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7年の沈黙を破り、グラビススケートボーディングが復活。再建を担ったひとりのスケーター、奥野健也が見据えるもの。

奥野健也

1998年に産声をあげた〈グラビス(GRAVIS)〉。スノーボードブランド〈バートン(Burton)〉から誕生したという背景もあり、当初は“アフタースノーボード”をコンセプトにしていましたが、2000年代後期からスケートラインをスタートします。それが、〈グラビススケートボーディング(GRAVIS SKATEBOARDING)〉。

いわゆるなストリート感ではなく、クリーンでタイムレスなブランドイメージを打ち出した〈グラビススケートボーディング〉は、チームライダーにアート・サーリやジェイク・ジョンソン、故ディラン・リーダーなど世界で活躍する面々を抱え、スケートボード界において確かな地位を築きました。

そんなカルト的な人気を誇ったブランドは、2016年に惜しまれながらも幕を下ろすことに。それから7年の時を経た2023年、当時のジャパンチームに所属していたオッケンこと奥野健也さんのもと、〈グラビススケートボーディング〉が再始動します。

そこで今回は、ライダー兼チームマネージャーである奥野さんに〈グラビススケートボーディング〉のこれまでとこれからを聞きました。さらに、ブランド再始動を祝うローンチパーティーの様子もお届けします。

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新生〈グラビススケートボーディング〉に込めた想い。

ー早速ですが、奥野さんから見た〈グラビススケートボーディング〉の魅力を教えてください。

奥野:シューズはもちろん、ライダー、映像作品、カタログまで、いま振り返ってもあんな洗練されたシューズブランドはないと思います。フォーマルさも魅力ではあるんですけど、スケートだけじゃなくスタイルをすごく大事にするブランドですね。スケートのスポーツの面がフォーカスされつつあるいまの時代には、そういう洗練されたかっこよさが求められていると思います。

ー そんなブランドを復活させようと思ったきっかけは何だったんですか?

奥野:魅力的でヒストリーもあるブランドなのに、スケートチームがなくなるのはもったいないとずっと思っていて。ぼくだけの力で復活させたわけじゃなくて、すごくタイミングが良かったんですよ。「ABC-MART」が〈バートン〉からライセンスを受け継いでスニーカーラインを販売していくなかで、やっぱりカルチャーにしっかりフォーカスしていかないといけないという話になったみたいで。ぼくと「ABC-MART」、双方の意見が合致したんです。

ー 奥野さんは〈グラビススケートボーディング〉のオリジナルメンバーですよね。当時を振り返って、印象的な出来事はありますか?

奥野:ディラン・リーダーがプロモーションのために来日したことがあったんですけど、パークでもホテルでも暴れていて。あれは衝撃的でした(笑)。

東京・渋谷で撮影された、ディラン・リーダーのライディングビデオ。

あとは、アメリカの〈グラビススケートボーディング〉がなくなってジャパンチームで動いているときに、LAに撮影に行って、ライアン・アラン(元〈グラビススケートボーディング〉のフォトグラファー)に撮ってもらったんです。そういう経験はいまとなってはすごくいい思い出ですね。全然準備していないのに写真がめっちゃかっこいい。こんなに違うんだって思いました。

ー再始動した〈グラビススケートボーディング〉での奥野さんの肩書きは?

奥野:肩書きは難しいんですけどね。一応、チームマネージャー兼ライダーです。あと商品開発とか営業とか、その他わからないことは担当者の話を聞きながら一緒にやっていて。それはもうディレクターだと言うひともいます。

ーではスケートチームの構成を聞かせてください。

奥野:最初に佐々木真那が入って、田中晶悟と西宮ジョシュアが続きました。そこにぼくを入れて合計4人。少数精鋭のチームです。これからアマも加入するかもしれないですけど、まずはスケーターの価値を上げたいので。契約するライダーにはしっかりお金を出したいということで、少数でスタートすることにしました。

ーそれぞれに色があってバランスがいいチームですね。

奥野:スキルだけではなくスタイルもある人を選んでいます。ぼくたちは実力だけじゃなく、オシャレが軸にあって、それぞれスタイルも違う。こんなスキルフルでファッショナブルなシューズブランドのチームはないと思っています。

ーシューズはどんなモデルがリリースされるんですか?

