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COLUMN

成り上がり。

文:瀧川鯉斗

2019年5月、真打に昇進した落語家・瀧川鯉斗さん。初めて名前を聞いた読者も多いと思いますが、なんと暴走族の総長から噺家になった異色の経歴の持ち主です。このコラムでは、落語の噺についてはもちろん、下積み時代の話、寄席、落語会など、伝統芸能の裏話をざっくばらんに語ってもらいます。落語って一見、どこか敷居が高そうな印象を受けますが、このコラムを読めば、そのイメージがガラッと変わるはず。

第一回 噺家前夜。

噺家の瀧川鯉斗と申します。元号が、令和に変わった今年5月に真打昇進をさせて頂きました! 僕は、今年で噺家生活15年目になります。

 

落語の世界は階級制度がありまして、前座、二ツ目、真打と三階級に分かれています。

 

前座の身分は、楽屋で師匠たちの色々なお世話をして気働きができるように修行をします。その修行が師匠たちに認められると二ツ目に昇進をします。

 

二ツ目になると、楽屋の修行から解放されて高座では、羽織、袴の着用が許されます。落語に集中出来る時間ができますが、まだ修行の身なのですよ。そして真打になると、寄席でトリを務めることができ、弟子を持つことができます。まぁ、ざっと落語界はこんなシステムになっています。

 

さて、今回は僕が何故、落語の世界に入門したのかを書いていきたいと思います。

 

まず本名は小口直也です。ごく普通の一般家庭の次男として生まれました。直也と言う名前は、嘘をつかない、真っ直ぐな人間に育ってほしい、と両親が願いを込めた名前です。

 

僕は、物心がついた時から、色々なことに興味を持つ子供だったと思います。

 

父親の仕事の都合で、五歳の時に北海道の札幌市澄川に住むことになったのですが、当時の僕は東京の友達と離れる寂しさよりも、生まれて初めて乗れる大型船フェリーにワクワクしてました。

 

僕の家の隣には自衛隊の基地がありまして、冬になるとそこを解放して開催される雪祭りが何よりの楽しみでした。特に楽しみだったのが、映画館が設置されていたり、屋台がズラーっと並んでいる中、肉まんやあんまんを売っている屋台にチョコレートマンという、肉まんの具がチョコレートになっているものがあり、それを食べることでした(笑)。

 

小学2年生の終わり頃にまた、父親の転勤で母親の地元・名古屋に行くことになりました。この時の僕は、名古屋に行く興味よりも札幌の友達と別れたくないと言う気持ちの方が強く、寂しい余りに泣いてしまいました。

 

名古屋では部活に入りサッカーを始めると、ユニホームが違って目立っているゴールキーパーをやりたいと思い、熱中してやっていたら中学生になった時には愛知県代表のゴールキーパーになっていました。

 

でも同時にヤンチャな仲間たちとも遊ぶ様になって、夜にヤンチャな仲間たちと遊ぶ方が楽しくなってしまいました。当時は、そんな先輩たちがカッコ良く見えたのです。いま、この当時の自分に言えるのであれば、サッカーを真面目にやりなさい、と言いたい!!

 

当時、「天白スペクター」という暴走族がありまして、恥ずかしながら十二代目総隊長にまでなってしまいました。

暴走族時代の瀧川鯉斗さん。

 

悪さや喧嘩に明け暮れていた僕はこのままの生活ではダメだと思い、昔から映画が好きなので役者になろうと漠然と東京出てきたのは良いのですが、まずは飯が当然食べられないので、人生初めてのアルバイトをやることにしました。

 

そこで、当時、新宿にありましたレストラン「赤レンガ」にコックとして雇ってもらいました。

 

この赤レンガこそ、僕の運命の分岐点の場所です。

 

200人位入れる大きなレストランで、一番目立つ所にステージがありました。そこには綺麗なヤマハのピアノが置いてあり、毎日プロのミュージシャンの方が来られて演奏していました。

 

そんな所で年に2回、僕の師匠であります瀧川鯉昇が落語会をやっていたのです。

 

初めて落語に触れた僕は師匠の芸に惚れ込み、師匠が落語を終えた打ち上げ場所で「弟子にして下さい!」と頼み込みました。

 

師匠が「寄席を知っているか?」と言ったので僕は「知らないです」と言葉を返すと、「都内に寄席と言う所がある。寄席を見てこい、そこが仕事場になるから」と言われ、それから半年間、時間がある時は毎日、新宿末廣亭に通いました。

 

半年後、師匠が赤レンガの落語会に来た時に、「寄席を見てきました」と伝えると「あそこが仕事場で良いのか?」と言われました。

 

僕は二つ返事で「はい」と言うと、師匠は「明日からうちに来なさい」と落語界の扉を開いてくださいました。

 

こんな僕を落語界に入れてくれた、恩師・瀧川鯉昇に感謝してやみません。

PROFILE

瀧川鯉斗
落語家

落語芸術協会所属。1984年名古屋生まれ。高校時代からバイクに傾倒し、17歳で地元の暴走族の総長に。2002年に上京。新宿の飲食店でアルバイトをしている時、師匠・瀧川鯉昇の独演会を観たことをきっかけに弟子入り。05年に前座、09年に二ツ目に昇進し、2019年5月、真打に。