自分の足で情報を稼がないといけない時代。みんな貪欲だった。

ー今季の「ビームス」は “Y2K” をテーマにしていますが、2000年代当時、おふたりはどんなことをしていたか思い出せますか?
真柄:2000年代って、その頃にはもう「ageHa」とかってありましたよね?
吉川:ありましたね。
真柄:そうですよね。クラブカルチャーがすごい盛り上がってましたよね。「ageHa」も一晩で3000人の来場があったりして、本当にいろんなひとがいろんなところから来てましたよね。
吉川:ぼく自身もそれまではロック畑にいたんですけど、打ち込み系の音楽など、デジタルサウンドにどっぷり浸かるようになったのが2000年代ですね。すごく勢いがあったというか。
真柄:夜遊びするひとたちのおしゃれに対する熱量も高くて。服を買って、クラブへ遊びに行くみたいな。そういうモチベーションでファッションを楽しんでいるひとたちも多かった気がします。
吉川:ヒップホップやR&B、テクノやハウスなどがクラブでかかっている一方で、トランス系のパーティも増えたのが2000年代なのかなと。それでサイケデリックな格好をしているひとが街に増えたような気がするんですよ。
ーなるほど。

吉川:ビームスが今シーズンのテーマで挙げている “Y2K” ともリンクするんですけど、アナログからデジタルに移行するちょっと近未来的な思考というのが、お店の内装とか、それこそファッションにも表れていたように思います。あとはやっぱり、当時は裏原のカルチャーもすごく熱気がありました。
真柄:そうですね。すごい並びがでたりして。
ーやっぱり裏原のカルチャーは、原宿の歴史の大きな分岐点のひとつだと思うんです。
真柄:そう思います。とくにその当時はウェブが一般的になりかけていた頃で、その前と後ではやっぱり、いろんなことに変化が見られますよね。あの頃はまだ自分の足で情報を稼がないといけなくて、みんな貪欲さがあった。それがファッションとか、いろんなところに表れていたと思うんですよ。
ー買い物をするにしても、クラブへ行くにしても、人々のエネルギーがあったと。
真柄:そうですね。当時も転売ってあったと思うんですけど、お金儲けのために買うというよりは、まずは「並んでコレをゲットした」っていうのを周りに見せたいというひとがお店に来てましたね。
吉川:たしかに、そういう熱気がありましたよね。一方でコレクションブランドも人気で、エディ・スリマンが急にサイズバランスをギュッとコンパクトにして、スキニーパンツや着丈の短いジャケットが流行ったりして。街中では、ストリートと新しいモードが入り混じっていました。

ー原宿という街も、昔といまでは大きな変化がありますよね。とはいえ、そこにある街のムードのようなものは変わっていないような気もするんです。
真柄:いまは高いビルが増えてきましたね。友達と「ここに何があったっけ?」って、たまに喋るんですけど、あまり思い出すことができなくて。めまぐるしく変化があるんはずなんだけど、街全体で見ると、そこに違和感がないんだと思います。
吉川:ぼくが東京に出てきたのは98年くらいで、そのときと比べると、街の景観は変わりましたよね。上京したての頃はよく学校の帰りにみんなで原宿に行って、いろいろとお店を回りながら、最後に「ばさらか」っていうラーメン屋でご飯食べて帰るのが定番でした。ちょうど〈ヘクティク〉のショップの上に、そのラーメン屋さんがあって。
振り返ると本当にいろんな変化があったと思うんですけど、真柄さんが仰る通り、その時代に合わせて違和感なく変わっているというのは、ぼくも同感ですね。