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FEATURE
バリー・マッギーと野村訓市の四方山話。
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バリー・マッギーと野村訓市の四方山話。

ストリートとアートの間をユラユラとたゆたう世界的アーティスト、バリー・マッギーの、東京のギャラリーでは初となる個展「ポテト・サック・ボディ」が東京・六本木の「ペロタン東京」で開催中です。それに合わせて、「ビームス 原宿」にて、コラボレートプロジェクトが展開されています。過去に描き溜めたドローイングや過去の展覧会で使用したポスターなどのアーカイブが展示されるほか、ZINE、そしてコラボレーションアイテムが販売されるというもの。というわけで、「ビームス」セッティングのもとで実施された今回の取材。お話のお相手は旧友の野村訓市さん。二人のなんでもない日常の会話から、バリー・マッギーの思想、哲学などがありありと浮かび上がってきました。

  • Photo_Masayuki Nakaya
  • Text_Mayumi Yamase
  • Edit_Ryo Komuta

PROFILE

バリー・マッギー

1966年生まれ、カリフォルニア州サンフランシスコ出身。サンフランシスコ・アート・インスティテュート(San Francisco Art Institute)で絵画・版画の学士号を取得し、世界中の美術館などで個展を開催している。フォンダツィオーネ・プラダ(Fondazione Prada)やニューヨーク近代美術館(MoMA)といった美術館では、パブリックコレクションに収蔵されている。

PROFILE

野村訓市

1973年生まれ、東京都出身。1999年に辻堂海岸で海の家「sputnik」をプロデュース。2004年には、友人と店舗設計などを手がける「tripster」を設立。現在は雑誌の原稿執筆から店舗などの設計、企業のブランディング、ラジオパーソナリティまで多彩な仕事を手がける。

野村:バリーに聞いてもわからないと思うって言われたけど、今回の展示はどういったきっかけで始まったの?

バリー:今回の?

野村:そう、どのくらい前から準備を始めたの?

バリー:数ヶ月前からかな。

野村:え、本当に?

バリー:うん、わりと早いピッチで作ったよ。え、(訓市さんの着てるバンド「DISCHARGE」のTシャツを見て)これってオリジナルのTシャツ?

野村:そうだよ。

バリー:前に観に行ったことあるんだよね。ちょうど彼らがメタル音楽に移行したときで、お客さんの態度がすごく悪くてあんまり良くなかったんだ。クン、ちょっと隣に座ってしゃべらない?

野村:いいよ(笑)。ところで娘さんは元気にしてる?

バリー:うん、元気だよ。今はもう大学生。サンタバーバラの大学に通ってるよ。

野村:そっか、じゃあサンフランシスコからもそんなに遠くないからいいね。自分の娘が大学に行くなんて想像もつかないよ。

バリー:今、何歳だっけ?

野村:10歳と9歳。女の子を都会で育てるのが怖いよね。ルリのやってる「ブレックファーストクラブ(Breakfast club )」でだけバイトを許そうかなって思ってるよ。彼女もたまに怖いけどね(笑)。

バリー:最近60歳の誕生日をアメリカで祝ってたよね?

野村:こっちでは俺がパーティを開いたんだよ。でも最初は「パーティしたくないからアメリカに行く」って言っていたんだけど、誕生日の5日前になって急に「小さいのだったらやろうかな」って(笑)。

バリー:60歳、還暦の小さな誕生日パーティ(笑)。

野村:でも、そんな風になるわけなくて、結局ダンスパーティをクラブでやったんだよ。

バリー:どのくらい人が集まったの?

野村:小さい場所で100人くらいかな。ルリは一晩中踊ってたよ。それからアメリカ横断をしに行ったみたいだね。

バリー:LAではアレクシスの家に長い間泊まっていたみたい。クリスマスもそこで過ごしたって聞いたよ。

野村:うん、すごく仲いいよね。紹介したときから仲良くなるなって思ってたけど。すごい良いやつだしね。

バリー:そうだね。彼はLAのグラフィティ界ではかなり有名なブルークルー(B.C)っていうグラフィティチームに所属してたんだよ。80年代は結構シリアスに活動してて、難しいスポットにもどんどん描いていってたし、ハンドスタイルもすっごくかっこよかった。

野村:彼のタグネーム、ドゥームは日本人だった同級生から取ってるって聞いたよ。

バリー:そうなんだ。それは知らなかった(笑)。

野村:80年代にB.Cに会ったの?

バリー:そうだよ、彼らがサンフランシスコに来たときに。タグは描きまくるしクレイジーだったよ。

野村:でもLAとサンフランシスコのクルーってあんまり仲が良いわけじゃないよね?

