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FEATURE
あれから11年。BEAUTIFUL LOSERSがいまに残すもの。
SPECIAL INTERVIEW FOR AARON ROSE

あれから11年。BEAUTIFUL LOSERSがいまに残すもの。

「全てはここから始まった」。これは、当時ニューヨークのロウワーイーストサイドにあった「アレッジドギャラリー(Alleged Gallery)」に所属していたアーティストの一人でもあるバリー・マッギーが語った言葉。名もなきアーティストたちの表現の場であったその場所は1992年に開かれ、2001年に突如閉鎖。しかし後に奇跡のムーブメントと呼ばれた「ビューティフル・ルーザーズ(BEAUTIFUL LOSERS)」という巡回展へと発展した。その後も書籍や映像作品、回顧展として後世に紡がれていった軌跡は、今なお世界各地で確かに残されている。あれから11年が経ち、今だに言語化ができぬまま神格化されていく「ビューティフル・ルーザーズ」という現象。「ビューティフル・ルーザーズ」とは一体何だったのか。その首謀者であり、稀代のキュレーターであるアーロン・ローズの言葉から改めて解き明かしたい。

  • Photo_Shin Hamada
  • Interview & Text_Yuho Nomura
  • Translate_Saya Nomura
  • Edit_Yosuke Ishii

アートは格式が高くて、教養のある者だけのもの。そんな常識が根強かった時代だからこそ、ぼくらはぼくらの友達とやることが重要だった。

ーまずはじめにアーロン自身が辿ってきたキャリアを振り返っていきたいんだけど、アートに興味を持ったきっかけから教えてもらえるかな?

– First of all, please tell us about your career also the reason why you’re interested in Art.

正確にはなにがアートへの目覚めだったかは定かではないんだけど、4歳か5歳の頃に家にあったレゴで街を作ったり、メモ帳に落書きを描いていたらしいんだ。その年頃の子供なら決して特別なことではなく、誰もがやるようなことだよね。それがきっとぼくにとってはじめてのアートとの出会いだったんだと思う。それから両親に何度かギャラリーや美術館に連れて行ってもらった記憶はあるんだけど、退屈だったのかアートとしての視点は特に持っていなかったように思う。それから程なくしてスケートボードを始めるようになった。場所は映画『キッズ』の舞台にもなっているワシントン・スクエア・パーク。そこでの出会いが大きかったね。

I don’t actually remember but I started drawing and making art like Lego when I was like 4 or 5 years old. It’s a normal thing for everybody in childhood. But maybe that was the first time art impacted my life. My parents took me to Galleries and Museums a few times but I don’t really think about art at that time. Then I started skateboarding right after at the skateboarding park called Washington Square Park where KIDS was filmed. That is a big thing for me.

ーその場所には当時どんな人たちが集まっていたの?

– Who were hanging out at the Washington square park?

映画『キッズ』の面々はもちろん、「アレッジドギャラリー」で関わってくれたアーティストたち。その頃のスケーターのコミュニティってとにかく小さくて閉鎖的だった。そこに行けば誰かしら仲間がいたし、知らない人でも誰かの友達ならすぐに仲良くなれた。いまでは考えられない特別な雰囲気のある場所だったんだ。そしてある時、ぼく自身もスケートボードをしながら、仲間たちの日常的な姿をどこか俯瞰して眺めている自分に気がついたんだ。

People from KIDS for sure, also artists involved in Alleged Gallery. The skateboard community was so small and closed at that time. So if you go there you know somebody so everybody became friends so quickly that it used to be. I got a wider perspective.

ーその時に「アレッジドギャラリー」をはじめようと思ったの?

– So that made you open Alleged gallery?

当時のぼくらにとっては、アートよりも音楽が重要なカルチャーだった。みんながその音楽を存分に楽しめる場所を探していたから、その当時はいまほど時価が高騰していないロウワーイーストサイドで、小さな空き家を借りたんだ。「マックス フィッシュ」っていうバーが隣にあって、ストリートに根付いた人たちが大勢集まってくるエリアだったんだ。そこで最初は2人のDJとぼくが住みながら、身内だけの音楽イベントをやっているような感じだね。その時はまだ「アレッジドギャラリー」って名前もなかったよ。そして気がついたら、いつもの仲間だけじゃなく自然といろんな人が集まるようになり、何人かの友達が無断で壁にグラフティを描いたり、自分たちの作品を飾るようになった。すると不思議なことにそういったアートに対して、欲しいという人や、もっと見たいという人が沢山現れたんだ。はじめは「嘘だろ?」って思ったよ。だってその作品とかを描いていたのはアートがなんなのか理解もしていない無名な素人ばかりだったんだから。

The music scene was more important than Art for us at that time. We all were looking for a place where we could enjoy music so we rented a small house in the Lower east side since it was much cheaper than now. The bar called Max Fish was next to our house. That was the area where all the people from street scene gathered. My two friends who both are DJs and I were living there and just having little music events. It wasn’t even called Alleged galley at that time. Loads of people started hanging out at the house and they started drawing graffiti and putting up their art. People started saying that they wanted to see more art. I was like “Why?”. It was made by unknown artists who don’t even understand what art is.

