上で一番の原動力になっているかもしれないです。

だからぼくは全部自分で縫おうと決めたし、いい生地屋さんを探すくらいなら自分で織ってしまおうと思ったんです。会社を辞めてまで飛び込んだ道なので、世の中の当たり前は気にせず、自分が思うようにやろうと。

ー これまで世の中の当たり前に従ってきた分、その反動がクリエイションに反映されているんですね。

ぼくの強みは何者でもないことだと思っていて。デザイナーでも、職人でも、農家でもない。だからこそ、全てができるんだと思います。デザイナーになると服を縫わないかもしれないし、職人になるとデザインが疎かになるかもしれない。ちょっと哲学的な話ですけど、どこにも属さないからこそ、全てに属することができるんだと思います。

ー ではまず〈ウニ イロイカス〉の話から。裂き織は古くなった布を裂いて、織物の材料として再利用する手法ですが、この手法に注目した理由は何だったんですか?

裂き織は「バンタン」に通っているときから独学で始めていたんです。きっかけは、学校で仮縫いの練習をしていたとき、たくさんの布がゴミとして捨てられることに疑問を持って。大したものをつくっていないのに、ゴミばっかり生まれるなと。じゃあそのゴミになるはずのもので、何かかっこいいものをつくれたらいいんじゃないかなと思ったんですよ。

それで余った布を持ち帰って、家にたまたまあった卓上の織機でストールをつくったんです。それを学校に持って行ったら、先生に「これは自分にしかない武器やで。それで服つくろうや」ってすごい面白がってもらって。周りは「そんなん無理やろ」みたいな反応だったんですけど、自分としても裂き織がすごい面白いと思えて。

もちろんビジネス的な視点で言うとありえないですし、現実的ではないと分かってたんですけど、どうしてもやりたくなっちゃったんですよね。技術的には昔からある手法で、最先端でもなんでもないんですが、それが面白く感じたんです。

ー その昔からある技術を、いま誰もやっていないのが面白いですね。

昔はそれが当たり前で、逆にそうするしかなかった。いまの時代は、どんどん合理的、ビジネス的な方向に進んでしまっていて、物事の本質が見失われているような気がするんです。だから裂き織は、ぼくがやりたいこととうまくマッチしていて。民芸的な感覚で裂き織が使われることはありますけど、ファッションとしてやっているひとはいないので。見え方はファッションだけど、その手法は工芸的、民芸的っていうのが面白いのかなと思います。

ー 〈ウニ イロイカス〉でつくるのは、どのような服ですか?

〈ウニ イロイカス〉は、さっき言った何者でもないっていうのがキーワードになっていて、ブランド名の「ウニ」は、英語で否定を意味する「un」とユニフォームの「uni」を掛け合わせていて。あと「イロイカス(iroikas)」は、逆から呼んだら「sakiori(裂き織)になっています。ぼくが何者でもないのと同じように、ユニフォームのようであって、そうではない、どんなジャンルにも属さない服を裂き織でつくれたらなと思って、このブランド名にしたんです。いまは生地屋さんや織物工場、服飾学校、ファッションブランドで廃棄される端切れをいただいて、それを裂き織で服にしています。

ーーーーー
家族でつくりあげる服。

ー もうひとつのレーベル〈ランドトゥスキン〉では、綿花栽培から服になるまでの全ての工程をご自身で手掛けられているんですよね。

裂き織で生地からつくってやろうって思ったのと一緒で、糸もつくりたいって思ってしまったんです。ラッキーなことに、ぼくのおじいちゃんがぶどう農家をやっているんですけど、余っている畑があったので、そこで綿花を育てられたんです。これまで3シーズン育て終わって、いま4シーズン目です。

ー 一般的な服のつくり手で綿花栽培をやっているひとはほとんどいないと思いますが、その活動の中でなにか気付きはありましたか?