バリー:うん、全然仲良くない。僕もLAに行って描いたりすると、必ずと言って良いほど何かトラブルが起こってたから。まぁ昔の話だけどね。

野村:向こうの80年代はどんな感じだったの? 楽しかった?

バリー:ここ(日本)と同じくらい楽しかったと思うよ。80年代の日本も楽しかったでしょ?

野村:バブル期だったから、どこにでもお金があって確かにそういった意味では楽しい時期だったのかもしれない。カルチャー的にも他の国にやっと追いつくことができたし。その前は行きたくても高くて行けなかったからね。だから当時は海外に行った誰かから情報を得たりしていたんだよ。雑誌で言うと『THRASHER』が3ヶ月に1回くらい手に入ったから、同じ号をずーっと読んで勉強してた。でも、英語も読めないから名前とかを見てただ推測するんだ。“STUSSY”の広告とかが出てても発音の仕方がわからない。だから海外に行く友人に「スタッシー買ってきて!」って頼んだりしてたんだよ。

バリー:(笑)

野村:バリーはいつ初めて日本に来たんだっけ? 2000年?

バリー:いや、もう少し前だね。たしか、1997年だった気がするな。そのときにも僕たち会ってるよね?

野村:会ってると思う、『SUPER X MEDIA』の頃だよね、来たのは?

バリー:当時は『DUNE』のチャーリー(故・林文浩氏)も元気だったね。覚えてる?

野村:もちろん。今は彼の奥さんが『i-D Japan』の編集長をしているんだよ。

バリー:僕の大好きなあの『i-D』? 80年代すごく好きだったんだよ。

野村:今は『VICE』が買収して少し変わったけど、今もいい雑誌だよ。会いに行ったら? 彼女も2人娘がいるよ。ところで、そもそも最初に日本に来たきっかけはなんだったの?

バリー:タクジ(桝田琢治、ロングボードの日本チャンピオン)がステシック(クレイグ・ステシック。元ドッグタウンにしてパウエルのロゴなどをデザインしたスケートやストリートアート界の裏ボス)がやっていた雑誌『SUPER X MEDIA』のために日本に連れてきてくれたんだよ。どうやって出会ったか覚えてないな。確か、ワタリウム美術館にいたときに会ったのかな? はっきり思い出せないよ。でも彼はすべてが早かったよね。

野村:そうだね。その後に「untitled」で2000年に戻ってきたんだ?

バリー:そうだね。めちゃくちゃ時代の先をいってた。その後に「untitled」で2000年に戻ってきたんだ?

野村:あれは僕らや、若いキッズにとってすごい夢のような企画だったんだよ。君もいて、ゴンズ(マーク・ゴンザレス)もいて、すごいアーティストたちがたくさん集結していた。実際にそんな機会、当時の日本ではあまりなかったし、たくさんの人があのときに君のようなアーティストに会えて感化されたと思うよ。

バリー:そうかな?

野村:アーティストたちにとってはいろいろ問題があったというのは聞いてるけど、うん、そう思うよ。

バリー:本当に? わからないんだよね。時間が経つのがすごく早いから、本当に一瞬のように思っっちゃうんだ。

野村:いや、すごく重要だったと思うよ。特にサンフランシスコからたくさんアーティストが来ていたしね。それまでは、雑誌で作品を見てても実際にどんな人が作ってるのかっていうのはわからなかったから。「まだバリーと連絡とってるんですか? 僕『Untitled』で会ったんです!」って言われたこともあるし、実際に彼らにとってはすごくいい思い出のようになってるんだ。

バリー:日本のひとだけだよ、そこまで思ってくれてるのは。

野村:さっきも言ったけど、日本では情報が限られたりしていたから、実際に会うことで “サンフランシスコのミッション”の本当の意味が理解できたと思うんだよ。

バリー:ははは。

野村:いまだに、若い子に「なんであんなにミッション出身のアーティストが多いんですか?」って聞かれたりするもんね。でも、それは彼らが90年代のミッションがどんなだったかっていうのを知らないからなんだよね。

バリー:今もまだシーンは健在だよ。むしろ90年代よりももっと大きく、激しくなってきてると思う。

野村:それっていつ始まったの? バリーもクルーは違うけどミッションを作ったアーティストの一人じゃん。

バリー:昔からずっとある地区だからね、いろんな人たちがいる。そして過去のことよりも今の方が楽しいし、本当に今のシーンの方が盛り上がっているんだよ。テック系の人たちがサンフランシスコに移ってきたことで、もっとシーンが激しくなっていて、ガレージで変なもの作ってるキッズたちもたくさんいるし、相変わらずタグを描きに行って、スケートしてアートを作ってる。それに変わらず汚いよ(笑)。

野村:そういったキッズたちはミッションの近くに住んでいるの?