ー当初はギャラリーを目的としていなかったからこそ、「アレジッドギャラリー」=(ギャラリーのような場所)と名付けたんだね。そしてその場所に今となっては世界的名声を得たアーティストたちが沢山集うようになったと。

– You named it Alleged gallery. And so many artists became big now from there.

結果的にね。当初はみんなただの仲間だったんだ。ぼくがニューヨークに来る前のロサンゼルス時代に出会ったスケーターたちも沢山いたよ。アートは格式が高くて、教養のある者だけのもの。そんな常識が根強かった時代だからこそ、異を唱えるようにぼくらはぼくらの友達とやることが重要だったんだ。それに当時の仲間たちはみんな創作や表現に対するエネルギーに溢れていたからね。

A result, yes. But we were just friends back then. Also there were some skaters who I met in LA before I came to NY. Back then people thought that art was for high class people who are educated well. That’s what everyone thought, so it was really important to do it with my friends. And everyone was so passionate making art and showing their expressions.

ーその当時のニューヨークのストリートアートやスケートシーン、若者たちのカルチャーはどんな空気感だったの? いまの時代とは異なる混沌とした時代だったように思うけど。

– How do you explain the vibe in the youth street/skateboarding scene at that time compared to now?

まずいまでいうストリートアートなんて言葉のない時代だった。そして当時はスケートボードやグラフティが完全に違法な遊びだったからこそ、貧しい環境で育った若者やいじめられていた子達のためのコミュニティという側面もあったんだ。同時に音楽もヒップホップが全盛だったから、そうした結びつきが自然と彼らの表現欲を掻き立て、己の力で現状を変えたいという反骨心を持たせ、そうした背景を持つカルチャー同士が引き寄せられるように密接になっていったように思う。確かに混沌とした時代だったね。だからこそ、その特殊な時代性とぼくが主宰した「アレッジドギャラリー」が偶発的な化学変化を起こせたんだと思う。でもそのきっかけを与えてくれたのは、日本の感度の高い人々がぼくの周りにいたアーティストやスケーターたちをフックアップしてくれたおかげだと思っている。ぼくらはそのとき初めて自分たちの価値に気付けたんだから。

First, During that time there wasn’t such a thing as Street Art. Skateboarding and graffiti were completely illegal so it was kind of like a community for people who got bullied or street kids. Music especially Hiphop was getting so big and it made everyone express themselves more and to feel that they want to change the situation. That’s why Alleged gallery got such a great reaction. People with some good taste in Japan were hooking us up and made us realize our true values.

沢山の仲間であるアーティストが成功への階段を登って行った。その姿を眺めながら、嬉しくも少しだけさみしい気持ちになった。

ー当時「アレッジドギャラリー」では主にどんな展示をしていたの?

– What was the main exhibition at the gallery?

はじめの頃は、三ヶ月に一度のペースで展示を行い、その後は一ヶ月に一度のペースでやっていたね。とにかくそこで展示をしたいっていう仲間がいたら、機会を設けて作品を飾り、あとは仲間を呼んでみんなでパーティをしていた。それまでのぼくらにとってそうしたアートを表現できる場所がなかったからとても新鮮だったんだ。

We did an exhibition every 3 months at the beginning and then once a month after that. If there were any friends who wanted hold an exhibition, I’d let them. And we kept partying there. There wasn’t anywhere better for us.

ーその後2001年には惜しまれながら「アレッジドギャラリー」は閉館。その理由はなんだったのかな?

– Sadly the Gallery was closed in 2001. What was the main reason?

「アレッジドギャラリー」をオープンした最初の場所が家賃400ドルだったんだけど、次に移転した場所は前の3倍の家賃だった。ニューヨークのエリア全体による家賃の高騰が大きな理由かな。あとは「アレッジドギャラリー」があった時期、本当に沢山の仲間であるアーティストが成功への階段を登って行った。その姿を眺めながら、嬉しくも少しだけさみしい気持ちになったんだ。ぼくの役目は終わったんだなと。もちろん有名になっていくみんなとずっと定期的に新しいことをすることもできたけど、きっとそれまでの取り組みほど情熱的にはなれない気がした。そう思ったらいまが閉めどきなんだ、と悟ったんだ。

The rent was only $400 at the beginning, but it kept getting more expensive. It was triple the price by the time we moved. Another reason was that everyone was getting big and they sort of evolved into bigger stages. It was bittersweet seeing them leave the gallery but also getting successful. I could keep doing new things with them but I thought that it was time to close. I felt that I wasn’t as passionate like I was before.

