FEATURE
孤高のクリエイター、林道雄に迫る。
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孤高のクリエイター、林道雄に迫る。

スタイリスト林道雄。キャリア10年の実力派で、名だたる媒体で独創的なスタイリングを披露しており、そのセンス、審美眼は折り紙付きの辣腕です。その林さんが、2020SSシーズンよりファッションブランドを始めました。その名も〈by H.〉。このブランド、スタイリストが始めたものといって一括りにすると大きく見誤ります。なぜなら林さんは元々服作りをしていた人なのです。これまでほとんどメディアに露出することがなく、知る人ぞ知る存在だった林さんですが、ブランドスタートをきっかけに取材に応じてくれました。〈by H.〉という新しいブランドの話はもちろん、林さんの持つ美意識などについて、いろいろな話が聞けました。

PROFILE

林 道雄

スタイリスト、〈by H.〉デザイナー。ソニア・パーク氏に師事し、2010年に独立。『ブルータス』『ゼム マガジン』『ヴォストーク』などのプリントメディアにて辣腕を奮う。2020SSシーズンより、ファッションブランド〈by H.〉をスタート。

ー こういうインタビュー、あまりやったことないと思うんですが、今日はせっかくなのでいろいろと聞かせてください。それにしてもこの家、なんかめちゃくちゃ面白いですね*。端的に言うと、和洋折衷ということなんでしょうけど。(*取材は林さんのご自宅にて行われました)

林: そうですね。典型的な和洋折衷ですね。

ー こういうセンスってどうやって身につくものなんですか? 今日は〈by H.〉の話だけじゃなくて、林さんのベースとなってる部分の話なんかも聞きたいんです。

キッチン前のテーブルが作業の定位置だそう。自作のダイニングライトが目を引く。

林: 和洋折衷の洋の部分は完全に映画ですね。小学校2年生のときに初めて映画館で映画を観たんですけど、そのあたりに観たハリウッド映画の影響が洋の部分の基準にあるような気がします。だいたい1983年~5年くらいの話です。

ー 映画はとにかく好きですよね。

林: はい。そこからずっとノージャンルで映画を観続けてきて、それで本当にここ数年なんですけど、改めて小津安二郎の良さを痛感してしまって、最悪、小津だけあればなんとかやり過ごしていけるんじゃないかなとか、、、(苦笑)。小津の話をしだすと止まらなくなるので、このへんで。。

林: ちなみに〈by H.〉のこのマークも、実は映画のアスペクト比なんです。右から「スタンダード」「ヨーロッパ ビスタ」「アメリカン ビスタ」です。

ー なるほど。映画の画角なんですね。

林: そうです。小津は基本ずっとスタンダード、ゴダールもわりとスタンダードが多かったような気がします。ビスタサイズに慣れてると、わっ!横幅が狭いっ!てなりますね。今で言うとIMAXなんかはほぼスタンダードなんですよね。残念ながら本当の意味でIMAXが鑑賞できる劇場は日本にまだありませんが。。このロゴを組むときにはまだ〈by H.〉という名前も決まってなかったんですけど、自分の好きなものをマークというかモニュメントにしたいと思っていたので、やっぱり映画かなって。かといって、そんなに映画をテーマに洋服を作ることもあまりないのですが。

トワルはもちろんのこと、その奥にある鏡「おしゃれ靴 タマヤ」に目が奪われる。

ー 確かに。ただアイテムの名前にはそれぞれ一工夫があるものもありますよね。このトワルにはよく見るとSHIRT-TMとあります。このTMがなんなのかは、もし機会があれば林さんに聞いてみてください。で、和洋折衷の話です。

林: はい。自分でもよくわからないんですけど、確かにそうなんですよね。この物件のチョイスとか、キッチンの感じもそうで。ただ、作ってる物がそこまで和に振り切れてるわけでもなくて。和のテイストが嫌いってことはないのですが、僕の場合は最終的な出口はやっぱり洋服なんです。それは多分、小学校のときの映画と、あとはやっぱり小中学校のときにパンク好きだった影響が大きいのかもしれないです。

ー というと?