実際に自分でやってみて思ったのは、この生産方法で世界の服がこれだけつくられているのは異常なことやなって。ぼくは家族と一緒にやっているんですけど、それでも取れる綿花の量って年間で10〜20kgぐらい。服一着作るのに500gとか必要なので、20着ほどしかつくれないんですよ。だから、世界中の服の量に絶望しましたね。ファストファッションで労働問題がニュースになったりすると思うんですけど、そういうことがあちこちで起きているなって直感があって。

あと自分のことで言うと、ファッションの概念が変わった気がします。種から育てていると、服をつくっているっていう感覚はないんですよ。服はあくまで自然の恩恵を受けてつくる農作物だったんだなって。そういう感覚が芽生えたことに自分でも驚きました。

ー 服が出来上がるまでのプロセスを教えてください。

5月に種を植えて、その収穫が10月ぐらいからスタート、翌年の1月までには収穫しきります。3月頃に綿の中にある種を取り除いて、繊維だけになった状態にしてから糸にする工程。糸ができたら織って、生地ができたら縫って、それで服になるっていう感じですね。

ー では、種から服になるまで一年以上かかると。

そうですね。工程を遡るほど時間がたくさん必要なんです。生地を織ったり、手縫いをしたりっていうのは分かりやすい作業だと思いますけど、そのもっと前の段階、糸を紡いだり、繊維を整えたり、織機に糸を一本一本セッティングしたり、そういう目に見えない裏側の作業が地味で時間がかかるんですよね。なので、ぼくの活動を通して、服づくりにはそういう作業があるっていうことを知ってもらえたらなと思っています。

ー ここ数年でファッション業界でサスティナブルが叫ばれていますが、服ができるまでのそうした工程をきちんと知れば、服に対する意識も変わるような気がします。

普段着ているような服でも、ちょっとは大事にしてもらえたら嬉しいですね。ファストファッションがだめなわけじゃなくて、手頃だからといって服を雑に扱うのは違うので。どんな服でも愛着を持って着ようと思ってもらえるなら、ぼくの活動としては成功なのかなと思います。

ー ブログのなかで服づくりを子育てと形容されていましたが、いまの話を聞いてその意味合いが分かったような気がします。

ぼくは子供がいないので分からないんですけど、きっと娘を嫁にやるときの気持ちに近いのかなと思います。一年半もかけてつくっていると、ビジネス的に売ろうという気にならないんですよ。なのでいまのところ、年に数点ほどしかつくれないこともあって、ぼくの活動をちゃんと理解してくれる方に服を届けることができているのは凄く幸せなことだと思っています。ビジネスとして成功したいわけじゃないので、長期的な目線でぼくの哲学みたいなものが伝わればいいと思っています。

ー 先ほどファッションの労働問題の話が出てきましたけど、〈トモ キシダ〉としてサスティナブルな面を押し出しているわけではないですよね?

ブランドがサスティナブルを押し出すのって、すごいかっこ悪いことだと思っていて。わざわざ謳うものじゃなくて、ぼくのなかでは当たり前のことなんです。裂き織をはじめたのも、捨てられる生地がもったいないよねっていう当たり前の感情からだったので。けど、その当たり前が当たり前になるために、サスティナブルっていう言葉がいま流行っているのは重要なことだと思います。

ただ、ぼくとしては、環境に優しい部分を打ち出してブランドを知って欲しいわけじゃなくて、あくまでロマンとして服を楽しんで欲しいんです。「種から服をつくるってロマンあるやん?」って。そういう楽しみ方の中で、サスティナブルに繋がるっていうのが本質的だと思います。

ー 〈ウニ イロイカス〉〈ランドトゥスキン〉ともに、クリエイションのなかで重きを置かれているのは、やはり素材ですか?

ぼくは素材が全てだと思っています。素材を触りながら、つくりたいものが見えてくる感覚があって。最初はこういう服をつくれたらいいなと思って生地を織り出すんですけど、織り出したら「やっぱりこういう服つくろうかな」って考えが変わることがよくあって。素材がデザインソースみたいなところはありますね。

ー 生地ももちろんなんですけど、岸田さんがつくる服は、ボタンなど細かな部分にまで拘られていると感じました。

ぼくのパートナーが陶芸をしているので、陶器のボタンをつくってもらったりしています。気に入るものがないので、既製のパーツを使うことはないんですよね。

ー そういう意味では、家族でつくりあげている服なんですね。

見え方としてはぼくがひとりでやっているようですけど、生地を織るのを妹が手伝ってくれたり、ぼくが出張でいない間、父親が畑を手伝ってくれたり、家族の存在は大きいですね。ぼくだけで全てをやりきることはできないので。

