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いっこまえ。
2011.12.07
ファッション好きな人なら誰でもそれに目覚めた時期があると思う。僕が洒落っ気づいたのは頭にムースを塗りたくった小学生の頃だが、服に関しては高校生だった。
学校にクラスは別だがKという親友がいた。でも入学したての頃は嫌いだった。互いに同じ目立ちたがり屋タイプで、意識し合うが故の口を聞きたくないライバルというか。向こうがダイエースプレーで髪を逆立ててくれば、こっちは翌日その倍逆立てるという無言の攻防。
二年生の終わりか三年生になってそんな彼と打ち解けた。「あんときのオマエの髪型には負けた」なんて笑いあった。一緒にツルむようになると彼が意外にもリッチな暮らしをしていると知る。すでに親とは別居で2DKのアパートに住み、毎日一万円以上の小遣いを持ち、卒業と同時に新車のフェアレディZに乗っていた。
彼の親父(母親はいない)はクリーニング屋を営んでいた。それと趣味のスナックと、古着屋。そこそこ繁盛する古着屋をやっていた為、彼のアパートの一室は在庫の古着で溢れていた。乱暴にいくつものゴミ袋に詰まった古着。それが宝の山だった。ジーンズの入ったゴミ袋をぶち撒けてひとつひとつ年代モノのリーバイスを探した。そこそこあった。かなりのモノも出てきた。
それをもらって(彼の親父からすればパクって)着た。時代は90年代初頭。渋カジ・アメカジ全盛期の古着ブームの頃。とても高校生が手の出せるモノじゃなかった。が、彼はまったく古着に興味がなかった。もったいないことに。
しばらくして彼の親父が警察に捕まった。じつはその古着というのは原宿の某古着屋がアメリカから買い付けてきたものだった。買い付けなど経験もなく詳しく知らないが、おそらく膨大に仕入れた古着(何枚でなく何キロという単位)のクリーニングを一手に引き受けそれを間引いて自分の古着屋で売っていた。被害額は数千万円だったと記憶する。
酷い親父だったと思う。もちろん刑罰を受け、苦労して弁済もしただろうが、そのうちほんの僅かは僕が履いたジーパン代も含まれている。結局のところ、僕のファッションの走りはパクられたヴィンテージデニムだったというしょーもない話だ。
そんなことを思い出したのも、昨日そのKに久しぶりに電話をかけた。出なかった。年に何度も連絡するわけじゃないがもう暫く電話に出ない。そういえば去年まで届いていた年賀状も今年は来なかった。酷い親父がいても僕にはかけがえのない友人である。心配になり彼の元カノに連絡を取った。そこで初めて彼の近況を知る。あの親父がついにボケたそうだ。おまけに嫁も他に男を作って逃げたとか。
暫く前に話した時、離婚したとは聞いたがそんな泣き言は一切なかった。やはりずっとライバルのまま。たぶん僕がそうでも言わない。つーか、別れても心配してくれる女なんでふったのよ。あんなブスやめときゃよかったのに。いっこ前の彼女にしとけばよかったのにと思う仲間は、他にも沢山いる。男の悲しい性だわ。
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