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ハラダユウコArchive&Style Shop Press1971年2月東京生まれ。アメリカ、ヨーロッパを中心に幅広いジャンルと年代からバイイングされたUSEDやデッドストックを扱う古着屋「アーカイブ&スタイル」のショッププレスとして、古物をこよなく愛する日々を送っています。www.archiveandstyle.com

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ハラダユウコ
Archive&Style Shop Press

1971年2月東京生まれ。アメリカ、ヨーロッパを中心に幅広いジャンルと年代からバイイングされたUSEDやデッドストックを扱う古着屋「アーカイブ&スタイル」のショッププレスとして、古物をこよなく愛する日々を送っています。
www.archiveandstyle.com

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新入荷☆ CAN`T BUST EM編

2009.10.20

 
フイナムブログをご覧の皆様、こんにちは。

今日は新しく入荷した商品の第4弾です。


オーバーオールを着た鶏がトレードマークのこちら↓

L1020137.JPG


Can`t Bust Em (キャントバステム)
推定1940年~50年代製のデッドストック
オーバーオールです☆


今日はこのキャントバステムブランドを製造していた
「Elosser-Heynemann Company Inc.」
「エローサー・ハイネマン・カンパニー」の歴史も、ちょっとですが、
振り返りつつ、写真を見て下さいませ。


L1020138.JPG


時は1849年、
世界中を騒がせたアメリカのゴールドラッシュが起こり、
H.D Leeの創始者ヘンリー・デイヴィット・リーが
バーモント州で生まれた年。

L1020153.JPG


当時のアメリカ西部では、
食料や道具、頑丈な衣料などの生活必需品は、
新天地へ夢を求めてやってきた開拓者たちにとって、
お世辞にも余裕があるとは言えない生活の、
命を支える重要な資源だったことは想像に難くありません。

L1020149.JPG

この年のわずか、2年後の1851年に、
キャント・バステムを製造していた
「Elosser-Heynemann  Co.」
サンフランシスコで操業を開始しました。

かの有名なリーバイストラウスが、
西部開拓者たちの為の労働服を作るために、
サンフランシスコにやってきたのが1853年なので、
エローサー・ハイネマン社の創業が
西部のワークウェアメーカーとしては、
いかに早かったかが伺えます。

L1020141.JPG

創始者は
Hermann Heynemann (ハーマン・ハイネマン)(1831~1902)と、
Leo Eloesser(レオ・エローサー)(1816~1902)の二人で

この二人に関しては非常に残念なのですが、
エローサーに息子がその後1870年に生まれる以外、
記述が残っていませんでした。
名前から察するにハイネマンはドイツ系の移民ではないかと思うのですが。。
それも、わたしの推測の域を超えないので、すみません。。。。

L1020145.JPG

また、
会社の創業年月日に関しても諸説あり、
一部には1878年との記述もあるようですが、
こちらは「キャントバステム」の、
商標登録用紙を参考に見てみると、
商標登録が正式に成されたのは1909年の様ですが、
最初に「キャントバステム」というブランドネームが使用されたのは、
1876年との記述があるのと、
ハイネマンが20歳、エローサーが35歳で創業という線の方が、
ハイネマンが45歳、エローサーが60歳で創業より現実的なので、
会社が操業を開始したのは1851年で間違いないと思います。


L1020148.JPG


その後、
「エローサー・ハイネマン社」は、
「CAN`T BUST EM」以外にも、
[BOSS OF THE ROAD](ボス・オブ・ザ・ロード)や、
[FRISKO JEANS](フリスコ・ジーンズ)
[CAMPUS CODE](カンバス・コード)
[CACTUS CASUALS](カクタス・カジュアル)
[COPPER KING](コッパー・キング)