林: 一番多感なときにそういった白人文化に影響を受けているので、それが今に至るまでに取れないんだと思います。というか一生消えないような気がします。例えばもし多感なときにブラックミュージックを聴いてたらこうはなってないかもしれないです。10~14歳くらいまでの間に、たまたまハリウッド映画とパンクのような白人文化に夢中になったので、それの影響があるのかなと思います。

ー それほどまでに好きな映画を、仕事にしようとは思わなかったんですね。

林: 全く思わなかったですね。映画はあくまで娯楽にしておきたかったというか。映画を仕事にしたら、映画館に行けなくなるタームとかあったりしそうで、気が気がじゃないと言うか。

ー 2番目に好きなことを仕事にしたほうがいい、なんていう言説もありますよね。

林: 映画の話ばかりで恐縮なんですが、やっぱり好きな映画は仕事にしたくはなかったのかもしれません。距離を置きたかったというか。今、服を作り始めて、次に映画も作るとなったら、もうなんか身動きとれなくなると思うんです。絶対に作りませんが(笑)。

自作のハンガー。いちいち手が込んでいる。

ー ファッションに目覚めたときはどんな格好をしていたんですか?

林: パンクですね。“THE”っていう格好してました。ラバーソール履いて、ピチピチの606穿いて、ダボダボのロンT着て、ライダースっていう。

ー なるほど。わりと直球のパンクですね。

林: そう、だからデザインしててもそういうのが出ちゃうんでしょうね。意識はしてないんですけど。やっぱり地方のパンクショップでそういう服を買ってきたわけだし、そこは抜けないですよね。

ー ちなみにいつから服作りに触れていたんですか?

林: 僕は文化服装学院を出たのが26歳のときなんです。高校を卒業してから5年間は会社勤めをしていたので。その会社はけっこう給料も良かったんですけど、やっぱりサラリーマン向いてないな、好きなことを勉強しようってことで、文化(服装学院)に入りました。

ー なるほど。サラリーマンをやってたのは知らなかったです。

林: 文化ではずっとレディースの勉強をしていました。そのとき、とにかく就職したかった某有名ブランドがあったんですけど、落ちちゃって。自分では絶対受かると思ってたんですけどね(笑)。そこから一旦レディースをやめてみようかなと思いまして、というのも結局自分では着れないし、やっぱり地に足をつけてメンズをやらないとだめかもなって思って。それで3年間の在学中の最後の半年でメンズを始めました。そこからは基本ずっとメンズですね。

ー 文化では何科だったんですか?

林: アパレルデザイン科です。

ー 今、自分でパターンも引いてますけど、文化でメンズパターンメイキングも勉強してたんですか?

林: メンズのパターンメイキングは基礎くらいしかやってなかったですね。立体裁断とか含めレディースが中心だったので。文化を卒業してからはメンズのメーカーに入りました。そこは本当に少人数やってるメーカーだったので、自分のポジション的にパターン引かないといけない状況というか、そこから本格的に始めたんです。だからメンズのパターンメイキングはほぼ独学かもしれないです。

ー 必要に迫られて、勤務中に学びながらっていう感じなんですね。

林: そうですね。でも、人間ってある意味切羽詰まった状況の方が頭の回転が良くなるというか、色んな吸収率も上がると思うんですよね。そのメーカーでは結局5年間お世話になりました。今となってはとても貴重な5年間だったのかなと思います。あの5年間が無ければ今の自分は無いと思います。。

ー けっこう長いですよね。サラリーマンも5年やってますし。

林: そう。意外とちゃんとやるんです(笑)。どんなことでもある程度の年月はやらないと見えてこないというか、鈍感なんですかね(笑)。そして、そのブランドにたまたま師匠であるソニア・パークがリースに来たんです。そして、たまたま接客したのも僕で。話してみたらとても面白い人だなって。実を言うと僕はそのときソニア・パークのことをちゃんと知らなくて。さすがに名前くらいは知ってましたけど。

ー じゃぁ〈アーツ&サイエンス〉のことも?

林: お店の名前だけはなんとなく知ってはいました。ただ、当時代官山にお店はあったんですけど行ったことはなくて。僕が働いてたところも代官山だったんですけどね(苦笑)。で、向こうは向こうでなぜか僕に興味を持ってくれて、「スタイリストになれば?」って言ってくれたんです。今となっては冗談混じりだったとは思うのですが(笑)。そこで初めてスタイリストってどんな仕事だっけ?っていう。