That Way About Things
ハラダユウコ
Archive&Style Shop Press
1971年2月東京生まれ。アメリカ、ヨーロッパを中心に幅広いジャンルと年代からバイイングされたUSEDやデッドストックを扱う古着屋「アーカイブ&スタイル」のショッププレスとして、古物をこよなく愛する日々を送っています。
www.archiveandstyle.com
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Buco J-100
2010.09.10
フイナムブログをご覧の皆様こんにつは~☆
おお!秋が!!とうとう結構、突然な感じでやってきたのね~と、
思ってたら、やはし、今日は再度、暑いんすね。。。
まぁ、今年は春が殆どなかった印象が濃いんで、
秋はせめてゆっくりゆっくり残暑も交えつつ、感じさせてほしいかなと、
思っています、ハラダデス。
え~と、今日は予告商品のブログっす。
明日、11日土曜日に出します。アーカイブ&スタイル~の店頭に。
(あ、明日で、同時多発テロから9年ですか?もう9年。まだ9年。両方感じます。)
話を戻します。
↓ こいつを。
え~と、
無駄を削ぎ取った、「最強のシングルライダース」との呼び声も高い、
BUCO(ブコ)のJ-100どえす。
背裏のタグはありませんが、カムアウトしているわけではなく、
タグの付かないものや、これは違いますが、
裏地の下についているものも、時々、有ります。
ジッパーの感じから、多分、60年代くらいの物ですね、
全体のコンディションは8割程度いい感じなんじゃないかと。
BUCO(ブコ)の、
創始者ジョセフ・ビューガライゼンは、
自動車産業の発祥地として名高い、
ミシガン州デトロイトの、
316Eジェファーソン・アベニューに、
モーターサイクルのヘルメットなどを製造販売する総合のアクセサリーメーカーを、
1933年中期に創業しました。
有名な話ですが、
BUCO(ブコ)の"ブ(Bu)"は、
ビューガライゼン(Buegeleisen)から取り、
"コ(Co)"はカンパニー(Company)"から、
由来しています。
ジョセフ・ビューガライゼンが、
BUCO(ブコ)の操業を開始した、
その頃は、丁度、本格的な一般二輪車の普及に伴って、
モーターサイクル産業が発展していく兆しが見えて来ていた時代でした。
今ではモーターサイクルジャケットといえば、
レザー製品が当たり前に、ぱっと浮かびますが、
この、レザー製のバイカージャケットが、
「モーターサイクル・ジャケット」という、
名前で発売されたのは、
BUCO(ブコ)の創業より、もう少し後の、
1930年代後半になってからの事で、
コノ頃から、各種レザーメーカーや、
BUCO(ブコ)の様な、
モーターサイクルのアクセサリーを作っていたメーカーが、
次々にバイカー用のレザー・ジャケットの製造に着手していくわけです。
ただ、いわゆる、モーターサイクル・ジャケットが、
ライダースとして、本格的に一般に普及していくのはもっとずっと後の、
戦後の時代、
映画「The Wild One(乱暴者)」 の中の
マーロン・ブランドなど、
鮮烈なファッション・アイコンが現れてからのことで、
この映画の中で、
革ジャンとジーンズでモーターサイクルにまたがるブランドの
写真を見た世界中の若者が、そのスタイルを真似る様になって、
急激に広がっていったんですよね。
そんな流れの中、
BUCO(ブコ)が、ヘルメットなど以外に、
本格的な品質の高い、
モーターサイクル・ジャケットを作り始めたのも、
1940年代中頃からなのです。
つまり、
1940年代以前のバイカージャケットは、
いわゆる、スポーツ・ブルゾンのくくりの、
レジャースポーツ全般で使用された、
ウール・ジャケットやレザー・ジャケットが、
一般的なバイカー・ジャケットとして着用されていて、
