行いが善であろうが悪であろうが、注目されれば金になる。

―実際にJinmenusagiさんのリリックができあがったときはどうでしたか?
長塚: ラップの仮歌も入っていたんですけど、我々は皆もう拍手でしたね。
井上: パンチのある内容だけど、やっぱりウィットに富んでいるというか。クレバーなところがあって、それはらしさ(Jinmenusagiの)だなとめちゃくちゃ思いました。健斗の歌詞は、比較的抽象的で重いのに対し、ラップの部分はすごく具体的なワードも耳に入ってくるし、単純にすごいと思いました。

江﨑: 新宿などの街のカオスさという話からスタートしている一方で、音楽産業への問題提起みたいなことも核になっていると思うんだけど、それはどういうプロセスだったんですか?
Jinmenusagi: 街の様子がカオスだというところから、そういった都市部で行われていることといえば経済活動ですよね。そこでの話をするとき、やっぱり自分が関わっているフィールドの知見が出たという感じですね。
―具体的にはどんな話をされていたんですか?
Jinmenusagi: まずどれぐらいまで本当に言っていいのかという確認を、最初に文字を書いてWONKサイドへ送ったと思うんですけど。そのときは「いいよー!」って言われていたけど、結果よくなかった部分も結構あったみたいで(笑)。でも、社会的にこれがよくて、これが駄目というラインが分かっていない自分が浮き彫りになったので、これからに活かしていこうかなと…。
井上: この歌詞書いておいて、反省する人なんているの?(笑)
Jinmenusagi: しましたよ!(笑)

井上: でも、結構これはリアルだなと思いました。発言することって、それを誰かに投げることでもあるから、人によっておもしろいと思う人もいれば、ショックを受けてしまう人もいるかもしれない。これまでWONK単体だと、そこまで踏み込んでこなかったので、興味深かったです。
江﨑: 今作の内容とは別で、「人を傷つけない表現は可能なのか」ということもすごく考えましたね。
―それでいうと皆さん “誰一人傷つけない表現”というのは、果たして可能なことだと思いますか?
江﨑: うーん、ぼくは難しいとは思ってしまいますね。
井上: ぼくもそうですね。どんなに綺麗なことを言っても、必ず誰かが何か言ってくる、そういう時代だから。

江﨑: あと、発言が切り取られ解釈が変わって…みたいなことを、かつてはメディアがやっていたんだろうけど、今は個人がそういうことをできるから、よりタチが悪いですよね。
Jinmenusagi: 言おうと思えば、何でも文句つけられる世の中になったなとは思います。例えば、今作に「ショートケーキ味の消毒液」という歌詞があるんですけど、実際に発信したら消毒液メーカーさんから風評被害だと言われてもおかしくないじゃないすか。でも、意味ないから言われないですよね。何か言い掛かりをつけて得する、そういう瞬間の方が増えたと思います。
井上: 確かに。表現の善し悪しというより、それを誰がどれぐらい見たかみたいなのが結構重要視されてしまっていると思う。
江﨑: インプレゾンビね。
井上: インプレゾンビもそうですけど(笑)、過激な事を言ったり、リプライで過激に批判したりすれば、みんなそこだけに注目する。悪いことを言った人の方が人生得しちゃう。悲しいですけど、今はそういう世の中の仕組みになっていますよね。

江﨑: その行いが善であろうが悪であろうが、注目されれば金になる。
井上: 例えば自分の表現として過激なこと言って、さまざまな批評を巻き起こすというのは昔からあることだし、一つの表現だと思うんですけど。それらと一部を切り取って猛烈に批判する人のSNSが伸びるということとは、根本的に違う気がする。でも、今は同じ地平で見られてしまっていますよね。
江﨑: それと、極端な話で言えばひどい言葉を歌詞にしたり文章にするよりも、映画で人を刺し殺す描写の方が本当はずっと駄目なはずだと思うんですけど。映像はフィクションのものだと捉えられて、テキストになると規制されたりするのは不思議ですよね。