などの、名ブランドを次々に発表し、
西海岸では有数のワークウェアメーカーへと成長していきました。


L1020157.JPG


1946年
同じく西海岸で成長を遂げていたH.D LEE社は、
Lee ライダースをリリースします。

L1020159.JPG

そして、この同じ年に、
H.D LEE社は、エローサー・ハイネマン社
買収に成功し、ハイネマン社を傘下に治める事によって、
「キャントバステム」などの名品ブランドはLeeのブランドを冠して、
全州へ売られていくようになりました。

L1020160.JPG


また、先に挙げたハイネマン社
BOSSなど他のブランドも、
Lee ブランドに吸収、廃止されていきました。

L1020158.JPG


「エローサー・ハイネマン社」を、
買収できた事は、H,D LEE 社が、
ワークウェアブランドとして全州へ更に、広く成長できた、
大きな要因に間違いないと思います。


L1020163.JPG


今日、ご紹介しているオーバーオールですが、
Leeに買収された後も、
しばらくは買収以前のままのブランドネームで製品が、
製造されていたとの説がありますので、
そのことから推定すると、1940年代~50年代初期までに、
製造された物のデッドストックだと思われます。

L1020167.JPG

ただ、私の知識不足で申し訳けありませんが、
年代によってキャント・バステムのトレードマークである
鶏の向きが変化するらしいので、
そこまでわかったら年代が断定できるかもしれません。

L1020171.JPG


また、古いものには間違いないので、
絶対に「UNION CHIKET」(ユニオン・チケット)が、
付いているはず!!と思い探しましたら、
やはり、付いていました。
バックの右ポケットの奥のほうです。


L1020174.JPG


このユニオンチケットの由来については、
前回も少し書きましたが、
もっと詳しく説明すると、


1950年代のアメリカでは労働社数がどんどん増加していき、
それに伴い、色々な企業で労働組合が発足されていきました。
そして、どこの組合でもみな、組合を否定する事は禁じられ、
否定する企業の製品を買うことは禁止され、
組合員は、同じ組合員が作ったものだけを買うように義務づけられました。


L1020173.JPG


その、同じ組合員が作った製品だという証しが、
自社のブランドタグに「UNION MADE」と入れることと、
そして、ここがまた商売人というか、なんだか。。。今思うと、
衣料産業組合にも、
政治的なにおいもして、あまりいい気はしませんが。。。
一枚1セントで各企業が組合から買取り、
縫い付ける事を義務付けられた、
写真のユニオン・チケットなのです。

Usedだと、擦れてよく読み取れませんが、
こちらはデッドなので、よくよく見てみると、細かく色々なことが、
記載されているのが分かります。

L1020155.JPGのサムネール画像


ブログに載せると反響が早いです。
当たり前の事なのでしょうが。。。。

気になる方はお早めにどうぞ。。。。

また、
前回のカーハート、前々回のGWGは既に売れてしまいましたが、
バイヤー堀江氏いわく、
これらに変わる逸品を新たに出してくれるそうなので、
皆様、お店にきてくださいませ~☆


ちなみに質問されたので、お答えいたします。
このようにブログで一点、一点ご紹介している商品は、
どれも、
堀江氏が店頭に並べてから、
ハラダがご紹介しておりますので、

私ののんびりブログに載る前から店頭に並んでいるものも、
当然、色々、ございますので、よろしくご了承のほど、お願い致します。

すみません。。。できるだけ、
リアルタイムでブログアップしていきますので、
皆様、どうぞ、よろしくお願いいたします~☆


PS.
はぁ~~~やっと書き終わりましたぁ~~~~☆
今日も何とかがんばって書きましたぁ~~~~~☆☆☆(疲)

Comment: 1

はじめまして。
Eloesser-Heynemann Co、1851年当時はHeynemann& Pick Coという名前で創業してます。

このときはLeonard D Heynemannと義理の息子、Morris Pickが創業者です。

その後、すぐにHeynemann & Coに改名、オーストラリアからLeonardの兄弟Hermanを呼び寄せたようです。

EloesserはArthur Eloesser、Hermanの義理の息子です。

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