HOME  >  BLOG

Creator Blog

南井正弘Freewriter&Sneakerologist1966年愛知県西尾市生まれ。スポーツシューズブランドに10年勤務後ライターに転身。主な著書に「スニーカースタイル」「NIKE AIR BOOK」などがある。

履けばわかるさ、着てもわかるさ

南井正弘
Freewriter&Sneakerologist

1966年愛知県西尾市生まれ。スポーツシューズブランドに10年勤務後ライターに転身。主な著書に「スニーカースタイル」「NIKE AIR BOOK」などがある。

Blog Menu

今日の1足

2009.12.23

このエントリーをはてなブックマークに追加

DSC00493.JPG

'95年から'96年の年明けは弟とニューヨークにいました。当時の日本ではエアマックス'95が熱狂的なブームになってまして、その影響でニューヨークのフットロッカーetc.も並行輸入業者に狩り尽くされ、グレーグラデーションは皆無だったけど、レッドボーダーとかはサイズによっては買えましたね。その後もエアマックス'95のブームは続いたけど、同時に日本で人気となっていたのが、エア フットスケープ。シューレースを外側にオフセットして、足の甲の血管の圧迫を防止した構造の1足。ファーストカラーのブルーはもちろん、ブラック、グリーンといったカラーアップデートも良好なセールスを記録してました。幅広のラストは日本人の足の形状にもピッタリとフィットしましたね。

一昔前にも復刻され、ホワイトレザーアッパーなんかも登場してましたが、今年に入って再リリース。オリジナルカラーも登場したけど、個人的には補強パーツを黒に変更したタイプが気に入って、こっちを購入。普段履きはもちろん、マラソンあとのアフターシューズとしても活躍してくれてます。ゆったりしたラストは足をリラックスさせてくれるし、インソール表面のイボイボ突起がツボを刺激してくれます。

実はエア フットスケープには悲しい思い出があります。昔A君という青年がアメ横のスニーカーショップで働いてました。彼とはお店でもスニーカーの話を延々としたし、携帯電話にも頻繁に電話が掛かってきたり。あと夜遊び場でもよく会い、そのたびに「ご飯連れてってくださいよ」と親しみのある笑顔でいわれたものでした。当時の自分はいくつもの雑誌でスニーカーの原稿を書いてたので、ほとんど休みを取ることができない状態が続いていて、彼との食事はなかなか実現できませんでした。そしてそろそろA君と彼の彼女にご飯でもご馳走しようと思ったとき、A君は不慮の事故で亡くなってしまったのです。

小岩のほうの斎場で行われたお通夜には彼がいつも乗っていたビッグスクーターが置かれていて、その瞬間なんとも言えぬ悲しい気持ちになりました。そして、さらに自分を悲しませたのが、レッドとシャンパンゴールドを組み合わせたエア フットスケープが飾られていたこと。これは彼が「アメ横発信で面白いことやりたいんですよ」という気持ちをミタスニーカーズの国井さんや、今はアメリカにいるナイキのA氏とともに具現化した1足。自分もクールトランスに掲載し、原稿を書きましたが、大きな反響があったモデルです。

そんなことがあったから、前回の復刻ではA君のことを思い出して悲しくなるのが嫌で、エア フットスケープを買うことができませんでした。レッド/シャンパンゴールドは彼の死後、履いてないし。でも今は「エア フットスケープを履くことが彼を忘れないこと」と思うようにしてこのモデルを履いています。

今思い出してもA君は本当にスニーカーが好きだったなぁ。
日本発信のプロジェクトが目白押しとなり、世界から注目されるようになった現在の東京のスニーカーシーンを彼に見て欲しかった。

※コメントは承認されるまで公開されません。