プエブコのはじまりとインド前日譚。
〈プエブコ〉が誕生したのは、いまからおよそ17年前。
ロングセラーとして現在も売られている、鳥のオブジェ「ARTIFICIAL BIRDS」を中国でつくることからブランドはスタートした。

「ARTIFICIAL BIRDS」は鶏肉加工工場で廃棄される羽をリサイクルし、リアルな鳥のオブジェにしたもの。写真のフクロウ以外に、ワシやタカ、オウム、フラミンゴなども。本物志向の愛鳥家にも好評だとか。
「とにかくつくろうと思って。売ることはあとで考えようと」
大量に生産したものの、まだ卸先は決まっていなかった。そこから営業をかけて、かけて、かけまくったのちに、見事すべてを売り切った。さて、次はどうしようかと考えて、目に留まったのがインドの製品だった。
「現在〈プエブコ〉は、インドと中国で生産しています。ひとの手でつくるのがインド、方や機械でつくるのが中国。とある展示で見たインドの製品のテクスチャーが他の国と全く違いました。これはおもしろいものがつくれるかもしれないなと」
そして、田中さんが意気揚々とインドにやってきたのは15年前。しかし、はじめの2年は騙されてばかりだったという。簡単にいえば、右も左も分からなかったインドで、ぼったくられてカモにされてしまった。ほらね、実にインドらしいエピソードだ。


砂塵を巻き上げながら、バイクやオートリキシャが我が物顔で走るストリート。
出だしは、最悪。でも、よくそこでインドを嫌いになって、諦めませんでしたね?
「正直なところ大っ嫌いでしたよ、当時は。でもそこでやめたら、インドのことを嫌いなままで終わっちゃう。やっぱり負けたまま帰るのは悔しいじゃないですか。諦めるなら好きになるまでやってからと決めたんです」
一見、意地にも聞こえる。でも田中さんこそ、実はインドに呼ばれていたのかもしれない。というのも、その後インドとの運命的な出会いが遠く離れたパリで待っていた。
「パリで行われた雑貨の国際展示会に行った時、現在〈プエブコ〉の生産を請け負ってくれている二人、マヌージとムケーシュに会ったんです。実は、騙された会社にいたのがマヌージだったんですが、彼だけは最初から親身になってくれていて。その会社を辞めて新しく会社をつくったと、わざわざパリまでぼくに会いに来てくれた。彼らがつくったものを見せてもらい、パリまで来てくれるほどの情熱も買って、一緒に仕事をすることにしたんです」
いまではマヌージさんは、田中さんと共に〈プエブコ〉の製品用のマテリアルを探すため、インド各地を旅する。一方、ムケーシュさんは、〈プエブコ〉の生産拠点であるインドのジョドプールに常駐し、〈プエブコ〉を事務方面からサポートしている。

左がマヌージさん、右がムケーシュさん。