Chapter.1 アロハシャツのクラシック
アロハシャツのはじまりには
日系移民が大きく関わっていたようです。
アロハシャツのヒストリーは1930年代にまでさかのぼります。1930年代に観光地化され始めたハワイの土産物として存在していたシャツを「アロハシャツ」と名づけたのはどうやら日系移民らしいのです。『ムサシヤ』という日系人経営の仕立て屋で「アロハシャツ」という名のシャツを売っていたという1935年の記録があるのですが、この「アロハシャツ」という名称を商標登録したのはエラリー・チャンという人物。これが1936年のこと。ここからアロハシャツの歴史が始まるのです。
とはいえ、アロハシャツのはじまりには諸説あるようです。日系移民が着物や浴衣をばらしてシャツに仕立てたのがはじまり、というのは有名ですよね。いずれにしても黎明期に和柄が多かったのは事実で、生産するメーカーが増えていくとともにアロハシャツの柄は多様化していきます。
アロハシャツの柄のモチーフとしてよく描かれるのは、ハワイならではの植物、ウミガメや鳥などの動物、神に捧げる踊りであるフラの世界など。モチーフにもそれぞれ意味があって、例えばプルメリアは神が宿る花といわれていて、「大切な人の幸せを願う」という意味を身に纏うことができるのです。モチーフに込められた伝統や意味を踏まえてアロハシャツを選ぶことで、アロハシャツの世界がもっと広がります。
1930年代から50年代にかけてアロハシャツのメーカーは増え続けました。アメリカ本土のハワイ観光ブームに加えて、1950年代にはハワイを舞台にしたハリウッド映画が多く製作され、役者がアロハシャツを着ることで大ブームになったそうです。この時期はアロハシャツの黄金期。ハワイにおけるアロハシャツ産業が砂糖、パイナップルに次いで三番目の産業となり、ハワイ経済を支えたのです。
クラシック・アロハシャツの代表格、
カハラは1936年にはじまりました。
ハワイにおける正装でもあるアロハシャツ。ビジネスシーンや冠婚葬祭の折に着られるアロハシャツには、老舗メーカーのものが選ばれることが多いようです。アロハシャツのクラシックといえるメーカーはいくつか存在しますが、その一つが1936年創業の〈カハラ(Kahala)〉。現在でも、ほとんどのラインをハワイで生産し続けるメーカーです。
▼shop info
Kahala
https://kahala.com
〈カハラ〉はサーフィン業界にとっても重要な役割を担っています。サーフィンの神様デューク・カハナモクの名前を最初に冠したのが〈カハラ〉なのです。デュークはパンノキ柄の赤いアロハシャツを愛用し、彼が率いていたライフガード集団「ワイキキ・ビーチボーイズ」が〈カハラ〉のアロハシャツをユニフォームにしていました。〈カハラ〉のアロハシャツにはハワイらしさが詰まっています。1000種類以上あるというビンテージ柄は定期的にリバイバルされ、そのどれもがハワイらしさに溢れているのです。
もうひとつのクラシック、レインスプーナー。
アロハシャツのクラシックとして忘れちゃいけないのが1956年創業の〈レインスプーナー(REYN SPOONER)〉。ハワイのビジネスマンたちを中心に愛されているメーカーですが、そのビジネスマンたちがアロハシャツをよく着るようになったことに一役買っているのです。当時アロハシャツを着ている多くは観光客で、土産物として人気な派手な柄が多かったそう。そこで〈レインスプーナー〉は生地を裏返すことで派手すぎるという懸念を避け、主流だった開襟でレーヨン素材のスタイルではなく、ボタンダウンでコットン素材のシャツを作ったのです。これがビジネスマンの心を掴み、大ヒットしたそうです。