PROFILE
1970年北海道生まれ。93年にベルギーの名門「R&S Records」からデビューし、イギリスの音楽誌『NME』ではテクノチャートで1位を獲得。96年には、映画「AKIRA」の作画監督である森本晃司氏が監督したシングル作品「EXTRA」のMVがイギリスの“MTV DANCE VIDEO OF THE YEAR”を受賞。その後も世界的な活躍を見せ、“テクノゴッド”とまで称される。2019年11月に13年ぶりとなるフルアルバム「Mobius Strip」をリリースする。
PROFILE
1972年長崎県生まれ。94年、多摩美術大学在学中に独学で靴作りをスタート。その後、オリジナルブランド〈アーキドゥーム(archidoom)〉を立ち上げる。97年にブランド名を〈ミハラヤスヒロ(MIHARAYASUHIRO)〉に変更。2000年春夏シーズンよりメンズ、ウィメンズ共にコレクションを展開し、国内外で発表。2020年春夏シーズン、「JUSTIFIED ERROR」というテーマのもと、アンダーグラウンドやマイナーなカルチャーへのリスペクトを込めたコレクションを発表する。
90年代のテクノシーンが恋しくなった。
ー おふたりが旧知の仲だと聞いたときは正直驚きました。いつ頃知り合われたんですか?
KEN ISHII:それこそお互いまだ20代前半だったよね?
三原:もう本当に若い頃だよね。ぼくは最近のテクノ事情とかわからないから、そのあたりをケンケンに聞きたくて。あっ、ぼくはケンケンって呼んでるんですよ。
KEN ISHII:そう呼んでくれるの三原くんだけなんだけどね(笑)。でも、今日はそういう話じゃないでしょ?
三原:いや、ぼくはそれが聞きたいの。
ー 〈メゾン ミハラヤスヒロ〉の2020年春夏が「JUSTIFIED ERROR」というテーマということで、90年代当時のテクノがインスピレーションの要素になったそうですね。
三原:いまはAIとかテクノロジーがすごく進歩してるでしょう。でも、それと同じように人間は進化しているのか? と問われると、そうじゃないと思うんだよね。ケンケンが表舞台に出てきた90年代って、試行錯誤しながら人が手を動かしてなにかをつくっていた時代で、次にどんな音楽が生まれるかまったくわからなかった。なんかそういう時代の空気がすごく恋しくなったんだよね。
たとえばケンケンがいちばん最初に出した『Garden Onn The Palm(R&S Records / 1993)』ってさ、インテリジェント・テクノって呼ばれ方をして、そこからリスニング系とかチルアウト系とか、派生した音楽が次々と生まれていったんだよね。
そこから数年すると、どんどんダンスミュージックに特化して踊らせる曲になっていって。そのときにケンケンは「クラブで数百人を踊らすことはできるけど、フェスとかの大きなステージで万単位の人を踊らせる曲は限られる」みたいな話をしていて、「さすが、テクノゴッド!」って思ったんだよ。
一同:笑
三原:当時からいろんなダンスミュージックを追求していて、もうマニアの世界でさ。モジュールシンセをいじりながら自分だけの音色をつくったりしてて、いわゆる職人作業。ドラムセットの音もケンケンは異質だったもん。そういう音作りからオリジナル性があったんだよ。いまになってそういう時代の感覚がすごく気になっててさ。
ー なるほど。
三原:いまはAIが人間の仕事を取って代わったり、一方では人間の起こすトラブルがシステムのバグみたいに扱われる時代になってきて、そこで当時のテクノを思い出したんだよね。これからくる未来において、90年代の輪郭がはっきりしなかった音楽シーンが重要な気がするなぁって。
KEN ISHII:言ってることはすごくわかるよ。
三原:ローランドの「TB-303」っていう機材が当時あってさ、それのつまみが不安定だったから、いわゆるアシッドサウンドが生まれたって言われるじゃん? そういうバグがすごい人間っぽいなって思ったの。
KEN ISHII:そうだね。あれは本来ベースラインを弾くために発売されたものなんだけど、こんなの使えないよって最初は見向きもされなかった。だけどシカゴのDJとか不良たちが変な音が出るって発見して、それをハウスに乗せたらかっこいいみたいな感じでどんどん広がっていったんだよね。そういうことが音楽の世界ではたくさん起こってたよね。