バイク乗りのスタイルも多種多様だったというわけです。
ただ、この写真のJ-100の完成度を見てもらえれば分かる様に、
BUCO(ブコ)のモーターサイクル・ジャケットが、
(例えば、ダブルのライダースなら、J-21やJ-22などに代表されるように)
第二次世界大戦以降のモーターサイクル・ジャケット産業を、
牽引していった傑作と言って過言じゃないほど、
そのデザインと形は、レザー・ジャケットの歴史における
"最高の中の最高"として数えらているのです。
フロントジップの裏側左右には、
前の持ち主の名前らしき書き込みがあります。
来週には、HPのアイテム欄にも詳細をアップする予定ですが、
気になる方は是非、
直接、ご連絡もしくは、
店頭にチェックしにいらしてくださいませ~☆
ここから先は、
プライベートのお話です。
さて、最近のハラダの脳みそを占拠している、
プロブレムはただひとつ。
もう約2週間も前から、
なんだか具合の悪い、うちのごまごんの事です。
結局、
未だに治療中なのですが、結局、
どっかにぶつけたのでも、
エアコンで風邪を引いたのでもなく、
夏休みにハラダが保護していた黒猫君の病気が感染していました。。。。
んで、さらに凹むのが、
ごまから、
こんな風に、
むぎぴょんにも。。。。
黒猫君は今では、元気に、
ぐんぐん成長していて、
身体も健康で、
それはそれで、めっちゃ嬉しいし、ほんとによかったと思っているんですが。。。
↑こんなに、愛くるしく、里親宅で元気に大きくなってきております☆
しかし、
ごまと、むぎの飼い主として、
自分のふがいなさに、凹む。。。
いや、一番、可哀想なのは、
もちろん、ごまとむぎなんですよね。
今回、学んだ事。
ペットの健康は飼い主が本当に慎重に守らなければいけないこと。
獣医さんも誤診をするということ。
自分がかなりアホだなぁ~ってこと。(苦笑)
最終的に、
紆余曲折を経て、
代々木上原にある、「ねこの病院」という、
いい病院に辿り着きました。
ごまと、むぎの病名をずばりと当てて、
先に行った病院の治療に
「ん~?何でそんな判断になるのかしら~???」と、眉をひそめ、
飼い主のハラダを厳しくでも、優しく説教し、
適切な治療を施してくれた女性の素敵なサバサバっとした、
猫大好きな先生です。めっちゃくちゃ親切で温かいです。
ごまとむぎは点滴を受けて、高熱も引いて、食欲も回復して、
後は、眼の結膜炎をゆっくり(1ヶ月くらいかかるらしい)治して行く事になりました。
他のクリニックや動物病院の誤診も含めて、ここまで、辿り着くのに、
使った治療費、約5万円。。。。。。
安くない授業料でしたが、
改めて、生き物を飼うことの重さを感じれた経験でした。
しかし、ハラダが苦しいのは自分の気持ちだけであって、
ほんと、ごめんよ~ってのは、
ごまとむぎなんで、
なんか、ほんと、とほほほほ。。。。です。。。。
(でも、黒は助かってほんと、よかったとも、もち、思っているんですけど。)
髪も80センチくらい切って、楽になりましたし、
サクサク動いて、アーカイブ&スタイルして働いて、
しっかり、ごまとむぎの母ちゃんやろうと思います。
「ねこの病院」の先生が話してくれました。
ねこも純粋に老衰して亡くなるときは、人間の老衰死のように、
スゥ~~~~~っと、それはもう、静かに穏やかに優しく息を引き取るそうです。
きっと長く生きたね~というご褒美なんじゃないかしらと、思うと。。。。
自分もいつかは、出来るだけぽっくり逝きたいですが、
その前にごまとむぎのことも、飼い主として、
そんな風に看取らなくちゃなぁ~やつらの健康維持をマジ頑張ろうと思います。
ではでは、皆様、また~。
週末に向かって、いろいろ紙パッチなワーク物とか、
出したので、よかったら、チェックしにきてくださいね~~~☆
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