バリー:うん、もちろん! たまにミッション付近の郊外から来てる子もいて、親の家のガレージとかで展示とかをやってる子もいるけどね。でも、言ってることわかるでしょ? 時代が変わってもそこには必ずこういうキッズたちがいるんだ。

野村:そんな子たちと遊んだりしてるの?

バリー:うん、もちろん。彼らのエナジーがいいんだ。そう思わない?

野村:そうだね。それに若い子と遊ぶのは楽しいからね。

バリー:ひょっとしたら、僕たちはキッズと遊ぶのにはもう歳とり過ぎちゃってるかもしれないけど。どう思う?

野村:近づいてはいるけど、まだ大丈夫だと思ってるよ。

バリー:クンは何歳?

野村:47歳。

バリー:まだ若いね。この間若い子たちとテキストをしていてアートの話になったときに、このグループにいるのには歳をとり過ぎてるって思ったんだ。それをテキストしたらその一人から「僕はここにいるには若すぎる」って返ってきたんだ(笑)。

野村:でも、バリーは会ったときから全然変わってないけどね。

バリー:見えないところが死んでるんだよ(笑)。

野村:(笑)。でもまだサーフィンとか、自転車は乗ったりしてるの?

バリー:うん。でも、クンもまだやってるだろ?

野村:今はそれよりもお酒を飲むことの方が多いね。

バリー:パパ、ちょっとスローダウンしなきゃ(笑)。あるときを超えると、変化があるからね。

野村:それはいつだったの?

バリー:21歳のときかな(笑)。友達が亡くなったりし始めてね。でも、人生自分の身体を傷つけて生きるよりも、大切にして生きた方が楽しいって思わない?

野村:そうだね。

バリー:だんだん、その良さがわかるようになってきたんだ。

野村:じゃあ、今は身体に気を使ってるの?

バリー:そんなこともないんだけどね(笑)。

野村:(笑)

バリー:このインタビューの後みんなで献血でも行く? 注射器怖いけど。

野村:注射器?

バリー:うん、見た瞬間に気を失っちゃうくらいフラフラしちゃうんだ。

野村:(笑)。じゃあちょっと、展示の話に戻るんだけどさ、もう一度聞かせてもらえる?

バリー:数ヶ月前は香港にいたんだ。そこで持ってる全てを香港に捧げたんだけど、そしたら、ちょうどそのとき日本での展示も決まったんだ。でも、そのおかげで娘に全然会えてなくて。娘の通ってる大学の近くにサーフスポットがあるから、ついでに学校に遊びに行ってみたんだけどそっけなくて、ここはもう彼女の場所で、もう自分があまり必要とされてないことに気がついたんだ。大人になっていくというか、最近はそれぞれの道を歩んでいるのを特に感じてるんだ。

野村:大学は新しい環境だしね。バリーはそれをどう受け止めてるの?

バリー:はっきり言ってわからない(笑)。クンはどう?

野村:難しいよね。でもだんだん娘が育っていくのを見て、そういうときがくるのはすぐなのかなっていうのは感じてきてる。

バリー:まだ手は繋ぐ? 

野村:俺には繋いできてくれるんだけど、うちの妻には手をつながなくなってそれを妻はすごく悲しんでた。自分が平日にあまり家にいなくて週末のお父さんって感じだからだと思うんだけどね。

バリー:楽しいお父さん役なんだね。

野村:そうだね、でも日常のことは妻がすべてやってるからね。

バリー:たまには交代したらいいじゃん。

野村:たまにするよ。それに、最近はとくに成長の早さを実感してるからもっと彼女たちと時間を作れるようにしたいって思ってる。成長していくのを見逃したくないし、どんどん彼女たち自身の世界もできてきてるから。

バリー:友達とかね。

野村:そうだね。でもさ誰かに「ジミー・ヘンドリックスでも誰にでも会えるとしたら、誰に一番会いたいですか?」って質問されたら「自分の娘が4,5歳のとき」って答えると思うんだ。

バリー:それはいいね。小さい頃は最高だからね。。

INFORMATION

Barry McGee Pop-Up Store

期間:2020年2月1日(土)~ 2月16日(日)
会場:ビームス 原宿
住所:東京都渋谷区神宮前3-24-7 1F・2F
電話:03-3470-3947
営業時間:11:00~20:00

Potato Sack Body

期間:2020年2月7日(金)~ 3月28日(土)
会場:六本木 ペロタン東京
住所:東京都港区六本木6-6-9 ピラミデビル 1F
電話:03-6721-0687
営業時間:11:00~19:00
休廊日:日、月曜

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