ーなるほどね。ビジネスとしてのアートに対する啓蒙活動が、その時は否定的な考えだったってことかな?

– I see. You didn’t completely agree with art getting into business at that time.

それもあって、しばらくは失意の中にあった。でもすぐに次の創作へ意欲的になれたんだ。それは広告業界の異端児であった「ワイデン アンド ケネディ」から〈ナイキ〉などの広告案件でデザインの依頼やエキシビジョンのキュレーションなどあらゆるディレクションを任されるようになった。それから少しづつエンターテイメントの分野やコマーシャルフィルムの制作も行うようになったんだ。同時にZINEや写真集、雑誌の編集もこの頃から始めるようになった。「アレッジドギャラリー」で繋がった仲間たちやその場所が持つ大きな影響力のおかげで、一気にクリエイションの幅が広がったんだよ。

Yes. But I got motivated again when i started working with likes of NIKE or Wieden+Kennedy. I worked as a designer, curator, director and made a lot of kinds of ads. Around 2005 I started making zines and books. It was all because of the gallery.

ーそして2008年にはビューティフル・ルーザーズの展覧会が開催された。「アレッジドギャラリー」にいた仲間たちにとって、またそのファンにとって待望の企画だったと思うけど、この展示を行おうと思ったきっかけはなんだったの?

– So in 2008 you had an exhibition called “Beautiful Losers”. What made you do it?

有名になっていく仲間たちと過ごした時間を、その時の空気感のまま収めておきたいって思ったんだ。誰しもが大人になると若い頃の視点を失ってしまうからね。あとはぼくらのはじまりでもある「アレッジドギャラリー」が歩んだ記録としても。そして自分自身の関心がエディトリアルや映像作品へと向いていたことで、そうした制作物として残そうとも思った。それから友人でもあるジョシュア・レナードに声をかけて、彼と二人三脚での共同制作で撮影と編集の日々が毎日のように続いた。もちろん予算もないし、スタッフもプロフェッショナルな人はほとんど皆無。完全DIYな作品だよね。ぼく自身もバイトをしながら、どれだけの時間を費やしたか分からないよ。そういえばハーモニー・コリンやソフィア・コッポラたちにも沢山助けてもらったね。

I wanted to document the situation while we were young. It wouldn’t be the same if we got older. At that time I was making films and my friend Joshua Lenard made a film with me. There wasn’t a budget. Pure DIY. Harmony Collin and Sophia Coppola helped me a lot.

ーまたこの作品を機に、「アレッジドギャラリー」やアーロン、また「ビューティフル・ルーザーズ」に関わるアーティストたちが世界的な規模で一気に知られていき、一大ムーブメントとなったように思う。当時その手ごたえや反響はどのように感じていた?

– After that came out the gallery and people got famous. How did everyone react?

2008年に開いた展覧会の時は、実は意外と大きな広がりはなかったんだ。その後に巡回展を行ったり、展覧会での作品や模様を収録した作品集を発表し、映画作品として上映した頃にようやく、少しづつ反響を感じるようになった。そして2010年に「ネットフリックス」で映画が公開されてから、一気に広まったんだ。いままでぼくは表舞台に出ることはほとんどなかったから、ぼくのことを知っているのは基本的に友人やごく一部の人たちだったんだけど、それ以来ニューヨークやそれ以外の街中でも声をかけられ、サインを求められるようになった。不思議な感覚だったよ。

2009 it wasn’t that big, but the movie got a slow reaction. It blew up on Netflix though. It was weird when people would walk up and shake my hand or try to get a picture with me.

あの頃のワシントン・スクエア・パークや「アレッジドギャラリー」にいたメンバーの方がよっぽど魅力的で、輝いてみえたんだ。

ーアーロンは、アンディ・ウォーホールやバスキア、キース・ヘリングなどのポップアートと呼ばれた、70年代から80年代に隆盛を誇った現代アートの価値観を変えた存在でもあると思っているんだけど、その当時はそうした歴史やカルチャーを変えたいと言う意識はあったの?

– You changed pop art like Andy Warhol, Basquiat, and Keith Haring. Was that your plan?

