そろわない音たちの塊。しょうぶ学園の音楽に圧倒される。
実はひとつ楽しみにしていることがあった。春先に鹿児島へ行った時、坂口さんに連れて行ってもらった「しょうぶ学園」(※5)。知的障がいを持つ方々の圧倒的な創作パワーにすっかり取り憑かれてしまっていた。そんな折、しょうぶ学園の日々を追ったドキュメンタリー映画「幸福は日々の中に。」の存在を知る。
そんなしょうぶ学園のバンド「orabu&otto」がジャンボリーに出演しているのだ。7年前、自身の故郷である鹿児島で何かしたいと奔走していた坂口さんの、まだ曖昧だったイメージを確固たるものにしたのが「orabu&otto」の存在だったという。そしてこの7年間、唯一レギュラーとして出演しているバンド。野外ステージの前が徐々にお客さんで埋まり熱気を帯びてくる。しょうぶ学園の施設長でありバンドの指揮者である福森伸さんが僕らに話しかけ、声出しの練習。何が起こるのか。そうして「orabu&otto」のライブが始まった。
そこから先はもう夢中だった。鳥肌が止まらず、涙がこみ上げそうになりながら一秒たりともステージから目が離せず、気がつけば大声をあげて踊っていた。
ドラムやジャンベ、ガムランのビート、アコーディオンにピアニカ、木琴が繰り返すフレーズのループ。顔をペイントしたorabu隊の叫び。譜面はない。音やリズムのズレがこの無限ループにさらに奥行きを与えている。僕らが生きてる世界の制約という名のリミットや常識ってナンダ? こんなにも自由に人間は音を鳴らせるもんなのか? 遠い遠い遠い昔の、自分たちの祖先がそうしていたかのように、体の中の原始的ななにかがグラグラと揺さぶられて止まらなかった。鹿児島にこんなすごい人たちがいたのだ。すごい人たちがいたのだ。
フレンドシップが実現させたUAの歌声。ジャンボリーのフィナーレ。
あたりはすっかり夜に包まれ、UAがステージに立つ。坂口さんとのフレンドシップが、彼女を森の奥に呼び寄せた。これで今年のライブは最後なのだそうだ。ジャンボリーのシンボル、大きなクスの木を見つめながらUAはうたう。ゆれながら歌う。
ライブの最後、坂口さんもトランペットでステージに立ちUAとセッション。鳴り止まない拍手の中、グッドイネイバーズジャンボリーはフィナーレを迎えた。
「グッドネイバーズ」の意味。フェスでなく「ジャンボリー」であること。
「メシが作れるヒトはメシをつくる、絵が描けるヒトは看板の絵を描いたり教えたりする。その中に音楽ができるヒトがいたりする。 “みんなの得意を1品持ち寄る”ようなフラットな祭り。それがコミュニティのお祭りだし、それを目指してるんだよね」。7年前、坂口さんは10ケ月もの間、東京と鹿児島を往復しながらさまざまな人に会いに行き、こう話して回ったのだという。
ゴハンも、クラフトも、デザインも、文学も、映画も、音楽も。ここはすべてがイーブンだった。それぞれができることを持ち寄って、ヒトがヒトを介して笑顔が生まれる場所だった。それは出る側も、お客さん側も。大人も子供も。まぎれもなく、「グッドネイバーズ(よき隣人たち)」が全国から集まる場所だった。イーブンだからこそ、“お目当て”が存在しない、そこで起こる“コト”すべてがお目当てになる、「ジャンボリー(お祭り)」だった。
JOIN US AGAIN! 来年もまた、森の学校で会いましょう。
会場の出口に掲げられたメッセージを目で追いながら、僕らは森の学校を後にした。
「ジャンボリーは行かないの?」
東京で、今度は僕らが聞く番だ。もし「行ったことないなあ」って返事が返ってきたら、少しだけ得意げにこう言うんだ。
「ジャンボリーはさ、とにかく行ってみなくっちゃ」