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コミュニケーション。
2006.11.23
何年か前、ラジコンにまた夢中になった。またと言うのは小学生のころラジコンブームがあってそれ以来だからだ。ただ子供のころ作ったラジコンはジープやF1マシンのクルマだったけれども、それは当時憧れても手が出せなかった空飛ぶヘリコプターだった。高価だったし何より機械も操縦も難解で小学生には大人のおもちゃ過ぎた。だから大人が子供のころの鬱憤を晴らすように秋葉原や上野方面の模型屋に通ってカスタムパーツを買いまくった。スゴそうなモーター、軽い部品、カーボンでできたプロペラなどなど。すぐにカッチョイイ自慢のマシンが仕上がった。だけどすぐに飽きた。
ちょうど同じころ、映像の編集にハマってた。街の風景などをよく撮影していて、バイクのタイヤやスケボーにカメラを付けて走らせたり、そういう日常にない目線の映像が面白かった。だからどうにか空中から撮影できないものかと考えた結果がさっきのラジコンにつながる。できれば動くものを追いかける絵が撮れたら面白いなと。映画「シャイニング」のオープニングっぽいものをイメージしたりして。しかし、ラジコンブームでガンプラブームな世代だから気が付けば本来の目的よりそっちに夢中になっていた、というだけの話。
小学生の頃はあんなに夢中になれたのに、なんですぐ飽きるんだろって考えた。そういえば最近何でも飽きっぽい、というかそもそも夢中になるものが無い。それは楽しみを共有する仲間が多少でもいないと遊びも何もつまらない、というか意味が無いからだって気がついた。こんなに技を磨いたよ、こんなにカスタムしたんだよ。誰かがいないと、これほど空しいことは無い。鏡の前で一人ファッションショーする為に服を買う人も恐らくいない。ふだん、何気なく接している身の回りのモノが、だいたい他人とコミュニケーションするためのツールなんだなって感じた。
だから何だって話。ただその中でもっとも代表的でもっとも現代的なツールが、PCやゲームや携帯だったりするのかもしれない。そういう意味じゃ話題のゲーム機はニンテンドーに軍配が上がる気がする。けれどもどっちも欲しくない。やっぱり一人じゃゲームもしない。
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