奥野:まずは「Filter」というモデルが復活します。人気のあった定番モデルの復刻です。当時はアートとかディランとか名前がついたシグネチャーモデルもあったんですけど、まずはこれ。スリッポンも開発中ですけど、またのタイミングでリリース予定です。今回は「Filter」を5色展開でローンチします。

ー 元々海外でスタートしたブランドを日本で復活させたわけですが、周りの反響はどうでしたか?

奥野:かなり反響がありましたね。やっぱり、当時を知っている根強いファンがたくさんいるんだと感じました。あとは予想以上に海外からもかなり連絡が来ましたね。「いつどこで販売するんだ」とか、「何のモデルが販売されるんだ」とか。「代理店をやらせてくれ」っていう連絡も何ヵ国からも来ています(笑)。無理を言って、とりあえずワールドワイドシッピングの対応をしてもらうことになりました。

ーそんなブランドの再始動に携わるのは、やはりプレッシャーを感じますか?

奥野:あの〈グラビス スケートボーディング〉ですよ、かなりあります。ぼくが一度勉強に集中したいと全てのスポンサーを辞めて引退宣言をしたときがあったんですけど、〈グラビススケートボーディング〉からはずっとサポートを続けたいというお話をもらって。ぼくはスケートに戻る気がなかったのと、そんな状態では申し訳ないのでお断りしたんです。その後、いろんな事情があってブランドが消滅してしまった。世界のスケート業界に衝撃を与えたあんなにかっこいい、唯一無二のブランドがなんでという悲しい気持ちでいっぱいだったのを覚えています。そんな〈グラビススケートボーディング〉の再建に携われるなんて、すごくやりがいと責任を感じていますね。

ー新生〈グラビススケートボーディング〉をどんなブランドにしていきたいですか?

奥野:スケートだけじゃなくハイファッションの部分も大事にしていきながら、日本である程度基盤を築いたら海外に持っていきたいと思っています。逆輸入ですね。昔チームマネージャーだったマーク・オブローとは連絡を取っているんですよ。「早めにそっちに持って行けるようにはするよ」みたいな話はしているんですけど、「元の〈グラビススケートボーディング〉じゃなくなっていったらイヤだよ」って言われています。そこも悩ましいところですね(笑)。

ー再始動にあたって新たにフルレングスビデオ「BIJYU」も撮影されましたよね。

奥野:シティっぽいイメージを打ち出したいので、都内をメインに動きました。ただ、都内の撮影は厳しいので、夜中とか朝イチに撮ったり。撮れなさそうなところは地方に行ったりとか。あとは単独でLAとか台湾に行ったフッテージも収録されています。

ーちなみにブランドロゴも、元のデザインと比べて少し縦長になっているとか。

奥野:そうですね。踏襲とその先という意味を込めています。再始動するのでまったく同じだとつまらないし、完全に違うデザインにするとイメージが変わっちゃうんで。ロゴの書体も元は丸みを帯びていたんですけど、もう少しシャープでスタイリッシュに、ソリッドにした感じです。

ー〈グラビススケートボーディング〉のDNAを踏襲しながら進化させていくわけですね。では最後に今後の展望を教えてください。

奥野:今後は他のスケートシューズブランドがやっていないようなことをやります。もういろいろ仕込んでいるんですが、例えばハイファッションブランドとコラボ商品を出したり、周りが憧れるひとに履いてもらったり。今まで手の届かなかったところにアプローチしようと思ってます。

〈グラビススケートボーディング〉なら実現できちゃう気がしていて。あとは地に足をつけてスケートの活動を続けながら、ライダーたちにもミーティングに参加してもらったりして、裏方の仕事を学んでもらおうと思っています。裏ミッションとして、現役が終わった後もセカンドキャリアとして仕事に繋げることができればいいですね。

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再始動を祝した熱狂の一夜をプレイバック。

そして、〈グラビススケートボーディング〉の復活を告げるローンチイベントと新たな映像作品「BIJYU」の試写会が、去る4月21日に代官山の「Space Odd」にて開催されました。

会場では、当日発売となった新作の「FILTER」に加え、チームに帯同した井関信雄さんの写真を展示。

また、「BIJYU」の試写会後には、チームライダーの一人である佐々木真那さんのプロ昇格と彼の新プロデッキのサプライズ発表が行われ、会場は熱狂の渦に。ステージ上からデッキをプレゼントするという粋な催しもあり、大盛況のまま〈グラビススケートボーディング〉にとってのメモリアルな一夜が幕を閉じました。

Photo_Nobuo Iseki(Kenya Okuno)、Waguri(Event)

INFORMATION

GRAVIS SKATEBOARDING

オフィシャルサイト

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