ー そんな話を聞いたら、岸田さんの服を中途半端な気持ちで買おうとは思えないですね。

そう思ってもらえると嬉しいです。実際に展示会では、お客さんに服を購入してもらうことよりも、ぼくの活動を理解してもらうことを優先しています。たとえ服を購入してもらえても、活動の本質を理解してもらえていないと悔しくなるので。とはいえ、もちろん購入して頂いたお客さんには本当に感謝しています。特に活動を始めた頃は本当に金銭的余裕がなかったので(笑)。

ー 売り方にまでこだわられているんですね。

定期的にポップアップをやっているんですけど、ぼく自身店頭に立って、服のことを伝えるようにしています。服をお店に卸して、そこで責任を終えてしまうのは、ぼくは納得がいかないんですよね。お客さんに届けて、なおかつその届いた先まで責任を持ちたくて。だから、自分の手で直接届けるようにしています。

いまは少しずつお店に卸したりもしているんですけど、そこは本当に信頼できるひとにしかお任せできないですね。

ー 一年に数着しかつくれないからこそ、岸田さんのものづくりに本当に共感するひとに届けられるというのはいいですね。

最初はもっとみんなに知ってもらわなと焦っていたんですけど、いまはそういうことはなくなりました。ぼくがつくれる量に限界があるので、全員に届ける必要はないと思っています。変に流行りもので終わるのももったいないんで、そこは意識しています。

〈トモ キシダ〉をビジネスとしてやるならこんな手間隙はかけないんですけど、お金儲けしたいわけじゃないんで。自分のこれがやりたいっていう最初の感情を信じ続けたら、だんだんと売れるようになる気がしています。いまは苦しいんですけど(笑)。変に売ろうとするのは一番やっちゃダメなことだと思うので、人生を賭けるって決めた覚悟を最後まで貫き通したいです。ビジネスに振るぐらいなら、きっぱり辞めようと思います。

ー 今年でブランド3年目ですが、設立当初から変わったことはありますか?

いい意味で力が抜けてきたなっていうのは感じます。当初は生活も厳しくて、右も左も分からんまま、全力で走っていたので。去年はコロナが流行ったこともあって、一度俯瞰して見られるようになってきたのかなと。いままではブランディング的に、〈ウニ イロイカス〉か〈ランドトゥスキン〉のどちらかで服を作らないとと思っていたんですけど、今年の夏につくったコレクションでは、ただの手織の生地を使ったんです。ぼくがやっている2つのプロジェクトには当てはまらないんですけど、その時期に美しいと思えるものを素直につくれたっていうのは、これまでになかった感覚でした。

ー 逆に変わらなかった部分は?

自分ですべてやりきっているところですかね。パターンも誰かに頼んだ方が綺麗やなって思った時期もあったんですけど、下手なりにも自分でやることに10年、20年後に意味が出てくるのかなって。

あとは新しいことに挑戦する気持ちは変わっていなくて。今年はシルバーのジュエリーを始めようと思って、いま学校に通っているんです。

ー では最後に、今後の展望を教えてください。

年間につくれる服の数は大体分かっているので、ビジネス的な天井は見えていて。なのでビジネス的な成長は一切考えていないです。お金が必要になったら、何かしら他のビジネスをすると思うので。

なので、まずは自分がいまやっていることの地盤をしっかりつくりあげたいです。その一方で、ブランドの幅を広げていきたいなって思いもあって、直近だとさっき言ったシルバーのジュエリーラインを来年にローンチしたいと思っています。

あとは、活動の幅を海外に広げていきたいと思っています。実際、コロナ禍で滞っているものが多いんですけど、海外のお店にお声がけしてもらって、制作を進めているものもあります。海外に出ていけば、日本の持つポテンシャルを日本人に気づいてもらえると思っていて。

いま環境問題が叫ばれてますけど、裂き織の文化だったり、ほんまは昔から環境に寄り添った手法があるわけで、それをいまの日本人は忘れているじゃないですか。どうやったらそれに気づいてもらえるかなって思ったら、ファッションの本場の海外で認めてもらえたら、自然と日本人には届くのかなと。単純に海外でどれぐらい通用するのかなっていうのも知りたいですし。

INFORMATION

tomo kishida

オフィシャルサイト
Instagram

【Land to Skin 2021 exhibition】
会期:12/10(金)〜12/12(日)
会場:acht8
住所:埼玉県入間市豊岡5-1-2 TM第一ビルB1
時間:12:00〜21:00

このエントリーをはてなブックマークに追加
TOP > NEWS

関連記事#tomo kishida

もっと見る