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隣人。③
2008.03.07
「ねえ、ねえ、ちょっと起きてよ」
声を潜めながら、隣のベッドで寝ていた奥さんの体を揺すった。
「いま、隣のお姐さん、裏の家に入ってったよ」
ボクはやや興奮ぎみにそう伝えたのだけど、だから何なのよと奥さんはまた寝てしまった。
裏の家、というのは、ここらの地主である老夫婦が住む大きな屋敷のことだ。
以前、ボクの家には画家さんが住んでいて、窓から見える大きな桜の木をモチーフにした版画をよく描いていたそうだが、その桜の木というのは実はこの屋敷の庭にあるものである。自分のもののように毎日眺めているが、まあ、いわゆる借景ってやつだ。
ヒールの靴音は確かに屋敷の門を潜ってった。その音からは一瞬の躊躇も感じなかった。ふつうチャイムも鳴らさず勝手にひとんちに入ってく人はいない。もしいるとすれば、それは家族か、親類か、ごく親しい間柄の人か、もしくは泥棒ってことになる。だけどまさか昼間に正面から堂々と入ってく泥棒もない。てことは前者のどれかか、でも彼女の名前から察するに親族でもなさそうだが。
その屋敷の主であるじいさんは、ふだんステッキを片手に綺麗に剪定された庭の木々を愛でたり、近所を散歩などしている。仕立ての良いシャツにセーター、スラックスといったいつもきちんとした装いで、さっぱり散髪された品のいい白髪はまるで英国紳士のよう。ばあさんも地域の婦人会、茶道会の幹事を勤めるなど、夫婦揃ってまったく羨ましい悠々自適な暮らしぶり。何より生活の余裕を物語っていた。
そんな老夫婦の屋敷に入っていったお姐さん。いったい彼女はどんな関わりがあるのだろうか。
まあ、そんなどーでもいい事を気にしつつボクはベッドを抜け出し、桜の木が見えるリビングへ移動して、朝食のトーストを焼き、目覚めのコーヒーを煎れた。
<つづく>
祝 再登場。