ぼく自身に関わることについてなにかを変えたいという意識を持ったことはなかったね。アートの価値を変えたいとかそんな使命感を当時は全く持っていなかった。それに先人から受けた影響というのも実はほとんどないんだ。もちろんアンディ・ウォーホールは偉大だし、彼は普遍的なアート界のレジェンド。そしてキース・ヘリングは共通の知人だったジェレミー・ヘンダーソンを介して知り合った友人の一人でもあったし、バスキアも彼に紹介してもらって、よく遊びにいく場所やパーティで一緒になっていたね。ジェレミー・ヘンダーソンは様々なジャンルのクリエイターと繋がっていて、彼の家がみんなの溜まり場になっていた。ただそうしたアート界のスーパースターはストリートアートの意義を変えた存在で、当然リスペクトもあるけど、一緒になにかやるというのは少し違うかなって思っていた。それ以上にぼくからしたら、あの頃のワシントン・スクエア・パークや「アレッジドギャラリー」にいたメンバーの方がよっぽど魅力的で、輝いてみえたんだ。

I didn’t really think about it. Andy is a legend and Keith was Jeremy’s friend. He introduced us and we got together at parties. Jeremy’s place is where we all hung out. I respect them a lot but I wanted to go solo. I preferred my friends from the skate park or the gallery.

ーその想いこそが「アレッジドギャラリー」の魅力であり、周りにいたアーティストがアーロンを信頼できた理由なのかもね。そしてアーロン自身が名も無いアーティストをサポートし続けるその姿勢は、アートシーンにおいて最も大切なアーティストファーストなマインドだよね。

– Is that why you support the art scene and young artists?

ぼくがアーティストに対して求めている最も大切なことは、無名な若き才能というよりもその人にしかできないオリジナリティがあるかどうか。なにかにインスパイアされたものっていうのはあまり好きじゃないんだ。あとはネームバリューや周りの評価に左右されないことも重要だね。

It’s not because they’re young. I just support originality not rip-offs. And I think it’s important to not care about how your judged or what others say.

ほかにもアーロンがキュレーターを続けていく中で大切にしている精神や姿勢、また格言のような言葉はありますか?

– Is there any spirit or thoughts that you can share as a curator?

”FOREVER NOT PROFFESIONAL”という言葉。初心を大切にしてフレッシュなマインドであり続けること。その時のモチベーションがアートの世界では最も大切な要素のひとつなんだ。医者だったらプロフェッショナルであるべきだけど、アーティストは必ずしもプロフェッショナルでいる必要がないからね(笑)

Forever not professional. Keep your mind fresh. Doctors have to be profession, not artists.

ーアーロン自身はアーティストになりたいと思ったことはなかったの?

– Why didn’t you want to be an artist instead of a curator?

幼い頃に絵を描いていたことがぼくにとってのアートの原体験だと話したけど、ぼく自身はペイントをしたり、グラフィックをデザインすることは好きなんだ。だから今回のエキシビジョンでも自分の作品を展示しているし、絶えず創作活動はしているよ。今度イタリアで単独の個展もする予定なんだ。今回とはまた違ったぼくのマインドが見れると思う。

I’ve been painting since childhood so I like it. I have this exhibition going on now but my next one is in Italy.

ーそれは楽しみだ。ちなみにこれまで出会ったアーティストの中で最も印象的なアーティストをひとりあげるとすると誰だろう?

– Wow! Interesting. Who is the most impressive artist for you?

誰かひとりを選べと言われたら、マーガレット・キルガレンかな。当時はいまほどLGBTQなどの社会問題への関心が高くなかったアメリカ内で、彼女はマイノリティーだった女性グラフティーアーティストとして活動していた。彼女は女性だからという点で話題になったわけではなく、誰よりも繊細な感性とオリジナリティがあった。そんな彼女のクリエイションに沢山のインスパイアをもらった。「アレッジドギャラリー」が閉鎖する年に病気で亡くなってしまったんだけど、いまでもなにか悩んだり、壁にぶつかったりした時には空を見上げて彼女の顔や言葉を思い出すんだ。

Margaret Kilgallen. There wasn’t LGBTQ at that time. She was a minority who was the only female graffiti artist. She is so good at art because of her sensitive skills. She inspired me a lot. Unfortunately she died when the gallery was closed. Every time I have a problem I look at the sky to remember her face and words.

ーアーロンの周りにはアーティストやスケーター以外にも沢山のクリエイターがいるけど、そこからインスパイアを受けることもあるの?

– There are so many creators and skaters around you. Did you get inspired by them too?

もちろんだよ。アートや音楽、ファッション、スケートボードなどのカルチャーは互いに密接に関わり合い、尊重しあえるものだ。そしてそのたどり着く先に総合芸術と称される映画がある。すべてはつながっている。そしてそのつながりを形成する沢山の要素をぼくは友人たちから得られている。それが財産なんだ。

Of course. Art, music, fashion, skateboard. Those cultures are so close so we respect each other. Movies are the best level of art. It’s all connected. I really appreciate my friends.

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