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COLUMN

瀧川鯉斗落語道。

文:瀧川鯉斗

暴走族の総長から落語家になった瀧川鯉斗さん。落語界前代未聞、異色中の異色のストーリーを自らの言葉で綴ったコラム「成り上がり」は入門前、前座、二ツ目、真打と話の回数を重ね、前回ついにクライマックスを迎えました。そこで今回からタイトルを改めてシーズン2のスタート! さまざまな切り口で落語にまつわるアレコレを書いてもらうことになりました。初回は社会を揺るがす新型コロナについて。ご多分に漏れず影響を受ける落語界、さらには、ご自身の生活を振り返ってもらいました。

第一話 コロナ禍の落語界。

どうも。みなさま、落語家の瀧川鯉斗です。前回までの「成り上がり」を読んで頂いた方は僕のこと、少しは知ってもらえたと思います。そこでは自分のヒストリー的なことをたっぷり書かせてもらいましたが、今回からタイトルを「瀧川鯉斗落語道」に改めて再出発することになりました。ここではいま自分が落語家としてどう生きているか、世間で起こっていることに対してどう思っているのか、はたまた昔の出来事を思い出したりして、僕なりに感じていることをお伝えできればと思っています。

 

「成り上がり」を読んで下さったみなさまは、引き続き、お付き合いの方よろしくお願いします! この「瀧川鯉斗落語道」から見るよ! っと言う方はこちらを読んでもらい、ちょっとでも気になった方は以前のコラム「成り上がり」を覗いてみて下さい! さらにさらに気になった方は寄席や落語会に足を運んでもらえると嬉しいです! ひとつよろしくお願いします!

 

初回は、新型コロナウイルスで緊急事態宣言が発令された中、僕がどう思っていたかお伝えできればと思います。

 

4月7日の緊急事態宣言が発令されるちょうど1ヵ月前、3月に入った頃、携帯がひっきりなしに鳴りはじめました。どれも地方の落語会のキャンセルや延期を伝える電話で、その頃、寄席の中席(11日から20日)、下席(21日から30日)に出演していました。

寄席の楽屋に行くと、売れっ子の師匠たちが「俺、50年落語家やっているけど、こんなに暇になったのは初めてだ」と口を揃えて言っていました。もともと寄席を何日か休むはずだったのが、落語会が延期になった影響で、楽屋の前座さんに「やっぱり出れるから!」と電話、何事も無かったかのようにそのまま出演しました。

 

僕が入門したのは2004年3月。近年の落語ブームの火付け役となった、テレビドラマ『タイガー&ドラゴン』やアニメ『昭和元禄落語心中』といった作品が放送される前だったので、寄席はお客さまの入りがまばらな状況でした。楽屋に入った師匠たちの決まり文句も「今日、お客様いるかい?」てなもんで(笑)。今年3月の入り具合はまさに当時を思わせる異様な感じでした。

 

このまばらな客席の状況を高座から見て、これから落語界はどうなってしまうのだろう? と心の中で不安を感じつつ、それでも観に来て下さるお客様に楽しんで頂くため、全力で落語を演りました。

 

緊急事態宣言が出されると最後の最後までやっていた寄席もついに休席になりました。

 

緊急事態宣言のため、休席中の「新宿末広亭」。
6月1日から再開された。

 
 

僕も食料を買いに行く以外は家にいました。家にいるのは当たり前ですが、もし自分が感染したら無症状の場合もあるので、自分の師匠はもちろん、高齢の師匠たちにも会わない方がいいと思っていました。

 

高座が無い毎日を過ごす中で、噺を忘れないように稽古はもちろん、どうにか応援して下さるみなさんと楽しく過ごすことができないものかと思い、インスタライブを週2、3日くらいのペースでやっています。高座の空間のように楽しんでもらうことはできませんが、みなさんと繋がれることが分かりました。コメントやDMを頂くと早く、高座に戻りたいなーっと切に思います。

 

いまはなかなかSNSでしか交流ができませんが、秋口までには改めてみなさんと会いたいと強く思っています。

先日やっと緊急事態宣言が解除されました。しかし、寄席をはじめ、落語会もいろいろな規制が暫く出てくるかもしれませんが、一緒に力を合わせて乗り切りましょう!

桂米助師匠とのインスタライブの風景。

 

PROFILE

瀧川鯉斗
落語家

落語芸術協会所属。1984年名古屋生まれ。高校時代からバイクに傾倒し、17歳で地元の暴走族の総長に。2002年に上京。新宿の飲食店でアルバイトをしている時、師匠・瀧川鯉昇の独演会を観たことをきっかけに弟子入り。05年に前座、09年に二ツ目に昇進し、2019年5月、真打に。

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