新しいことは遠くにあるんじゃなくて近くにある。
ー 「SKWAT」では、器の部分は中村さん担当で、中身のソフトな部分は誰が担当されてるんですか?
中村: 誰が担当というわけではなく、ソフトもハードもみんなで話し合って決めています。
濱中: 中村は「バカント」をやってきたことも含めて、ただ外側をつくるだけでなく、運営するアイデアとかセンスとか、人を巻き込む力というのがすごいあるなと感じていて、彼を建築業界の人と思ったことがないですね。マッキー(牧口)は「SKWAT」の一箇所目ではじめた時に誰よりも早くインスタに上げてくれたんです。
牧口: 俺にとって「SKWAT」は作品なんですね。それが嬉しかった。過度な商業活動じゃなくて、二人の純粋な社会で生きる上での違和感やズレみたいなものが「SKWAT」に入っているんですよね。
濱中: マッキーってそういうのを普段ポストするような男でもないですし。だから「SKWAT」に対するポジティブなテンションが感じられて、それは内心嬉しかった。
牧口: 都市空間っていうガチガチに決まっているように見える空間に隙間があって、「SKWAT」の活動には、その空間に対する問いが入ってる。そういうのは良いなと思って。アートブックを売ってるとか、〈ルメール〉とコラボしたとかじゃなくて、「SKWAT」の活動にはそもそもそういう視点が入ってることは結構大事だと思うんです。だから誤解されて入ってくると、2人は悲しいんだろうなって。

ー 誤解して入り口に入るというのは?
牧口: 過度な商業活動やアートブックを売るだけとかじゃなくて、そもそもなぜ「SKWAT」っていう活動があるのかっていう裏までちゃんと見てもらえると嬉しいというか。2人の作品なんですよね。それをどういう既成概念で捉えれば良いのかってなった時に、その受け皿が無い。だから、何かしら括る時はアートブックを売ってるとか分かりやすい現象で捉えるしかない。
ー 一箇所目の青い建物では告知を出して無かったけど、やっていくうちにどういう思いでやってるのかを、ちゃんと伝えたいという気持ちになってきました?
濱中: クリーニング屋の時はあまり派手にメディアに掲載依頼することに躍起になるよりも、いきなりあの場所に現れて、インフォメーションも出さず、あの異様な感じを異様なままで届けるのが面白いと思っていて。あそこに入ってくるのって相当度胸ある人たちで、それがどれぐらいいるんだろうとか考えてました。いまとは構え方が違ったよね。
中村: マッキーがSKWATは作品だっていうのはその通りで。ぼくにとってオリジナリティってなんだろうって考えた時に、いままでやってきた「バカント」とか「ダイケイ・ミルズ」というものから距離を置くのではなく、新しいことは遠くにあるんじゃなく近くにあって、それが自分らしさなんじゃないかと。「SKWAT」の話をした時に、マッキーが「これがケイの表現なんだよ」って断言していて、それは自分では気づけないことでしたね。
牧口: 「SKWAT」っていう活動が何かっていうことを、本当は見る側が決めてはいけない。用意された言葉が見つからなくて良い。
中村: ジャンルがつくれない。仮にこれをアートと捉えたとして、何のメディアかって言われると…。
牧口: アートじゃなくても良い。
中村: そういう意味では、ぼくらはアートとは思ってないですね。ぼくら自身も何なんだろうって感じで。でもそれでいいんです。
牧口: 一番最初にやった時、「SKWAT」自体の伸び代が大きいから、やってる本人たちもどうなるのか待ってる状態だったんですね、これが何か知りたいって。だから発信するよりも、自分の活動を受け止めたかったんじゃないですか。だから情報発信はやってこなかった。でも、この青山に移った時に反応が溜まってきて、ようやく2人も自覚してきて、じゃあ、次こんなのがあるっていう想像が膨らんで、展開していったんだろうなって、側から見てて思います。
中村: 「SKWAT」をやってみて、これまで以上に大きなビジョンを持とうと思えたのは、淑子さんの存在が大きい。ぼくらの背中を押してくれるし、彼女自身も楽しんでくれている。
牧口: 2人の行動には、常に分からなさが優ってるんですよね。それで2人はワクワクできるし、予想できない展開に広がって行く。

“PARK” と名付けられた完全なるフリースペースが地下になる。Wi-Fiも完備され、休憩したり、本を読んだり、空間の使い方はユーザーに委ねられている。デザイナーズ家具も含めたさまざまな机や椅子はセカンドハンド。